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79 ホロリと何かが頬を伝う。

 王太子からの手紙には、ネイスバルトへの全ての師団の指揮権行使の許可とともに、ボーロックの“精霊の湖”に関する調査結果が記されていた。


 それを踏まえネイスバルトは三人を従え、第7師団《蛇》へと急ぐ。城の背後に隠れるように立つ塔が、第7師団の本部である。


「これはこれは、第3師団師団長、ネイスバルト・レイン殿。今回はいかが致しましたかな」


 慇懃に迎えるのは第7師団師団長ギィル。苛立ちを隠さずネイスバルトは視線で射抜いた。後ろにつく三人もギィルへと剣呑な視線を隠そうとしない。


「おお、恐い恐い。……優秀な術師を五人、確かに集めましたよ」


 その言葉とともに現れたのは四人の第7師団員。数が違うと視線を強めれば、アルバを入れれば五人だと言う。


「急に五人といわれてもね、任務もあるし、街に出ている者もいる。今は四人しか出せない。そちらのアルバはこっちに来るはずだったのを、そちらが掠め取ったんだ。十分な働きが出来るんじゃない?」


 ユーリックとフォルハは目を見張るが、ネイスバルトとギルベルは表情を崩さない。

 ネイスバルトはチッと舌打ちをして、踵を返した。八人に増えた一行は馬を駆って南部にあるミツキの家へと急ぐ。


 いまだ祭りの最中である王都の中を疾走するわけにもいかず、王都の外周をまわってミツキの家へと到着した。

 すでに先着していた近衛によって開け放たれた扉を潜り、促されるまま地下へと向かう。そこには発動の余韻を残す円陣があった。


「説明は後だ。陣を発動させろ。魔素が空になるだろうが、私達を送り出せ」


 アルバの魔素は温存しろ、とネイスバルトは彼を陣へと引き入れる。


「最後にほどこす術がわからなければ、魔素だけを持っていかれる。少し時間が欲しい」


 陣を調べていた術師が、唸るように言った。仮にも魔術士団と呼ばれる第7師団の精鋭だ。見たことのない陣に興味と関心と、そして、一目で読み解けない悔しさが滲む。

 少しならば、との答えに四人ともがすぐさま這いつくばって陣を読み解いていく。



  〜・〜・〜



「なんともぶしつけな……。王太子殿下ともあろう方が、強盗のように家への侵入を許可するとは」


 含み笑いを伴いながらのミツキの言葉を、香はもやのかかった頭でぼんやりと聞いていた。自分は何故ここにいるのか、何故ミツキに付き従っているのか。


 傍にいないギルベルとユーリックを思う。


 確か一緒にいたはずなのに今はいない。やっぱり見捨てられたんだ。いつもウジウジする香が、面倒くさくなったんだ。


 ホロリと何かが頬を伝う。


 誰かが香を呼んでいる。とても遠くから、必死になって呼んでいるのは解る。でもなぜか返事をする気にはなれなかった。


 香は漫然と、ただ交互に足を前へ出す。少し離れればミツキは立ち止まり、香に手を沿え先へと促す。ただ示されるまま進む香に、彼の意識は感じられなかった。



  〜・〜・〜



「ユーリ、お前ならわかったんじゃないか?」


 陣を調べる四人の邪魔をしないために、別室へと移ったとたんギルベルが問う。ユーリックは首を振る事でそれに答えた。


「もしかしたら、という不確定な事は言いたくありません。もし間違いであれば魔素を持っていかれるだけ……。あの陣の大きさならば、五人揃っても一度しか挑戦は出来ないでしょう。確実に読み解いていただいた方が近道です」


 一瞬、喜色を見せたネイスバルトとフォルハは肩を落とす。

 それから四人は各々席に着き、ただ精鋭の術師を待つこととなる。



 今このとき、香に危険が迫っているかもしれない。


 そう思うだけで心が潰れそうになる。

 《蛇》の時もプレスの時も、自分は傍にいなかった。それを自分の言い訳にして心を保っていたのだ。自分が傍にいれば、何者からも守ると、そう思っていた。

 しかし現実はどうだ……?


 まんまと香をさらわれた。


 離れていたわけじゃない。隣に座っていたのだ。術を発動され、のんきに眠っていた自分を殺したい。何の抵抗も出来ず、ただ、いいように遊ばれた事に憤りを感じた。

 ギルベルは腕を組み、ユーリックが騒がない事をよすがとして時を待つ。その指先だけが込められた力で白くなっていた。



 ユーリックは自分が仕込んだ術の気配を追う。


 プレスに連れ去られた香を探す事に手間取ったから、香に渡したペンダントに自分の術を込めた。自分の魔素であれば、よほどの遠方でなければ追う事が出来る。自分が傍にいないときに危害を加えられ、香が不の感情に囚われたり激情に駆られても感じとることが出来る。


 今感じる香の気配は、危害を加えられた様には思えなかった。


 自分の感覚を信じて、ただ時が過ぎ、陣を発動させた後を思う。

 あの陣を発動さたなら、四人の魔素がほぼ空になるだろう。それだけ膨大な魔素が必要に見えた。ユーリックが魔素を込めれば、師団本部へ戻るだけの気力は残るだろう。しかし、ユーリックが手を出さなければ、一晩回復に努めなければ動く事は無理だろう。

 だがそれがわかっていても、ユーリックには陣へと魔素を注ぐ気はおきない。渡った先で何が待っているか解らない状況で、魔素を枯渇寸前まで使う事は自殺行為でしかない。


 ましてや、向かう先は精霊族の里。


 ミツキと会った時の魔素を思えば、精霊族であれば、二人でも発動できるのではないかと思えるのだ。それだけ圧倒的な魔素が見えた。もし何らかの目くらましで魔素を大きく見せていなければだが……。




「レイン(ネイスバルト)師団長、陣の解析が終わりました。発動は一回が限度です。今すぐ魔素を込めますか?」


 足早に向かった四人は陣の中央に陣取り、転移を待つ。

 ギルベルとユーリックは徐々に光を増す陣に目を細めながら、向かう先に香がいることに喜びを見た。白く塗られた視界が周囲を映せば、そこは緑に埋もれた森の中だった。





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