54 「おれ、カイって言います。あの、本当にありがとうございました」
「医務長、香くんのことで話があるとか」
フォルハを引き連れボートネスが顔を見せた。
「副師団長、わざわざ申し訳ない。香くんの中にある残滓が、全身に回って悪さを始めておりましてな」
眉を寄せ、下腹を抱えて横たわる香を示しながら医務長は言う。
「何とか集めて排出か……」
「はい、副師団長ならば出来るかと。以前の特訓の成果をまた見せてくだされ」
「!? ……香くんの魔素の入れ替えを私が強制的にしてしまうということか?」
ボートネスならば自分の瘴気を排出する事が出来る。香から瘴気を引き受け、体外に排出する事は難しくない。
香では圧倒的に経験が不足している。自分で瘴気をまとめ排出する事はいずれ出来るにしても、今は時間が無い。ならばと医務長はボートネスを頼った。
医務長が自分で香の内部に入ることは出来ない。治療士として、人の内面への侵入は禁止されている。だから知識として方法は知っているが、使ったことは無い。経験の無い自分よりも適任者がいるのだからと、フォルハにボートネスを呼びに行かせたのだ。
大人たちの難しい話などそっちのけで香を見つめるカイは、小さな異変に気がついた。
「香! 何かお前、光ってねぇ?」
カイの言葉に振り向く医務長。ボートネスも以前を思い出し、また“精霊”だろうかと身構える。一人あたふたと見回すのはフォルハだった。カイは香の瞳に見惚れながら、香を包む不思議な輝きをみた。
「なに?」
香は自分の手を見て、あたりを見回す。何にも変わったことは無いように思えるけど、副師団長さんも、医務長さんもフォルハでさえも何か慌てた感じになっている。カイだけは呆然としているようだけど。
現状は香には混沌としていて訳が解らない。ただ体の痛みが引けばそれでいい!
「副師団長が治してくれるんですか?」
「!!、ああ、そういう事になるかな。香くんの中から強制的に瘴気を取り出すんだ。纏めるのに時間が掛かるかもしれないが、何とか早く終わらせよう」
「はい、お願いします」
香が頷けば、治療開始である。カイは追い出され、フォルハも通路で待機となった。
〜・〜・〜
「なぁ、おっさん、……なぁ、……おい、おっさん! 聞こえねぇのかよ」
「俺はおっさんじゃねぇ、チビ」
ギロリと睨めば走った悪寒にカイは背を竦ませた。
「じゃあ、にいちゃん。香はどうなってるんだ? 死なねぇよな」
「縁起でも無い事、言うんじゃない。俺だからまだいいが、厄介なのに聞かれたらお前、地獄みるぞ」
さっきの一睨みでさえ、カイには地獄に足を突っ込んだように感じたのだ。それ以上となれば何とか回避しなければならない。
「なんだよそれ、脅しかよ! おれ脅して楽しいのかよ」
「香くんのことは医務長たちに任しとけ、お前は治療じゃないのか?」
フォルハをにらみ口を尖らせ、カイは悪態をつくため口を開こうとした。
「フォルハ、香に何かあったのか! 昼はどうした?!」
「――――中隊長、香くんは中で医務長と副師団長から治療を受けています」
つかつかとカイの後ろからギルベルとユーリックが現れる。その二人の険しい表情に引きながらフォルハは答えた。
「医務長の診断はどうだったんだ」
「一刻を争うと、だから副師団長においでいただきました。くわしいことは医務長からお聞きください」
一気に険しくなった顔を扉に向け、睨みつけるギルベルの背に、ユーリックの視線が刺さる。
「ギルさん、香くんの異変に気付いてたんじゃないんですか?」
ユーリックを振り返り、ギルベルはただのカンだと伝えるが納得しない。ユーリックはその目に怒りとも取れるような色をのせギルベルを見据える。自分が気付けなかった香の異変に、ギルベルが気付いた事に歯噛みする。自分は、この騎士にはかなわないのだろうか?
そんな思いが胸を掠め、答えないギルベルに対し、何か隠し事でもしているのかと疑いが芽生えてくる。
実際、プレスの捨て台詞は未だギルベル一人の胸の内にあり、ユーリックの疑いは的外れではない。ギルベルもユーリックからの目線を感じながら、平然と返していた。
〜・〜・〜
香は眠れるなら眠れという医務長の言葉に従って目を閉じ、心を落ち着かせようとした。しかし痛みが邪魔をしてなかなか上手くいかない。強張り汗の滲む首筋に、ひんやりとした布が当てられる。
その心地好さに顔が緩み、それに合わせ医務長は沈静の魔素を施した。
痛みはあるが、どこか遠くの出来事のように香の意識がゆったりと漂う。あれ、何か不思議な感覚。香は自分の今居る場所がわからなくなった。
確かに医務長の魔素を受けていたはずなのに、その感覚は何処か遠くへと行ってしまった。体に感じる違和感と、下腹の痛み。現実であったはずのそれらは今、感じることは無い。
軟らかい光が溢れるそこは、もしかしたら真綿にくるまれ、揺り籠に揺られる赤ん坊はこんな感じなのだろうかとか、母親のおなかの中で羊水に漂っている安心感のような、なんとも心休まる空間だった。自分が立っているのか座っているのか、寝転んでいるのかさえ解らずにゆったりとたゆたう。
香は自分の意識が、空間にとけるように拡がっていくのを感じた。
〜・〜・〜
カイは後ろからの野太い声に飛び上がり、思わずフォルハの陰から様子を伺う。
視線の先に強面の大男と、自分を助け出してくれた騎士がいた。二人とも厳しい顔でフォルハに詰め寄り、香のことを聞きだしていく。だがカイの目にはユーリックしか入っていなかった。
自分に一瞥もくれず、扉と大男の背を睨む騎士は、殺されるんじゃないかと諦めていたカイを砦へと連れて来てくれた。その騎士の名を治療士から教えてもらった。
あれから一度も顔を会わせることが無かった彼が今、目の前にいる!
会ったらお礼を言わなきゃとか、どうして助けてくれたんだろうとか、初めは何て言おうかなどと思っていた。
「あ、あの、助けてくれてありがとうございます!」
今、気が付いたと言わんばかりの二対の視線にたじろぎながらも、ユーリックをひたと見つめる。
「おれ、カイって言います。あの、本当にありがとうございました」
「カイ!?」
勢いよく頭を下げたカイの頭上に、野太い声が落ちる。
一気に周囲の温度が下がった気がするのは、カイの気のせいでは、絶対にない!!
〜・〜・〜
――香、……香、起きて。こっちを見て
拡がっていた香の意識が集まり容を取っていく。ゆっくりと現れた姿は、アウラに初めて降り立った十九歳の香だった。




