55 「そんな……、考えた事ないし、男の子だし……」
ゆっくりと目を開けた香は、その瞳に遠目にしか見たことがなかった“精霊”を映した。
動きにあわせ光が踊るその姿は湖で見たそのままで、長い髪にロングドレスの“精霊”は金の瞳を持っていた。
――香、会いたかった。あなたにとっては初めましてよね――
ニッコリと人懐っこく笑う“精霊”に曖昧な笑みを返した。
――やっぱり可愛い!! 私の愛し子――
全身で喜びを表しながら香を力いっぱい抱きしめる。ぎゅうぎゅうと締め付けられる香は目を白黒してしまうが、“精霊”はいっそう力を込めてくる。逃れようと体を捻って初めて力が弱まった。
――ごめんね、あんまり嬉しくて……。ねぇ香、私を見て、顔を見せて、……やっぱり金の瞳だったのね。隠さなきゃダメよ――
自分の瞳がどうしたというのだろうか? 間近に見る“精霊”は大きな金の瞳を煌めかせ、桜色の小さな唇を動かしながら、香に話しかけてくる。
――ねぇ、声を聞かせて。まだ香の声を聞いてない。私の名を呼んで欲しいの。レイシェスって呼んで――
「レイシェス?」
――そう! レイシェス!! うれしい、香に呼んでもらう事が出来るなんて夢みたい!!――
両手を胸の前で組み、踊るようにくるりと一回りする。ふわりと舞う、裾と毛先。ほうき星の尾のように光が後を追う。
少女のような無邪気さで香の手を取り、楽しげにくるくると回り続ける。
――香、香は誰が好きなの? ギルベル・ザント? ユーリック・アルバ? それとも大穴、フォルハ・ライト?――
「え?! えぇーーー!!」
急に振られた話題にあたふたと視線をさまよわせる香に対し、フフンとばかりに顔を寄せるレイシェス。慌てる香を微笑ましげに、そして面白がるように見つめていた。
――白状しなさい。だぁれ?――
「そんな……、考えた事ないし、男の子だし……」
――子どもがイヤならそのままでいる? 急に成長するのは大変だけど、もう香なら大丈夫。アウラに馴染んでるから――
レイシェスの言葉に自分を見下ろす。そこには自分には馴染みのない、しかし、見た事のある姿があった。
砦で見慣れた自分とは違う育った手足。少し骨ばった、女の子とは違うしっかりとした男の手だ。その手の向こうにちらりと見えるのは、イチモツである。
少し目を逸らしながら足先を見れば、こちらも見慣れない骨ばった足があった。
――そんなに目を逸らさなくてもいいじゃない。自分のモノなんだし……これから存分に可愛がってもらわなきゃならないのに、嫌わないであげて――
自分のモノなのは百歩譲ってわかるが、可愛がってもらうってどういうこと!?
〜・〜・〜
フォルハとカイを追い出した二人は、香の治療に取り掛かろうとしていた。痛みに耐える香を眠らせ、様子を見る。香の体の発光は未だ収まらないどころか、眩しさを増していた。
「やはり“精霊”でしょうか……」
「そう考えるのが妥当だろうな」
「中へは入らないほうが、今は……様子を見るべきでしょうかの」
「前回同様、香くんの一大事には御出まし頂けるようだな」
ベッドで眠る香は先ほどまでの痛みに歪んだ顔ではなく、穏やかな笑みさえ見えるような表情で目を閉じている。時折りピクリと動く瞼は夢でも見ているようで、薄く開く唇とあいまって微笑ましかった。
「今、我々にできることは、待つ意外にないでしょうかの」
「…………」
ボートネスは腕を組み香を見ている。医務長は様子に気を配りながらも、のんびりとした空気を纏っていた。
「医務長は“精霊の子”についてどの程度の知識がある?」
「ふむ……、一般的な事のみでしょうか」
「私も似たようなものだ。“精霊”との間がこれほど親密だとは思わなかった」
「ほかを知りませんから、なんとも……」
昼の光が差し込む部屋で、淡く輝きながら眠る“精霊の子”。香が損なわれようとすれば、“精霊”からの手が伸びる。これほどの加護を与えるのであれば何故“精霊”の変容が問題となるのだろう。魔素に関すること以外には力を発揮できないのだろうか?
〜・〜・〜
クスクスと笑い、香の頭を豊かな胸に抱きこむレイシェス。女の子だった香にとっても好ましく、羨ましい膨らみに、真っ赤になった。
――香、……香、人生を謳歌して頂戴! あなたが自分で決めた事なら私は応援するわ――
一つに編まれていた髪をほどき、細い指を通しながらレイシェスは言う。この“精霊”は何故これほどまで香に良くしてくれるのだろう。
この世界の人々は自分に優しすぎる。自分に返せるものはないのに、大きく包み込んでくれる手がなんと多いのだろう。
スンッと洟をすすり、溢れようとする涙を堪える。
――舞は覚えてる? あの舞は魔素を整える事も出来るのよ。周囲と自分の魔素を整え、自分にとって最適な状態へと持っていくの。香の中の瘴気も浄化されるわ――
香はまわりに暖かく気持ちいい魔素を感じる。心が癒され、自然と体の力が抜けていく。
「あなたは“湖の精霊”?」
――そうよ、でも香には名前で呼んで欲しいな。香はとってもそっくりね、姿はあいつに、その性格はあの人に……――
レイシェスは何を知っているのだろう。香でさえ知らない父親を知っているのだろうか?
「あの、私の父を知っているの?」
――知っている、……そうね、知ってる。でも、それだけ、……いつか教えてあげる。香の両親の事。今は香と話せることが嬉しいの! 煩わしい事はみ〜んな、あとまわし(・・・・・)!!――
ますます胸に押し付けられ、香はとうとう息が詰まった。軟らかい膨らみに顔を覆われ、その弾力が鼻と口をふさぐ。とっさの事に手足をバタつかせるが、レイシェスは離そうとしなかった。
香を見るその目は愛しげで、悲しみが奥に潜んでいる。暴れる香を難なく押さえ込み、少しずらした胸の間から大きく息が漏れるのを、微笑みながらまた抱きしめた。
――部屋の外が大変な事になりそうだから、そろそろ戻らないとね。香、名を呼べばこうやって会えるから、いつでも呼んで頂戴、私は大歓迎だから! 体は急に大きくなっても周りが混乱するだろうから、香がいいと思ったときに言ってね。それから傍の二人になら私ことは伝えていいけど、そのほかにはしっかり人柄を見定めないとダメよ。後は……――
「レイシェス、ありがとう。もしかしてずっと見守ってくれてた?」
レイシェスはその大きな瞳をみるみる潤ませ、留まる事の出来なくなった雫がほろりと零れ落ちる。
「うぁ、ごめん。なんか変な事言った? ……泣かないで、お願い」
香はほろりほろりと流れ落ちる雫を指で掬い取り、もう片方の手で頭をなでる。見た目異常にふんわりとした綿毛のような髪をよしよしと撫でさすった。
「え、な、なんで、何で泣く!」
ふぇ〜んと、まるで幼子が泣くように香に抱きついて、涙を零す。えっくえっくとしゃくりながら、だって止まんないんだもんと呟いている。その背をぽんぽんとしながら、香は何か可愛く思えて、にんまりとしていた。さっきまではお姉さんのような雰囲気で、今は妹のよう。“精霊”とはこんなに可愛らしい存在なのだろうか?
やっと収まったのか、香の瞳を覗き込み少し赤くなった目元をニッコリと緩ませた。




