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82 その背に深紅が散る。

 今、目の前にいる香とそれに重なる“精霊”を見る。


 ギルベルはユーリックとともに王都見物に向かう香を置いて、師団長に従い城へあがった。そして王太子と会い、香の王都見物が無理やり中断されたことを知ったのだ。それだけでも業腹だというのに、まんまと精霊族に奪われた。


 自分たちの不甲斐なさの結果が、今、目の前にある。


 なぎ倒された木々をよけて里につけば、ひときわ大きな瓦礫の山の傍に浮かぶ香が見えた。二重写しのその姿は、衣服こそ別れたときのままだが、その表情は虚ろだった。

 薄く開かれた目と口。その瞳はガラス玉のようで、日ごろの煌めきはかけらも見えない。ただ虚空を見つめる無表情に、ギルベルは自分が断罪されているように感じる。


 ちらりと傍に転がるミツキが目に留まるが、気にもせず、香へと声をかけ続ける。周囲がどうなろうと、香が無事にこの手の中に戻ればそれでいい。“精霊”に意識を乗っ取られているのか、いくら声をからしても香はピクリとも動かなかった。


「レイシェス、気を落ち着けてください!!」


 ユーリックの言葉にいまさらながら周囲に渦巻く風を感じる。ゴウッと吹き荒れる大気の中、衣をはためかせ浮かぶ“精霊”の姿は、いっそ神々しくさえ感じる。

 周囲を巻き込みながら、自分が一番傍にいる香を感じ取れていないのだろうか……。



「っ、ひっ……、ぁあ、ああ!!」


 ヤツシが恐怖のあまり逃げを打つ。転がるようにして背を向けたとたん、風に捕らわれた。


バシュッ!!


 風の刃に切り刻まれた服の破片が宙を舞う。ミツキが術を展開する間もなく渦巻く風に紅が混じった。それでも服と皮を切られただけなのか、腰を抜かしながらも蹲り、ガタガタと震えながら助けて許してと涙を流して訴えていた。


「レイシェス、誰かを傷つければ香が悲しみます。落ち着いてください!!」


 なおも言い募るユーリックを見る“精霊”の目にちらりと苛立ちが宿る。


「ユーリ!!」


 ギルベルはとっさにユーリックを胸に引っ張り込んだ。


 一瞬後、その背に深紅が散る。


 ギルベルは背中と腕、そして米神に朱を走らせながら背後を振り返り、香と“精霊”を見た。

 虚ろな無表情の香と、顔を歪めた“精霊”。その表情は邪悪を具現化したような、まさに醜悪としか言いようのない顔つきだった。


「ユーリ、“精霊”がやばい。何かわかるか!!」


「いいえ、せめて香くんの意識があれば、もしかしたら……」


「ミツキ殿!! 術を解け!!」


 ユーリックの言葉にカズヒが叫ぶ。その顔は血の気を失いながらも、“精霊”を見据えていた。しかし隣のミツキは“精霊”とヤツシの間で混乱の極みにいた。


 今までこんな窮地に立ったことはなく、自分の力の及ばぬこともなかった。まして、自分の傍にいる者を手も足も出す間さえなく害されるなど、生まれて初めてのことだったのだ。


 ミツキは魔素の大きさを絶対視する精霊族にあって、巫女姫にも並ぶといわれたその力を余すことなく使いこなしてきた。その実績の上に立つ自信をすべて打ち壊されたのだ。

 カズヒの言葉は耳に入っているが、意味を理解することは頭が拒否していた。ただ呆然と“精霊”とヤツシを交互に見ていたのだ。


「まだ香に何かしているのか?! 早く解放しろ!!」


 胸倉をつかみあげられ、間近に凶悪な顔が迫る。ギラリと光る鋭い目がミツキに突き刺さった。


「あいつはお前らの道具じゃねえ! さっさと術を解きやがれ!!」


 言葉と同時に投げ捨てられる。転がり這いつくばって“精霊”を見上げる。やっと意味が頭に入っては来たが、どこに香が居るというのだ!! 目の前に浮かぶのは“精霊”だけで、叫ぶ二人の視線の先も同じはずだ。


「まだ香になにかしようと勘ぐってるのか?! 時が過ぎればオマエには都合が悪いんじゃないか」


 転がったまま動こうとしないミツキにじれたギルベルがまくし立てる。

 術の解除は対象に触れなければならない。それがだめなら、最低限視認しなければ解除はできない。見回す限り香の姿はどこにもなかった。この状態で解くことは術の暴走を意味する。制御をなくした術は威力を無くせばいいが、倍増することもありえる。倍加すれば二度と意識は戻らないだろう。


「どこに居る……」


 何とか搾り出した言葉でギルベルに問いかけた。


「子供はどこに居る?!」


 自分が術を解かなければ里が壊滅すると言われれば、解こうとも思う。すでに壊滅一歩手前の里が目の前にある。これ以上の破壊が防げるならミツキは手を惜しむつもりはない。

 しかし問いかけたギルベルは怪訝(けげん)な顔で見返してきた。


「ヤツシならば後ろだ」


「香だ!! あの子供はどこに居る?!」


 ギルベルの答えにいらだったミツキは声を荒げた。言いながらも“精霊”を見上げるミツキに、ギルベルはとっさに返す言葉がなかった。


「対象に触れられれば一番だが、視認でもこの際いい。二度と目覚めなくてもいいならこのまま解くぞ?! あの子供はどこに居っ!!」


 香が目覚めないなどと言い募る(やから)を思わず引っ張り上げる。


「ギルさん!! そんなのどうでもいいから、香くんにしゃべり掛けて!! さっきちょっと反応があった!!」


 ユーリックの叫びにギルベルは再度、ミツキを放り投げる。そして、香、香、と言い募る二人の視線の先にはミツキは“精霊”しか見えなかった。




 ごう、ごうと吹き荒れる嵐の中、香に向かって叫ぶ。


「香、香! 目を覚ませ、こっちを向いてくれ!!」


「香くん!! しっかりして、意識をしっかり持って!!」


 必死になって叫ぶ二人をただ呆然と周囲は見る。


 瓦礫の傍に立ち、姿の見えない者を探す人々。彼らはその手を止めてまで、叫び、懇願する二人をただ見ていた。




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