60 大きな手と小さな手。
翌朝、香はなんだかスッキリしない気分で目が覚めた。夢を見た気もするが、内容は覚えていない。誰かが怒っていたような気もするが、確かでもない。
何か靄がかかった様な、言いたい事があるのに言葉にならないもどかしさのような、なんとも言いがたい違和感が香の中に渦巻いていた。
う〜んと唸りながら首をかしげる香にユーリックは笑いをこぼす。
「香くん、おはよう。どうかしたの?」
クスクスと笑いながら、ユーリックが香の頭をなでる。
「なんか、夢見た気がするんだけど、覚えてない……くやしい」
「いい夢だったんだ」
「……違うと思う。なんか怒られた夢? だと思うんだけど、わかんない」
香の言葉に眉を寄せるユーリック。少し考えながらも、香に着替えを促した。
「今まで“精霊”とあったことはある?」
パジャマ代わりの衣服を畳みながら、ユーリックが尋ねる。香は上着のボタンに四苦八苦しながら、湖畔での事を思い出した。
ユーリックに伝えてもいいのだろうか? 香が嫌がっても傍に居ると言ってくれたユーリックに、自分が今返せるのは、信頼だけなきがする。香が異世界から来たことは知っている。でも、向こうでは十九歳だった事とか、女だった事は知られていない。
中身が子供じゃないことが知れたら放り出されるんじゃないだろうか……。
ユーリックがもし受け入れてくれても、ギルベルはどうなんだろう。ユーリックはギルベルも同じ気持ちだよって言ってくれたけど、ギルベルの返事は聞いていない……。
ユーリックの勘違いかもしれないじゃないか!
“精霊”の舞を毎夜見ていたのは、会ったことに入るんだろうか? なんて思いながら、香は軽く頷く事でユーリックの問いに答えた。
「語りかけられた事は?」
これにはなんと答えていいのか、本当にわからない。
何か話したことがあるのは解るのだが、話の内容はまったく覚えていない。ただ自分が大事にされていること、そしてレイシェスと言う名前だけが記憶に残っている。
香の困った様子にユーリックは頭を傾げる。どういう状況だったのか、知っておく事は大事だと思い聞いてみたが、なんとも要領を得ない。それが本当にわからないからなのか、何か話せないことがあるのか、その疑問を口にすることはなかった。
そのかわり、微妙な雰囲気を吹き飛ばそうと香を抱き上げ、とびっきりの笑みを向け頬擦りしながら抱きしめた。ご褒美は真っ赤になって恥ずかしがる香だった。
〜・〜・〜
朝食を終え準備を整えた後、砦の門へと集まった。がやがやと支度を急いでいる者は、十名ほどだろうか。ちらちらと香を見て小さく手を振る者も居る。おやっと思いながらも、ニッコリ笑顔とバイバイをお返しする。
目の前にある地味目の箱馬車で、王都まで向かうことになりそうだ。なんの装飾もなく、本当に四角い箱にしか見えない。ニスが塗られているのか艶はあるがそれだけで、金具が装飾的だとか、文様が付いているとか、なんてことはない。それでも師団長さんが乗るのだから中はすごいのだろうか?
香は少しわくわくしながら、人の動きを追っていた。二頭立ての馬車と六頭の馬。確かギルベルとユーリック、フォルハが護衛のはずで、あとは師団長さんと香。
「香くん、おはよう。眠くない? これからよろしくね」
声をかけてきたのは食堂でよく見かける騎士さん。残念ながら名前は知らない。タレ気味の目が特徴の、師団長さんより濃い金茶髪の人。その隣には一見黒髪にも見える茶髪の人。
「俺はローダー、こいつはランバー。これから王都まで一緒だ。俺達二人が交代で御者になる。あとのザント、アルバ、ライトは騎馬での護衛だ」
なんか数が合わないようなと首を傾げれば、二頭は予備だといわれた。主に荷物と緊急時の代え馬らしい。
「ランバーが夢中になるのも頷ける。ホントに男の子か?」
ぽすっと香の頭に手を置きながら黒茶髪のローダーが言った。ブーと香が膨れればニヤニヤとしながらターバンを捏ね繰り回す。
おかげで緩んできてしまったではないか!
横でランバーがそろそろ止めろと手を押さえたところで、やっと開放された。緩みほどけそうなターバンを手で押さえ、ちょっぴり涙目になりながらローダーを睨みつける。
「香くん、緩んじゃったの?」
馬の様子を見終わったユーリックが、香のターバンを巻き直していく。シュルシュルとほどかれ、現れた銀色が光を弾く。軽く整え、またクルクルと巻いていく。
香はもしこれ以上気温が上がれば、頭が熱くてたまらなくなっちゃいそうだな、なんて思ってしまった。当初は重く感じたターバンも、今では無いと落ち着かない。慣れって恐いと思った出来事だ。
出来上がりの言葉と同時に、ぽすんと頭に手を置かれる。自分の頭は、そんなに具合のいい高さなんだろうか……。置かれたユーリックの手を持ち上げ、手をつなぐ。普通につなぐと大きすぎて、ユーリックが握ってくれなければ滑り落ちてしまう。だから香は人差し指と中指を握る。
大きな手と小さな手。
ユーリックの手はしっかりとした厚い皮に、綺麗な爪が並んでいる。桜色のそれは大きな手の中で可愛らしさを放っていた。香はそのつるりとした爪の感触が好きで、指先で遊んでしまう。
ユーリックは香の自由にさせてくれるから、捏ね繰り回した手をしっかり握って見上げれば、そこにはゆったりと笑みを浮かべるユーリックが居た。
『何があっても、香くんがどう思っても、僕は君の傍にいるから』
不意にユーリックの言葉を思い出す。自分を見るその目はただの慈愛? それとも……。
香は大きくなったざわめきに、師団長の到着を知る。ユーリックと繋いだ手を離そうとしたが、反対に握り込まれてしまった。困惑しながらも、師団長を見る。こちらを見て、やぁ! と手を挙げ笑みをこぼす。でも、その視線の先が、繋いだ手に行ってることなんて気付いてないんだから!
その後、師団長はしばらく留守にする旨を伝え、砦を頼むと二人の副師団長に言い置いた。どうやらボクは師団長と一緒に馬車の住人となるらしい。舗装のされていない道を行く馬車の内部は遠慮したいが、師団長が満面の笑みで待っていた。
ギルベルが前に立ち、馬車が続く。その横を、ユーリックとフォルハが、代え馬の手綱を取りながら進んで行く。そして最後尾はランバーだった。そうなれば必然御者はローダーで、小さな窓から顔を覗かせ、ニヤニヤと香を見ていた。




