62 ひんやりとした清涼感が喉元を過ぎていく。
食堂に着き、みなが席に着く。ユーリックに手を引かれて部屋に入った香は、一番最後だった。
「おはようかな、香くん。疲れは取れたかい?」
師団長の言葉に、全員の視線が香に集まって来た。なんとも情けない思いで、すごすごと席に着く。宿の使用人が皿を並べていく中、香は席で小さくなり上目遣いに師団長を見る。
「え、っと、ごめんなさい! あと、ありがとうございました」
意を決して前を向き、師団長へと頭を下げる。一瞬面食らったネイスバルトは、次には声を上げて笑い出した。
「あはははっ、大丈夫、大した事はしていないから。昨日の疲れが残っていたんだろう? ほら食べなさい」
緑の目を細め香を促す。香の表情が柔らいだことを確認すると、さあ食べよう! と、フォークを手に取った。
それからは楽しい食事が始まった。ローダーがおどけて笑いを取ればランバーが突っ込む。この二人は日頃から仲がいいらしい。ギルベルとユーリックは香の食べやすいように気を配りながら、自分の腹も満たしていく。
だがその目が徐々に険しくなってきた。香の食が進まないのである。日頃からそれほど食べるわけではないが、出会った当初からすれば多くなっていた。それなのにほとんど皿の中身が減っていない。
「香、どうした? 食べないと体が持たん。後は寝るだけだ。少し無理にでも食べておけ」
ギルベルの言葉に、香もそうするべきだと理解はする。
しかし、口の中に残る後味がなんとも言えず不快で、次の一口が進まない。口に入れれば味は普通で、食べることに支障は無い。でも飲み込んだ後、ザラリとしたえぐみが残るのである。これがお子ちゃまの舌のせいなのか、ここ独特の調理法なのか……。
どっちにしろ、香の食指は動こうとはしない。無理に飲み込んだ後、嘔吐いてしまった香に慌てた二人は、香を抱き上げ部屋に引っ込んだ。
そっとソファに座らせたときには顔色も戻り、いつもの香の顔だった。そのことにほっとして、ユーリックは水を持ってくると言って部屋を出た。
「香、ここの食事は口にあわんか? それとも他に何かあるのか?」
「えっと、ちょっと口に合わなくて、残してごめんなさい……」
しょんぼりと項垂れる香の肩に手を添え、そんな事もあるさ、と目じりを下げる。
「もう、なんとの無いのか? 食べられるようなら食べたほうがいいんだが、何か見繕ってこよう」
するりと香の頬を撫で、ユーリックと入れ替わりに部屋を出る。小さめのグラスに半分水をもらって、口をつけた。
コクリ。
ひんやりとした清涼感が喉元を過ぎていく。そして、先ほどと同じえぐみが残った……。思わずうぇっと舌を出した香に、いぶかしむユーリック。
「もしかして、水もダメ?」
申し訳無さそうにコクリと頷く香に、ユーリックはどうしようかと考える。水分を取らなければ、衰弱が激しくなるだけである。食事が取れないことより、水がダメな事の方が重大事だった。
「ゆぅーりは変な味しない?」
「……変な味? 味付けじゃなくて?」
「そう、水もだし、さっきのゴハンもそう。飲み込んだ後変な味がするの。それがね、ボクはダメみたい」
ためしに香の手にあるグラスを傾ける。馴染みのある、普通の冷えた水だった。香を見れば真剣な顔で頷く。香にとってこの水は変な味がするらしい……。
「ギルさん、わかりますか?」
戻ったギルベルに確認してもらう。注意深くにおいを嗅ぎ、口に含む。舌で転がし、コクリと飲んだ。
「いや、別段変わった味はしないが……、香は後味が変なんだな」
コクリと頷く香の前に見繕ってきた食事を見せる。時間が経っても大丈夫なパンと燻製肉、果物である。
ギルベルはパンを少しちぎり、味を確認してから香へと渡す。香も少しちぎって口に持っていった。
もぎゅもぎゅとかみ締めれば上品な甘さが口に広がった。香ばしい香りが鼻に抜ける。その美味しさを堪能してコクリと飲み込んだ。――――後味は最悪だった。
なぜか香にしかわからない味の変化。お腹は空いているのだが、手を伸ばす事はためらわれた。眉を顰め、パンを睨みつける。
うーんと唸る香を横目に、ギルベルとユーリックは顔を見合わせる。二人には味になんら異常は無い。後味もいつもと変わりなく、まぁ砦の食堂の方が旨いなとかいう位で、不満は無い。
だが、水さえ飲め無い香はどうなるというのだろう。この近辺限定ならばいい。次の宿で食えばいい。だが、次もダメだったら? 食べることも、飲む事さえも出来ず弱りきるであろう香を思うだけで、気が重くなる。
何か方法は無いのだろうか! 原因は何なのか?!
ギルベルは考えあぐねて香を見た。……瞬間!!
「香!!」
香を抱きこみ、身を伏せる。カッと光が部屋を満たし、その後一点に集まっていく。
ギルベルはゆっくりと身を起こし、腕の中の香を見る。なんら異常の無い香に安堵しながら、抱きしめなおした。
一方、急に抱きこまれた香は何がなにやら解らずに、混乱のままギルベルの胸を堪能してしまう。ドクドクドクと早い鼓動に耳を澄まし、ふと見上げれば目があった。ほっとした顔のギルベルにまたギュッとされてしまう。
横を向いた目線の先に、ユーリックが床に膝を付いていた。
その周りを蛍が舞っている。……部屋中を乱舞していた。そして時間とともに一箇所へと集まっていく。その様は幻想的で、香はサンゴの産卵はこんな感じなのだろうかと思いを馳せる。
暗い満月の夜、南の海で放たれる小さな卵。その漂う様と今、目の前で舞う小さな光。ふわりふわりと舞う様子は波間に漂う小さな卵のように思えた。
「香、動くな。傍にいろ」
香を背にかばい、光の終結点を見る。徐々に大きくなる光の玉は、両手で余るほどになっただろうか。最後の光が合流し、一際光を放った。
「!!」
三人ともが目を瞑り、視線が逸れる。
光が収まり香が瞼を開けば、そこには、いわゆるファンタジーが広がっていた。
さっきまで香が座っていたソファの上に、身長三十センチほどの女性が腕を組み、こちらを睨みつけていたのだ。




