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59 「……蜂蜜か?」

 泣き疲れ眠った香の体を拭い寝かしつけた後、ユーリックは再びギルベルの部屋を訪れた。香が庭へ行った後、掛かった招集について聞くためだ。


 長期治療部屋から香が去った後、伝令管が鳴った。砦に張り巡らされた術を仕込んだ管が叩かれる事で、隊長格への緊急招集が発令される。

 今回は大隊長以上が対象となったが、内容によっては中隊長であるギルベルも他人事ではなくなる。案の定例外的にギルベルにも声がかかり、師団長執務室へと向かったのだ。


「今日の召集内容、聞いてもいいですか?」


 椅子に座りグラスを傾けていたギルベルは、向かいの席を顎で示し座るよう促した。


「今日の午後、教団アリ支部の一室で魔素の異常爆発が起きたらしい。一気に多量の魔素が集まり、部屋に居た者の安否は不明だそうだ」


「違法な実験でもしていたのでしょうか?」


「それはないだろう、するとしたら郊外にも支部はある。わざわざ中心地の支部でする必要があれば別だがな」


 サヌエル・プレスを見張っていたからこその情報だった。魔素の異常爆発はその場に居なければわかり辛い。人は清浄な魔素溜りに心地好さを感じるが、少し離れればそこが魔素溜りであるとは感じられない。

 同じように、その中にいれば分かるのだが、突然近くで魔素が高まっても気付く事は出来ない。


 今回発覚したのは砦の『耳』が見聞きしたからだった。建物の被害も無く、大きな人的被害も無い。『耳』がいなければ気付かなかっただろう。


「何の部屋です?」


「……この部屋の主は客分のサヌエル・プレスだそうだ。時間的には香が目覚めた辺りらしい」


「香くんは関係あると思いますか?」


「わからん、……情報が少なすぎる。もし、そうだとすれば“精霊”の変容にかかわってくる。下手な事は言うな」


 ユーリックは神妙に頷きギルベルを見る。香のことに気を取られてはいるが、香を前にしたときとの違いはどうだろう。いま目の前に居るギルベルは、ユーリックのよく知る素行に難のある、優秀な騎士である。

 だが自分と同じく香に参っているらしいこの男は、香の前で自分の表情がころころ変わっていることに気付いているのだろうか?

 内面を容易に読まれるようでは、隊を率いる者として失格である。王都まで護衛対象の師団長はもとより、香も一緒だ。少数での移動だが、危険がまったく無いとはいえない。


 もし香に危機が迫った場合、平静でいられるのだろうか? それは、ユーリック自身にも当てはまる問いだった。



 キラリとランプの光をグラスが跳ね返した。それを見ながら、ユーリックはもう一つの懸念事項を口にする。


「気付きましたか?」


「……蜂蜜か?」


 飲み終えたグラスを揺らしながらギルベルが答える。その目は虚空の一点を見据えていた。


「“精霊”でしょうね。師団員もそのうち気付きます。誤魔化すべきです。 光の下ではまだ、蜂蜜ですし……」


「下手に騒がれると厄介ごとがやって来そうだ。俺たち二人が違うといえば、気のせいだったと思うだろう」


 俯いていたときには気付かなかったが、香の瞳の色が変わっていた。いままでのとろりとした蜂蜜色ではなく、紅茶と混ざったような暗く赤味を帯びた色になっていた。アリの者達によく見る瞳の色だ。だが、光に煌めけば今までの蜂蜜色が現れる。

 食堂ですでに気付かれただろうか? 

 香の瞳はその時の気分に合わせて色を変えてきた。楽しいときは明るく、沈んだ時は暗く、ただけぶる睫毛の影と言われればそうだろう。楽しければ上を向くし、そうでなければ下を向く。


「医務長と副師団長は無理でしょう」


 問われるまで口にするなと告げたあと、もう寝るぞの一言でその場はお開きとなった。



  〜・〜・〜




 翌日、香は午前中を小姓のお仕事に費やし、午後はカイと遊んで過ごした。フォルハも混じった広い場所での追いかけっこはなかなか楽しく、自分の精神年齢を忘れて夢中になった。

 植え込みで出来た傷は薄っすらと跡を残すのみとなっており、カイの『嫁』発言を問いただせば、香を女の子と思い込んでいたらしい。


 香としてはどの辺りが女の子だったのかを聞きたいが、カイは、全部に決まってんじゃん! と、言い切った。傍のフォルハに問いただせば、おとなし過ぎる男の子だそうだ。それって男の子じゃないんじゃない? と思っても、これで口を開けば大きな墓穴が待っていそうで止めた。


 カイは母親から、女の子を傷つけたら承知しないと言われていたらしく、香のキズに自分が係わっていた事がよほどショックだったらしい。薄くなった傷跡に、一番ほっとしていた。


「だって、かあちゃんには近所のオジサンも勝てないんだぜ、地域の元締めなのにさ……」


 カイのお母さんはよっぽどの恐妻家らしい。ブルブルと自分を抱きこむ様子は実感が篭っていた。香がクスクスと笑えば、ふてくされた様に口を尖らせ、横睨みする。そんな様子が可愛くて、生まれなかった美弥(義母)さんの子どもを重ねてしまう。

 そういえば父さんも美弥(義母)さんには弱かったっけ、よくたじたじになっていたよな、なんて思い出す。



  〜・〜・〜



 訓練中の師団員達は、香たちの楽しげな様子を遠目に見て笑いあう。何かと騒がしくなった香の周囲が、やっと落ち着いたのだ。明日には王都への出発だが、それまで穏やかに過ごせるのならばそのほうが良い。


 砦に来た当初はギルベルの腕の中にいることが多く、横目で見ることしかしなかった。キズが治り、砦内を歩き回るようになると、その愛嬌あるしぐさや愛くるしい笑顔に、故郷の娘を思い出すものが多発し、香の目撃情報がやり取りされるようになったのだ。


 その香に降りかかった災難に全師団員が憤った。だが、今の笑顔と楽しそうな様子を見られれば、頬が緩んでくるのもまた事実。これから香にどうやって近付こうかと考え始めるのであった。



  〜・〜・〜



 その夜、部屋に戻った香はユーリックに手伝ってもらいながら、明日の準備をしていた。初めての長旅に、何が必要なのか教えてもらうのだ。


 王都へはアリから馬車で十日ほど。余裕を持って十三日で到着予定だ。

 途中の村や町で調達できる物は置いていく。大きな荷物はそれだけで夜盗を呼び寄せる。着替えも荷物も最低限だけ持っての出発となった。


 明日への緊張でなかなか寝付けない香に、ユーリックは寄り添い小さく歌を口ずさむ。ゆっくりとした歌のリズムに合わせ、体のあちこちを撫でさする。香はその心地好さと、柔らかな歌声にうっとり目を閉じ、温かなユーリックの手を堪能する。


 そして、いつの間にか夢の扉を開いていた。



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