48 そんな素敵なお誘いを断るなんて、もったいない事は致しません!
ボートネスからの魔素操作指導は、午後からと言うことになり、香はユーリックと共に厩舎へと向かった。
広い砦の外側にある馬場にそって十棟以上の厩舎があり、それぞれ十ほどの馬房を持つという。単純計算百頭以上がここで飼育されていることになる。
「ふあぁ〜っ!」
香は砦の壁を背後に、目の前に広がる雄大な景色に思わず声をあげ、目を見張った。
砦の中での建物に切り取られた空ではなく、見渡す限りの青空とその下に広がる草原、所々に群れる馬の影。裸馬が多いが、放牧されている馬の見張りなのだろうか、何頭かの背に人影が見える。
蜂蜜色の瞳を煌めかせ、驚きと興奮を浮かび上がらせた香の表情は、ユーリックにとって最高の贈り物だった。
「ジルは? ジルは何処に居る? 今日は会えるかな?」
「残念ながら、今日は僕と馬の顔合わせだから、ジルはまた今度かな。王都に向かう時にはギルさんと一緒に会えるよ」
ペイデルの町からアリへと連れてこられた時、世話になったギルベルの馬の名がジルだった。香に馬の美醜はわからないけど、絶対に美人さんだと思っている。つやつやの黒い瞳が綺麗で、長いまつげが色っぽかった。今日は会えないのかと、ちょっと残念に思うくらいには香はジルが好きだった。
多くある建物の中、一番大きな管理舎へと入ると、待っていたかのように声が掛かる。
「ほほ〜っ、君がうわさの香くんか、確かに可愛らしい」
うんうんと頷きながら髭面の大男が香を覗き込む。思わずユーリックの後ろに隠れてしまった香に、わりいわりいと頭をかいた。
「ユーベル大隊長、三日後に王都へと向かいます。馬との顔合わせに参りました」
「ああ、副師団長から聞いてる。今、出来上がってる馬は第一厩舎に集めてある。三頭だが良い馬達だ。可愛がってやれ」
「ありがとうございます。このまま向かっても?」
「いいぜ、いって来い。一人付いてるから、そいつに詳しいことは聞け」
行こうか、と促されユーリックに付いていく。
管理舎の隣が第一厩舎らしく、入ってみれば空っぽの中、三箇所だけに馬が居た。
「おう、君が騎士アルバか、こいつらが君の専属候補で手前から三、六、四歳馬だ。名はそれぞれ仮だが、アー、リー、シャー」
手前と真ん中が馬と聞いて想像する綺麗な茶の体躯。一番奥は黒馬だった。香としてはユーリックの王子様的外見には白馬でしょうと思うのだが、ここにはいなかった。ギルベルのジルはイメージ通りの黒馬だったから、なおさらだった。
「乗ってみても?」
「う〜ん、いつもなら断るんだが、猶予が三日じゃあしょうがない。心を合わせ、気のあった奴じゃないと長続きしないから、順に乗ってみるといい」
今用意する、といって、手前のアーちゃん? から鞍を置いた。食みを噛ませ、手綱と鐙が付けられていく。
ユーリックは右手に手綱を持ち、香を促しながら馬場へと向かう。馬場を囲う柵に香を待たせ、アーに騎乗し駆けていく。
一番外側を一周した後、内側に作られた障害を飛び越えていく。ドカカッ、ドカカッと間近を通り過ぎる迫力はすごく、腹の底に振動が伝わってくる。躍動する筋肉は優美で、太陽の光を浴びて汗が煌めいていた。
初めて間近にする疾駆する馬の姿に、香は目が離せなくなって柵から身を乗り出しながら、食い入るように見入った。ここで過ごす時間が多くなれば自分にも馬に乗れる日が来るといいなと、漠然と思いながら、馬を駆るユーリックと、汗が光る綺麗な馬体を飽く事無く見つめていた。
「香くん、おいで」
いつの間にか目の前に来ていたユーリックと三頭目の黒馬、シャー君?
綺麗に駆けていた姿そのままに目で追っていたら、視界一杯に広がる馬の顔にビックリしてしまった。
「一緒に乗ってみる?」
そんな素敵なお誘いを断るなんて、もったいない事は致しません!
思いっきり背を伸ばし、両手を掲げユーリックへと手を伸ばす。ユーリックは馬上でバランスを取りながら、左手一本で香を抱き上げ鞍の前へ座らせた。
スピードを落としカポカポ歩く馬の背は、遠くまで見渡せてとても気持ちが良い。しっかりと抱き寄せられた体はユーリックと密着してドキドキしてしまうが、それはこの状況のせいだろう。
近くにはさっきの馬番の人しかいないし、馬場の反対へと来てしまえばその姿も小指ほどにしか見えない。柵に囲われているとはいえ、広い自然の中、ユーリックと二人きりと言うのはちょっと緊張してしまった。
まるで自分が王子様の腕の中にいるような、そんな童話な気分になってくる。
自分が今子供な事には目をそむけ、物語のお姫様気分を味わわせて貰う。ワクワクドキドキと気分が盛り上がって来たとき、クイッと顎をとられほっぺにチュッとされてしまった。ボッと一気に赤くなる自分を、蕩ける様な目で見ているユーリックと目が合ってしまったら、ドキドキがドクンドクンに変わって体中が心臓になってしまった。
「あ、あ、ぁ、あの、……何? え、ゆーり?」
いつものチュッにはここまで甘い顔は付いてこない。だから香も、ああ、またお子様扱いなんだな、とか、小さいなペットだよね、とか思ってた。でも今のユーリックはまるで、本当に愛しい相手を見るような……。
ククッと笑ってまたもやチュッ! 今度は鼻の頭にされてしまった。
「香くん、そろそろお昼。ギルさん待ってるから食堂行こうか?」
いたずらっ子の顔に、からかわれたんだとホッとするやら残念なような……。
―――― 残念!? 何で残念?
ユーリックもギルベルも香の保護者で理解者で、自分からは離れたくないと思うけど、二人にとっては自分はお荷物以外のなんでもない。
そんな自分が、ましてや同姓の自分が、特別な感情を持つとか、何のジョウダン?
ブルリと体を震わせる香に、バサリと掛けられるマント。香のことをしっかりと見守ってくれているユーリックは、確か兄弟が多かった。だから自分も弟の一人として認識されているんだ。そう自分を納得させ、さっき感じた感情は深く考えずに心の奥に封印した。
ユーリックはカポリカポリと外周をまわり、待っていた馬番に手綱を渡す。香はユーリックの腕に抱かれたまま、食堂へと向かった。




