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84 まさか、という思いと、今回も、という期待。

 はじめは、ただぼんやりと見ていただけ。


 どこかの廊下を歩き、馬車に揺られ、光に包まれて木漏れ日の中を通り過ぎた。

 着いた先は騒々しくて何も聞きたくなかった。

 前に座った老人の視線が嫌い。横で話す男の声も嫌い! ガヤガヤと聞こえる人の声はもっとイヤ!!


 定まらない感情の中、香は目を凝らす。自分がどこに居たのか、どこに向かっているのか、今何をしているのか!!


 霞がかった意識の中、散らばしそうになる思考を繋ぎ止める。しかし、繋ぎとめようとした傍から散ってしまう。


 香はため息を吐き、思考を放棄した。


 思考がまとまらないこの頭では、いくら考えても無駄だと思った、のがひとつ。流されてしまえば、最後には何とかなってきていた、のがひとつ。流された先でも許容できない理不尽がなかったこと、がひとつ。




 香は目の前に広がる深紅から、目が離せなくなっていた。

 材木の破片や、レンガ、家具やその足、割れた木椀……。さまざまな物が合わさり小山を作っている。その下から深紅があふれ出てきていた。


 あの深紅は何だろう……!?


 さっきまで叫んでいた声が聞こえない……。


 大声なのに不快ではなかった声はどこに行ったのか……。


 なぜイヤじゃなかったんだろう……?



  〜・〜・〜



 二人が声をあげる中、その背中を困惑とともに見ていたのは、師団長とフォルハだった。


 香へと呼びかけながら、その香の姿は見えない!!


 二人が必死になっているからこその違和感に、フォルハは眉間に皺が寄っていた。周囲の状況も気にはなるが、二人が見ている香の姿を自分も見たかった。


 傍に居ながら奪われたのは二度目。今回は何とか意識を保ち城へは同行できた。しかし、その後はいい様にもてあそばれたとしか思えない。

 気づけば精霊族とともに香の姿はなく、ざわめく室内に王太子と近衛、そして城で再会した三人の顔があった。周囲は騒然としているし、後に届いた王太子の手紙で精霊族の暴挙が明るみになった。


 “精霊”と敵対することは『死』を意味する。しかし精霊族は“精霊の湖”に手を出し、容貌の変わり果てたサヌエル・プレスを動かした。


 結果、“精霊の湖”は穢され、香へと影響を及ぼしたのだろう。今猛威を振るっているのが、香の“精霊”だとすれば、プレスの思惑は成ったといえるのではないか……。

 ミツキがうろたえているのは、不測の事態となったのだろうか。


 そんな混乱している思考をよそに、周囲の魔素が高まって行く。


 轟音とともにいっきに視界が奪われる。

 とっさに師団長を抱き込み、瞼にあたる砂塵を感じていっそう目を閉じ、師団長に覆いかぶさった。


 いまだ暴風は収まらず、しかし轟音とともに響いた地揺れが落ち着きを見せ始める。もうもうと立ち込める砂塵も風にさらわれ、視界が開けていった。

 フォルハが辺りを見回せば、二人の立っていた場所に新たな瓦礫の山が出来上がっていた。あわてて二人の姿を探す。

 伏せる前、確かに二人の背を見ていた。そして今、二人の立っていた場所には(うずたか)く積み上げられた瓦礫がある。


 まさか、という思いと、今回も、という期待。


 まさか、下敷きになったのではと恐怖する心と、今まで難なく切り抜けてきた事に対する、今回も山の向こう側に居るのだろう、という気持ち。

 無事な姿を目にしたいと体を起こすフォルハの目に、広がる深紅が映った。


 徐々に広がるその色から目が離せない。じわりじわりとどろりとした深紅がその領土を広げる。


 ふと気づくと、吹き荒れていたはずの風が止んでいた。


 静寂がフォルハたちを包む。巻き上げられていた砂塵が深紅に波紋を作り出していた。ガラリと山から椀の欠片が転がり落ちる。ぱしゃりと血だまりに落ちたそれを見て、フォルハは叫びながら山を崩し始めた。


 ただ、がむしゃらに、無我夢中で、手を動かす。

 破片が突き刺さろうが、欠片が飛び散ろうが気にならない。ただこの下に在るかもしれない友の顔を見たかった。どんな窮地も笑って切り抜けてきた、戦友とも呼べるただ一人の相手。

 それがこんなことくらいでくたばる筈はない。ただこの重みで身動きが取れないだけなんだ。そう自分に言い聞かせながら崩していく。守るべき師団長など思考から消え去っていた。


 ガラガラと崩し、目線より上まであった山が小さくなって行く。


 師団長とともに数人がかりで崩したためか、存外早くギルベルの背が見えてきた。大きく息を吐く気配もある。

 ギルベルは蹲り懸命に自分の体を支えている。ブルブルと震えながら腕を突っ張り、ひざを立てている。自分の下の空間を守ろうと、朦朧とした意識のまま体だけがその任務を全うしようとしていた。


 しかし、足元の血はいまだ拡大を続けている。


 フォルハたちが大半の重しを退けたとき、力尽きたかのようにギルベルの体が崩れ落ちた。すんでのところでフォルハが抱きかかえる。ゆっくりと地面に下ろされたその体は真っ赤だった。顔は血の気を失い、髪は血で張り付いている。


 その姿を呆然と見下ろしているフォルハの隣では、助け出されたユーリックも横たえられていた。



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