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07 しばらくは此処で果実生活を続けよう。

 香が眠りにつくと、光が集まり女性が現れる。湖面で舞っていたそのままの姿が光の中に浮かび上がった。寂しげに愛しげに、香の体を撫でさすり癒してゆく。涙を拭った後の頬にも手を伸ばす。熱を持ったまぶたをそっと押さえ、額に口付けた。

 抱きしめる様に重なると、ゆっくりと溶けていく。いつもと同じに枯葉と果実が残された。



 目覚めて、枯葉布団があることも、側に果実が山を作っていることも香を驚かせる事はなかった。夢のような昨夜の情景を思い出す。

 あれほど綺麗なものを見られたのは役得ではないだろうか。日本でならば映画のスクリーンが精一杯だろう。その景色の中に入り込んで間近で見ることは出来ないはずだ。

 そう思えば少しは前を向くことができそうだ。



 そろそろご飯が食べたい。


 ここ数日は果実と少しのチョコで過ごしている。他の物が欲しくなるのも当然だろう。

 湖には魚はいるのだろうか?

 そうは思っても、捌くための刃物も、焼くための火種もない。火に限れば木の摩擦で何とかなるかもしれないが、根気とコツには自信がない。サバイバルの番組は見たことはあるが、詳しくは知らない香にとって、火を灯すことは大仕事だ。

 此処での夜は明るいし、小鳥の囀りは聞こえるが獣の声はなく死骸、糞などの痕跡も見つけていない。今の香にはそれほど火が必要とは思えなかった。


 相変わらず日差しは心地いい。昼を過ぎて水が温んだら体を洗いたい。一度そう思えばそこかしこが痒く思えてくる。着たままだった服も臭っているだろう。


 上着を脱いで埃を落とす。ナイロン素材のウインドブレーカーなら、今から洗えば昼には乾いているだろう。

 手ごろな枝に干した後、果実を齧りながら改めて湖面を見る。

 昨夜はあの辺りで踊っていたんだと思いながら…。



 誰なのかも解らない。人であるかどうかさえ確かではない。でも美しすぎて、また見てみたいと思う。そんなに大きくは無い湖は、香の足でも昼ごろ迄には一周出来そうに思える。ぼんやりと待つよりは良い事に思えた。


 干した上着の側にバックを置き、身軽になって歩き始める。所々水辺の草で陸との境が解り辛い。泥濘ぬかるみに嵌らないように慎重に歩いていく。


 湖の対岸辺りまで来て少し落胆してしまう。もしかしたら、川が始まっているんじゃないかと期待していたのだ。

 川下を目指していただけに此処が終点になることは、道を見失うことと同じだろう。水辺を離れても果実は貰えるかも知れないが、飲み水に困る。体を拭くことさえも出来なくなってはたまらない。



 しばらくは此処で果実生活を続けよう。



 香は決意を新たにし、残りの湖畔を歩いた。

 元の場所へ戻った時には、太陽は中天をわずかに過ぎた頃だった。

 浅瀬の水は程よく温んでいて、体もそこまで冷えないだろう。


 パーカーを脱ぎ、ズボンと下着も脱いだ後、ハンドタオルを手にTシャツ一枚で水に入った。


 思ったほど冷たくは無いが、準備運動はするべきだったかもと思いながらタオルで体を拭ってゆく。いまだ慣れない股間も何とかした。水の中に頭までもぐれば、銀髪が湖面に広がった。


 頭を洗い、髪をまとめていると、ふと「こんなに長かったっけ」と不審に思う。


 髪を下ろしてもせいぜいが鎖骨辺りまでだった気がするが、今は肩全体を覆うまでになっている。背中の肩甲骨も隠れるかもしれない。


 また一つ不思議が増えた。


 自分ひとりでは、何が普通で何が異常なのかが解らない。この世界での髪は早く伸びるのだろうか。このまま伸び続ければ、櫛も無い今のままでは絡まるだけだろう。櫛の代わりになるような物があるだろうか。


 岸辺に戻り、脱いだ下着とズボンを洗う。絞った後は大きめの石の上に広げた。日差しがあり石もそこそこ暖まっている。何時間かすればパンツだけでも乾くだろう。残ったパーカーを犠牲にして体の水気を拭い急いでTシャツと上着を取り替える。


 裸にウインドブレーカーのみを羽織った香は、お尻が隠れていることを確認し、冷えた体を温めようと日向ぼっこに勤しんだ。


 しばらくすると、日差しの心地好さにうとうとと微睡まどろみ始める。このままではいけないと思うが、瞼は重くなって行くばかり。午前中に湖畔を巡ったことによって、心地好い疲れが眠りを誘う。

 せめてパンツは履いてからと思いながらも眠りの中へ落ちていった。


 肌寒さを感じて目覚めた香は、お腹がシクシク痛んでいた。裸の下半身が冷えを呼んだのだろう。やはり火は必要だろうかと思案する。

 火があれば服の乾きも早いだろうし、自分も暖まれる。だが、一番ほしい暖かい飲み物は、器がないから無理である。

 そして此処で火をおこせたとしても火種を維持するのは大変だろう。次からはズボンだけでも先に洗って乾かせば良い。


 寝ている間に髪も乾き、チョッとごわついているがサッパリとした服を身に付ける。髪は手櫛で整え一つに纏めた。

 此処で過ごすのなら、服のローテーションを考えて、順番に洗っていくのも一つの方法だろう。今日のように一度に洗ってしまえば、またお腹を冷やすことになってしまう。

 自分ひとりきりなのに体調を崩しては命に係わるかもしれない。不用意な行動は慎もう。


 果実とチョコを口にした後、今夜も舞を見れるだろうかと湖畔で待つ。月が昇りしばらくすると周りの木々から蛍のような小さな光が集まってゆく。光の中、女性は舞い踊る。その光景に心奪われながら、夜は更けていった。



 その日から香は湖畔に腰をすえ、日々を重ねた。


 そして、髪は伸び、反対に体は縮んで行った。


 毎朝、体は軽く、気分は良かった。近くには果実が小山を作っていることも、夜に湖面のショーを見ることも当たり前のように感じ始める。


 気がついたのはこの世界に来て何日経った頃だろうか。3つの月は離れて久しく、それぞれが別々の空に浮かんでいる。月の周期の関係で徐々に離れたのだろう。


 そんな中、ウエストが緩くなるのは果実ダイエットのせいだと思っていた。しかしズボンの裾が余り始め、腰ギリギリの着丈だったTシャツの裾が腿を覆うに至って異変に気づいた。手洗いで干しているから、縮みこそすれここまで伸びることは無いだろう。まして靴が緩くなる理由は無い。

 今ではベルトの穴は使えなくなり、縛って使っている。ピッタリだった靴はカポカポと云わせながら履いていた。


 水面を覗き込めばいくらか幼い自分が居る。このまま若返り続ければ赤ん坊になって消滅するのだろうか。

 生きようと思った後に死を突きつけられると絶望感が増すんだなと、ぼんやりと思った。


 あれだけ父と義母に会いたいと願っていた事が嘘のように、香は死ぬことに恐怖を感じていた。



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