53 「なんだよ、おっさん! はなせ、離しやがれ!」
ギルベルとの話を終えて帰っても、香は目覚めてはいなかった。そのことに安堵しながら、顰めた香の顔に不安がよぎる。ユーリックは額をそっと撫で、自分のベッドに横になり瞼を閉じた。
空が白み始め、砦が目覚める。さすがに日の出前に一度起きてしまって、香の眠りは深いらしい。いつもなら起き出す時間になっても、ピクリとも動かず、香は眠っていた。
自分の身支度を終え、朝食のためにギルベルが顔を出す。香の寝顔をみた彼は頬をなで、額に手を置いた。
「三人分の食事を持ってこれるか?」
「わかりました。持ってきます。もしかして何か気になることでも?」
「――いや、……食事が終わってもこのままなら、医務長のところまで連れて行こう」
自分が何か見落としただろうかと思いながら、食事を取りに急ぐ。途中会ったフォルハと共に部屋へと戻った。
「香、変わりないか?」
「おはよう、ぎるべる。寝坊しちゃった? ごめんなさい」
部屋へ戻れば香は目覚めていた。そのことにホッとしながらテーブルへ食事を並べ、椅子を持ってくる。ユーリックはベッドから降りた香の顔を覗き込むと、その目から恐怖が消えている事を確認した。
「ああ、香くん。目が覚めたんですね。朝ごはん食べましょう。フォルハも一緒です」
ぱっと明るくなる香に少しモヤモヤしながらも、楽しく四人で食事を終えた。
「香、今日も医務長のところへ行って来い」
「ん、食べたら行ってくる。お仕事はその後からでいい?」
「時間が残れば副師団長のもとへも行ったほうがいいだろう。部屋の掃除は手分けして、今終わらす」
始めるぞ、と立ち上がり自分から片付け始める。ここはユーリックと香の部屋だといえば、さっさと終わらせるぞと取り合わない。仕方なく、みなで掃除を始めた。集めた洗濯物は香とフォルハで洗い場へと運ぶことにして、後の二人は任務へと向かう。
二人を見送った香は、そういえば今日は二人に抱き上げられなかったと思った。それが寂しいとかではなく、二人の様子がやっぱり変だった。
「ふぉるは、ぎうべるとゆーりは何かあったの?」
「いや、……ないと思うけど、どうかした?」
「ううん、なんでもない……」
フォルハが知らない事なのか、知っていて隠されているのか香にはわからない。わからない事をウジウジ考えても時間のムダ!
そう気持ちを入れ替えフォルハを引っ張って洗い場へと向かった。
〜・〜・〜
「あっ、香!! 今日も遊べる?! 」
洗い場から戻り、治療室に入ればカイが突進してきた。思わずフォルハの背後へ逃げた香に、不満げな顔を見せるカイ。フォルハはにやにやと二人を見ていた。
「よお、ぼうず。今から香はちょ〜っと用事があるから、また今度な」
上から頭を抑え、グリグリと髪をかき混ぜながらフォルハが言う。
「なんだよ、おっさん! はなせ、離しやがれ!」
「医務長、隣へお願いできますか?」
カイを云なし香を目で指しながら医務長へと告げる。医務長はカイへとおとなしく待っているようにと言い置き、香を抱き上げ隣室へと向かった。
「それで、……どうした?」
「中隊長が香くんに医務長のもとへ行くようにと」
医務長にベッドへ促され香は横になった。夜明け前に感じた痛みは、ジクジクと香の下腹を苛んでいる。だからといってもう一度中へ入る気には、香はなれなかった。
医務長の手がかざされ心地良いとはいえないが、少しの違和感と共に医務長の魔素が全身を巡っていく。それに顔を顰めながら耐えていると、医務長の顔はだんだんと険しくなっていった。
「香くん、いつからだ。違和感があったはずだ。何時から気付いた?」
わけがわからず医務長を見つめる。
「昨夜か?今朝か!! ここまで滅茶苦茶になっていて、君が違和感を感じないはずは無い。何故、私をたたき起こさなかった!」
香を座らせ、肩を掴みながら医務長は続ける。
「今も痛むだろう? 何もしなければ、あと一日ほどでその痛みは全身に回る。術の残滓にもっと気をつけていなければならなかった。……すまない」
香を抱きしめながら魔素を流し、少しでも魔素を整えようとする。しかし手が下腹に来れば香の顔は苦痛に歪み、それに耐えようと体は強く強張る。
「ライト、ボートネス殿を呼んできてくれ。ザントとアルバには後で私が伝えよう」
フォルハが出た後、香は寝かされ医務長は真剣な顔つきで手をかざしていく。
「今、香くんの魔素と術の残滓が混ざり合って、香くんの魔素が濁ってきているんだ。自然に瘴気を取り込んで、年月と共に濁る事に害は無い。――だが今の香くんには他人の色に染まった瘴気が、一度に、大量に、体を巡ってしまってる。」
口と手を動かし、何か解んないと顔に書いてある香へ説明していく。
「このまま放置すれば、自分の魔素の過剰防衛で、香くん自身も攻撃される。今始まっている痛みはその前触れだ」
香はなんとなくアレルギーのアナフィラキシーショックなのかと思う。自分にはアレルギーは無かったが、ニュースでなら見たことがある。
給食でアナフィラキシーを起し、子供が大変な事になったとか、恋人が食べたピーナッツバターがキスで移って発作を起したとか……。
自分の中で、自分の魔素と、術の魔素がケンカしてるんだ。そんなふうに香は理解した。
「なぁ、治療士の先生。香はどっか悪いのか? それとも誰かにやられたのか?」
少し開いた扉の陰からカイが顔を覗かせていた。少し前から様子を見て、おずおずと声を掛けたのだ。
「ん〜、なんか体の中で魔素が悪さしてるんだって」
香は医務長の魔素に耐えながら答える。全身に散らばった残滓を集めているのだろう。徐々に下腹の痛みが激しくなってきていた。
「それって魔素のジュンカンイジョウとかいうヤツ?」
「っ、……ち、がうみたい」
返事が返ったことに気をよくして、部屋に入り香のそばへと寄ってくる。香の顔を覗き込み、その白さに息を呑んだ。
「! 、お前、大丈夫なのか、どっか痛ぇんじゃねぇの?」
軽い気持ちで入った部屋で治療を受ける香を見て、もしかして重病なんじゃないかと思ったカイは、医務長のそばで声を上げる。
「先生! 香は大丈夫なのか? なぁ、治るのか? ……なあ!!」
「あぁ、治してみせる。香くんを苦しませたりはしない。……だから、少し黙ってろ!」
医務長の一喝に肩をすくめながらも、医務長の反対側にまわり香の手を取った。ひんやりとしたその手を握り締め、苦痛に歪む香の顔を見る。ほとんど大きさの変わらない手を両手で握り締め、自分も蒼白になりながらカイは傍に寄り添っていた。
そこには小さいながらも男の顔があった。




