58 ブチュ~ッ!!
その日の夕食は、ちょっと沈んだ香と、同じく沈んだ保護者二人。そして、ビクついたカイと、呆れ顔のフォルハで取った。
いつもは和やかなテーブルが澱んでいる事に、師団員の顔も曇ってしまう。香の顔や手にある包帯に、また何かあったのかと眉をよせる者、沈んだ香の顔に心配する者。
おいしそうに食べる香に癒されようと待ち構えていた者たちは、苛立ちのままに大人三人へと視線を送る。
いつもならば真っ先に反応するギルベルではなく、フォルハが気付きなんでもないと視線を返した。それにさえ気付かない保護者二人の足を、テーブルの下から蹴り上げる。
「!!」
「っな……!!」
不意の衝撃に、全員の目がさまよう。何が起こったのか、怪訝な顔で香は皆を見た。その視線に怒気を阻まれ、気まずそうに目をそらすギルベルとユーリック。香から外された視線はフォルハへと向かった。
「どうかしたの?」
「! なんでもないよ、香くん。食べ終わったら汗を流そうか、医務長からお風呂は良いっていわれた?」
「しみるかもしれないけど、良いよって言われた。だから大丈夫、一緒に入ろ」
ユーリックを風呂に誘う香を恨めしげに見るギルベル。もうそこには、大人の威厳はなくなっていた。香の言動に振り回されるその様は、恋に溺れた哀れな男としか言いようが無い。
「俺も一緒に入っていいか?」
「カイくんは医務長の元に戻った方がいいでしょう。君の身柄を預かっているのは医務長ですから」
間髪いれずにユーリックが答える。カイはパクパクと口を開き、ユーリックを指差しながら香を見る。意味は、何でこんな事言われるんだ? である。
香はあいまいな笑みを浮かべ、こてんと頭をかしげる。
「医務長さんに心配掛けちゃダメだよ」
出てきたのは当たり障りの無い内容で、カイの望む言葉ではなかった。ぷーっと頬が膨らみ不満を表すカイに、ギルベルが気迫を込めた一瞥を放った。
「ひっ……」
「だいじょうぶ? どっか痛いの?」
「こいつは治療室に戻るんだ。大丈夫だろう」
ギルベルの言葉に、そうだけど……と、いまいちスッキリしない香。うーんと唸りながら最後の一口を食べ終わり、ぴょんとユーリックの膝から飛び降りた。ちなみにカイはフォルハの上である。
「今日は自分で片付ける。トレイちょうだい」
テーブルの横から手を伸ばし、ニッコリ笑顔でお願いすれば全員がたがたと立ち上がった。ユ−リックから受け取ったトレイを持ち、カウンターを目指す。
男たちには少し狭い通路も、香は体を捻る事無く進んでいく。トレイを傾けないように気をつけ、目があった師団員にニパッと笑う。
がんばってるなとか、もうちょっとだぞなんて言う声援が聞こえれば、香はもうニコニコである。無事カウンターへと返却し、調理師達にごちそう様を言えばひょいとユーリックに抱き上げられた。
いつもの優しい笑顔でほっぺにチュッ! 今日初めてのそれが嬉しくて思わず香もチュッ! と返していた。
「ぅをおおおお〜!!」
食堂が揺れ、ユーリック以外が皆、顔を悲嘆に染めた。ユーリックの肩越しに師団員を見れば、変なダンスを踊る男たちが見える。気にしなくていいよと、ユーリックはもう一度とろける笑顔でキスをした。
〜・〜・〜
ゆらゆらとユーリックに揺られ、満腹のお腹が眠れと誘う。午後にはしゃぎ回ったから結構疲れていたらしい。狭くなる視界を何とか維持しようと目をこするが、上手くいかない。はふっと欠伸をかみ殺し、自分で歩くと主張した。
クスクス笑いながら下ろされたが、不本意ながら足に力が入らない。手を引かれて歩いていくが時々かくんっかくんっと膝が笑う。何でこんなに眠いんだと自分を呪っていた香は、再度抱き上げられ硬直した。
「わるい、驚かしたか。だが、あまりにも危なっかしくて見ていられない」
ばつの悪そうなギルベルの顔を見て、どうするべきかとユーリックを見る。
「香くん、ギルさんにも笑ってチュッてしてあげなよ」
えっと、それは、さっきは勢いがあったからで……。戸惑う香を見てギルベルの顔がみるみる沈んでいく。ギルベルから顔をそらされ、香はショックを受けながらもえいやっと顔を寄せた。
ブチュ〜ッ!!
勢いあまって顔にぶつかりぎみのキスになってしまった。それは、出会い頭の事故のキス、といってもいいぐらいの勢いだった。
「ぎるべる、ごめんね痛かった?」
少し歯も当たったかも、なんて思ってギルベルの頬に手を伸ばす。
「香のキスが痛く感じるほど柔じゃない。気にするな」
ニヤリと笑って香を見る。いつもの顔が嬉しくて、香はぎゅっと抱きついた。
何か避けられていると思った香から抱きつかれ、ギルベルは満足げな顔をする。片頬だけ持ち上がった笑みは、悪いことを考えているとしか思えない。
そんなギルベルにはぁーと大きなため息をつき、脱力気味にフォルハは離れていった。
「香くん、部屋に着いたら聞きたいことがあるんだ」
隣を歩くユーリックの言葉に、香は顔を上げる。聞かれて困る事はちょっとしかないので、首を傾げながらも頷いた。
一度は遠退いた眠気が再び香を襲う頃、ギルベルの部屋の長いすに三人並んで座っていた。
「香くん、もし何か心配な事とか気になることがあったら、僕たちに教えてね。遠慮なんてしないこと、約束して欲しい」
香を真ん中に、二人はその両側に座って話し始める。
「香くんが何を気にしてるのか、何を思ってるのかも全部知りたいくらいなんだ。話してくれないと解らないからね」
ユーリックの言葉に、反対側のギルベルも頷く。少し眉を下げ、情けないような顔をして香に言った。
「オレは昨日から、香にはもうオレは必要ないんじゃないかと思っていた。フォルハに懐き、カイと言う友達も出来た。体も回復し、自衛手段が出来れば砦を出るだろう。そうなればオレは傍に居なくてもいいいんじゃないかってな」
ギルベルの言葉に大きく目を見開き、呆然とする香。その目がみるみる潤み、やがて滝のように流れ始める。
声もなく、涙する香を見るのは二度目だった。
守ると誓ったはずの香をまた悲しませる。やはり自分は離れた方がいいのだろうか……。
「ぎうべるは、居なくなっちゃうの? ぼくは、一緒がいい。……昨日から嫌われちゃうって、恐かった。僕に友達が出来て、楽しく話したから、子守は終われるって……」
必死に言葉を紡ぐ香を、後ろからユーリックが抱き寄せる。その胸に囲まれ頭を撫でられれば、それ以上言葉はでてこなかった。
嗚咽をかみ殺しながらユーリックに縋りつく香に、ギルベルはただおろおろとするのみで、頭の中は一緒がいいと言った香の言葉が回っている。
「ギルさんも僕と一緒だよ。ずっと香くんの傍に居る。イヤだって言っても離れないと思うよ、でしょ、ギルさん」
ギルベルはユーリックの取り成しに、ただブンブンと頭を振る事しか出来なかった。
香には見えていないというのに……。




