68 澄んだ魔素は人を清め、濁った魔素は人を殺める。
「失礼します、フリーブル副師団長。ペイデルより急ぎの文が届きました」
書類から目を上げ、ペンを置きながら続きを促す。
「騎士アルバの兄と名乗る者が、ペイデル町長からの文を携えて来ています」
言って師団員は手紙を手渡す。ボートネスとその兄を呼ぶように指示し、封筒を確認する。確かに封蝋はペイデルの町長のものであり、宛名は師団長ネイスバルトへとなっている。
師団長一行が王都へと発って十二日。もう無事に王都へと到着する頃である。それを知らず届けられた文の内容をアルバの兄が知らなければ、鳥を飛ばし指示を仰ぐ事も考えなければならない。ペイデルのことであればこちらで対処は可能だろうが、ボーロックの湖がかかわってくれば独断とはいかないだろう。
「騎士アルバは師団長と共に今は留守にしている。副師団長である私達が用件を聞こう」
案内され席に着いた男性は、なるほど兄といわれればユーリックの面影がある。緊張した面持ちで、向かいに座るフリーブルとボートネスを見やった。
「ユーリック・アルバの兄、セイリックです。弟はしばらく帰らないのでしょうか」
「王都まで師団長に同行しています。帰りは後一月といったところでしょうか。急ぎの用件ならば話していただきたい」
フリーブルの言葉にセイリックは顔を顰める。考えを纏めているのか、それとも話す事をためらっているのか……。二人の顔と自分の握った手を行き来する瞳には、動揺と焦りが見て取れる。
少しの間の後、ぎゅっと手に力を込め、しっかりと二人の副師団長と目を合わせるセイリックの顔は、ユーリックの数年後を思わせた。
「そちらにはほとんど何も書かれていないはずです。町長から私が全てを話してくるようにと、言われました」
テーブルに置かれた手紙を指し示し、セイリックが告げる。怪訝な顔つきの二人に長くなりますが、と前置いてセイリックは話し始めた。
自分はペイデルの出身だが近々ボーロックの村長の娘と結婚を控え、最近はボーロックで生活している事。“精霊の湖”も穏やかで香水の製作も順調であった。しかし二十日ほど前から水が変化し始め、今では香水を作ることが出来なくなっている。原因は不明だが、“精霊の湖”に瘴気が増えているのではという者が現れ、ユーリックならば解るかとここへ来たと言う。
セイリックも瘴気ではないかと疑っている一人で、水の変化に動揺を隠せないでいた。
以前は湖畔に立てば身が洗われるような清涼感を感じていたのが、今は不快感が増し体調を崩す者も出ている。
澄んだ魔素は人を清め、濁った魔素は人を殺める。
はじめは混乱していた村人達も、魔素の特性を思い出し大変なことが起こっていると騒ぎ出した。せっかく再開された香水作りも頓挫し、今後のめどはたちそうにない。
なにか原因はと囁きあう中、そういえば不審な男がいたと言う村人が現れた。全身をマントで覆った姿は、なれぬ山道で汚れたくない者たちの標準的な服装ではある。しかしフードからちらりと見えた髪は明るい茶で、同じくちらりと見えた顔は髪色とは違って黒かったという。
一般的には髪色が薄ければ肌も白くなる。だがその男は、髪色は薄いが肌は黒かったというのだ。
目立つ色彩のマント男が現れれば多くの村人が気付くだろうが、一人を除いて見た者はいない。
本当にいたのか、何故ほかに見た者がいないのか、問い詰められた村人はただ、湖へと続く道へ入って行った所を見たのだという。また見物にやってきたのかと気にしなかった。しかしその日の夕飯の話の種にしてみれば、家族の誰もが知らないという。
なんとなく引っかかりを感じながら、誰に言うでもなく日々過ぎていった。そして皆の騒ぎで思い出したのだ。
セイリックはそれを聞いた後、ペイデルに住む両親と弟に様子を聞いた。
すると確かに髪が薄茶で肌の黒い人物はペイデルに居たという。ボーロックの事を聞きまわっていたその男は、しばらく前から姿を見せず、町から出たのだろうと両親は思っていた。自警団から男は東門から出たと聞いたからだ。ペイデルの西にあるボーロックに向かうのならば、西門から出たほうが早い。
ペイデルの男と、ボーロックのマントの男は別人かもしれない。しかし同一人物であるかもしれない。
今確実にわかってるのは、“精霊の湖”の様子が変だということ。変化の前に、不審な人物が湖へと近づいたかもしれないと言うこと。同一と思われる男がペイデルでボーロックの事を聞きまわっていた事。
最初の五日ほどは混乱のままに過ぎ、次の五日が原因の探りあいで過ぎた。このままでは埒が明かないとペイデルに行き、町長と会って砦に向かうこととなった。セイリックがボーロックを出てから今日で五日目である。
セイリックは把握している情報を、惜しみなく二人の副師団長へと話していった。しかし、二人の表情に変化はなくセイリックは少し不安に思いながらも、口を閉じた。
「状況は大体わかりました。後はこちらで対処しますから、ボーロックの人たちはペイデルに一時避難としてください」
こちらからも鳥を飛ばしますが、とフリーブルが続ければ、ボートネスは一度自分が足を運ぶと言い出した。
「この砦で私ほど適任者はいないでしょう。魔素の扱いにも慣れていますから、湖の状態が詳しく調べられます。多少の瘴気は問題ありませんしね」
確かに魔素と術でボートネスの右に出るものは砦には居ない。湖と“精霊”の状態をきちんと把握したいのであればボートネスは適任だ。しかし、師団長不在の今、副師団長まで片方欠けるとなればとっさの行動に制限がかかる。
フリーブルとボートネスはそれぞれが実務と魔素のスペシャリストだ。
突発事態で出るネイスバルトの直感の指示と作戦がこなせるのは、フリーブルの実務能力あってのものだし、ボートネスの術は団のサポートに欠かせない。
ネイスバルト不在で二人が離れれば、新たな事態への対応に遅れを取る事になりかねない。逆もまた然りなのだが……。
「師団長には鳥を飛ばす。王都の防壁を越えられるかは不明だから、別口で早馬も出そう」
セイリックが退出した後、フリーブルは考えながらボートネスへと告げた。式典を前に警戒が厳重になっているであろう王都へ、術の鳥は入れないかもしれない。時間がかかるが手紙であれば、確実に届くだろう。
今は、その時間が問題なのだが……。
「で? 私は彼と一緒に湖へ向かっても?」
ボートネスの言葉に、仕方がないなと、消極的な肯定をしたフリーブルだった。




