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61 「香くん、起きよう、ごはんだよ」

道中はギルベルたちにとっては、平穏無事に過ぎているらしい。獣に襲われる事なく、盗賊がやって来る事も無く、村々で宿を取りながらの道行は順調だった。香を除いて……。


 香は出発後すぐに馬車の揺れにノックダウンされ、師団長に介抱されながら最初の宿に着いた。師団長と二人きりと言う状況に加え、気を使ったのかあれこれと喋りかけてくる。必然、答え辛い質問もあるわけで……。揺れと緊張にやられた一日目だった。

 宿に着き、揺れない地面をこれほどありがたく思ったことは無かった。馬車から顔を覗かせた時点で真っ青な香に、ギルベルたち三人が右往左往する。代表のギルベルに抱き上げられ、ベッドへと寝かされた。ちょっと豪華な夕飯の宴には出る事無く、朝までベッドの上で過ごした。


 翌日の馬車も師団長と一緒だったが、前日とは違い質問が飛ぶことなく、香の知らない三人の入隊当初の様子とか、失敗談などを面白おかしく話してくれた。前日の様子から、話の内容を変更してくれたのだろう。

 ニコリと笑う師団長はとても優しげで、失礼ながら多くの師団員たちを纏めて居るようには見えない。だが、ふとした拍子に見せる真剣な顔は、なるほど人の上に立つ人物なんだなと納得した。


「香くん、ザントはつい最近まで、人生を面白おかしく過ごしてきていたんだ。それが君にあって一変した。どんなときも君を中心に回っているらしい」


 ほらね、と、示された窓の外にはピシッと背を伸ばし、馬上に居るギルベルが見える。横目でこちらを伺う表情はなかなか強面だった。

 ギンッと前を見据える横顔はいかにも強そうで、小物ならば尻尾を巻いて逃げてしまいそうだ。そして顔を前に向けたままチロリとこちらを伺う様子は、目が細くなる事もあって、やましい事が無くともブルリと震えが来てしまいそうだった。

 それでも香と目が合えばニヤリといつもの不敵な笑みがこぼれる。とたんに香の胸は安堵に包まれ、ニッコリと返す事もしばしばだ。


 休憩のたびに入れ替わる配置で、今はギルベルとランバーが併走していた。馬車の小窓からはユーリックの赤茶髪が見え隠れする。後ろで一つに結ばれた髪は少し波打っていて、馬車の揺れにあわせ、ふわりふわりと揺れていた。




 ガラガラと進む馬車の揺れと、ふわりふわりと踊るユーリックの髪で香の瞼が下りてくる。その様子を独り占めしていることに少しの優越感を感じながら、ネイスバルトはそっと香の体を抱え上げる。

 不用意に寝入れば、時々来る下からの突き上げで怪我をしかねない。そんな事になれば、護衛のはずの二人がどんな目を向けてくるかわからない。


 ネイスバルトは、初日の香の馬車酔いで散々冷たい視線を浴びたのだ。これ以上は何とか避けたいと思うのが人情だろう。

 初めこそ警戒していたが、時間と共に笑顔を見せてくれるようになり、ポツリポツリと言葉もでてきた。もう少しすれば、香が感じたことや思ったことなども語ってくれるかもしれない。

 砦での休憩時間に近くをうろつけば、香の話題は自然と耳に入ってくる。悪意のこもった物はほとんどなく、その悪意も香に夢中になっている者への揶揄が大半だった。


 砦への着任当初、師団員たちの掌握に手間取った自分を思い出すと、香が羨ましくなってくる。しかし身近に接すれば、香の好ましい性格に皆の態度もなるほどと納得するしかない。

 この位の子どもとなればもっと我が儘で自己中心的な者と思っていたが、香はこの小ささで大人の分別を持っているとしか思えない。若い師団員よりも人間としては上ではなかろうかと思うことさえある。


 ガタンッ!


 急な突き上げにネイスバルトは思考が中断される。

 膝の上の香はムニャムニャと目覚めかけるが、まだ上下の瞼は離れがたいようで、ネイスバルトの服に顔を擦りつけ、また寝入っていった。


 その日はそのまま香の眠りを妨げないように、心を配った。……と、いうのに、宿に着き馬車を降りたネイスバルトを待っていたのは、ザントとアルバからの冷たい視線であった。

 どうにもネイスバルトの膝で眠る香が許せなかったらしい。その不満の矛先が香ではなく、ネイスバルトへと向かうことが、二人の香への気持ちを表していた。


「師団長、香の安全を守っていただき、ありがとうございます」


 頭を下げながらも視線は冷たい。なんとも器用なギルベル・ザントだった。



  〜・〜・〜



「香くん、起きよう、ごはんだよ」


 軽く揺すられ目を開ければ、メロンゼリーの瞳があった。思わず手を伸ばし抱きついてしまう。頬を寄せ、くっつけたところで、はたと気付く。


 もう馬車の中じゃない、いつの間に建物の中に入ったの? ごはんは夕食?


 香は馬車の中から、ユーリックの髪を見ていたことは覚えていた。でもその後あったはずの休憩も、集落に入ったざわめきも記憶に無い。ずぅーっと眠っていたのだろう……。

 師団長さんに変なところ見られてないだろうか? 涎とか、寝言とか、よだれとか…………


「香くんはお昼の後、師団長の膝の上で眠っちゃったんだよ。寝心地は良かったんじゃないかな、今まで起きなかったし」


 ユーリックの言葉に、目がまん丸くなる。


「え? ……えっと、はあ〜!?」


 驚く姿が面白くて、ギュウッと抱きしめ香を補充する。小窓から見えた二人の様子は、師団長の年齢もあり仲の良い親子に見えたのだ。半分抱きつくように眠る香の姿はいつもの寝相だというのに、師団長に嫉妬した。

 だが前日の青褪めた顔を見るよりずっといい。そう自分に言い聞かせながら、ユーリックは手綱を取っていた。


 でもここで香に、少し意地悪に告げることは許して欲しい。だって一日中一緒の師団長には、視線の抗議しか出来ないのだからね。


「師団長、ずっと香の枕になってたと思うよ。ご自分が香を抱きしめる事で、馬車の揺れを軽減させようとしたのかもね」


 ずっと寝てた事だけでも顰蹙モノなのに、その上クッション代わりとは……。どうしよう、師団の保護下に居るから安全なんだっていわれたのに、そのトップをクッション代わり……。

 もともと足手纏いなのに、迷惑まで掛けては情けなさ過ぎる。うるっと目の奥が熱くなるのは、自分が子どもだから! 思考が混乱してまとまらないのも子どもだから! でも師団長さんに、ありがとうと、ごめんなさいは言わなくちゃと、ユーリックの肩を押す。


 とすりと下ろされ、香の手を取り歩き出す。ちらりと見えたユーリックの顔が、なんだか悲しそうに見えて……。


 香はどうしたのかと心配しながら後を追った。



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