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44 「香はどうなっている?」

「もしかして、自分のものが立ち上がっているのかな?」


 医務長の言葉に、声も出ない香。口をパクパクさせながら目を泳がせた。その手はギュッと握られ、布に皺がよっていく。眉を寄せ、どうしたら良いのかと考えを巡らせているのが、手に取るようにわかってしまう。


「何も恥ずかしい事じゃない、大人になれば誰でもそうなる。ただ今回は、子供の香くんが勃起するということは、何か薬を使われた可能性が高いんだ。何か気付いた事はなかったかい?」


 医務長の言葉に、自分はどうなってしまうのかと混乱の最中にいた香は、少し冷静になれた。思い出してみれば、部屋には何か香りが漂っていたような気がする。


 そして、その記憶と共に、他の記憶も引きずり出される!


 自分がどう弄られたのか、どう感じたのか……。


 唇を戦慄わななかかせる香の瞳に恐慌を見た医務長は、香の肩を握り締め、声を強めた。


「香くん! 思い出したくないなら、今は思い出さなくてもいい。疲れているだろう? 今はゆっくりと眠るといい。その間に嫌な事は全て、終わらせてしまおう」


 肩から額へと手を移動させ、少しの魔素を流す。沈静のためのその魔素は、ささくれ立った香の精神を優しく慰める。幾度も接し、色を覚えた医務長の魔素に、最初ほどの嫌悪感はすでになく、ただ少しの違和感とくすぐるような軽やかさを香は感じた。

 今は全てを記憶の底に沈め、促される眠りへと意識を沈めていった。



 健やかな寝顔を見せる香に医務長は、ほっと安堵の息を落とす。ぐるりと巻かれた体は窮屈そうだが、先ほどまでの緊迫しきった精神と、強張り固まった体に比べれば随分ましに思えたのだ。


「ザント、アルバ、手分けして香くんの着替えと、清潔な布それから湯を持って来い」


 扉を開きながらの医務長の言葉に、部屋を出たまま立ち尽くしていた二人は、走り出していた。その後姿を見送りながら、後でギルベルから状況を詳しく聞かなければならないと医務長は思った。



 ベッド脇に戻り、香を起こさないように慎重に、敷布を剥いでいく。急に肌があらわになり寒くなったのか香はふるりと震え縮こまる。医務長は、届けられた布を固く絞って体を拭いていった。

 暑い湯で濡らした布が触れていくと、香の体の緊張が徐々に溶けて行った。細部の確認もかねて、念入りに清めていく。表面上、急を要する傷跡のないことに安堵した。右肩を別にして……。

 医務長はしっかりと手を添え一気に肩を嵌め込む。その痛みと衝撃は結構なものの筈だが、香は顔を顰め薄目を開けたが、再び眠りに付いた。


「ザント、香くんを見つけたときの状況を詳しく話せるか?」


 穏やかに眠る香を見て、ほっと息を吐いたギルベルだが、医務長の言葉にびくっと過剰に反応した。超然とするいつもの様子は影を潜め、意味深な顔をする。


「香はどうなっている?」


「見た目は大丈夫だ。だが、中は解らん。だからお前を呼んだ」


 言われれば、ギルベルはぽつぽつと口を開き始める。

 ユーリックと離れ高級宿へ行った事。窓下で嗅ぎ覚えのある秘香が匂った事。部屋では全裸の香が息も絶え絶えにベッドに横たわっていた事。

 そこまで話したが、最後のプレスの言葉を伝える事は出来なかった。ギルベルにとって、自分の案内で香がプレスのもとへ行く事など、あってはならないからだ。


「その秘香の効用はわかるか?」


「体の弛緩、痛みの軽減、催淫。聞いたのはそれだけだ」


「五年前にか?」


「ああ、それ以上は口を割らなかった。配合の詳細もわからん」


 医務長は腕を組み考え込む。ギルベルはそんな医務長を横に、香を見ていた。寝顔は昼に別かれた時と変わったようには見えない。


 だが……、目覚めた後も変わらぬ香であるのか?


 去り際に放たれたサヌエル・プレスの言葉が、ギルベルの心に棘のように刺さっていた。


 医務長に少し香を見ているよう頼まれ、ギルベルは香の頭横に椅子を置き、そっと額をなでる。ゆっくりと、羽に触れるように、綿毛を触るように、密やかに香に触れる。

 目覚めても健やかなれと思いながら、これから先ずっと幸福なれと祈った。香を加護する“湖の精霊”にギルベルは、初めて祈りを捧げた。



「助かった、後は魔素で精査すれば香くんに今できることはない。二人ともここで付いているか?」


 もどった医務長の言葉に、後ろから様子を伺っていたユーリックと共に頷く。目覚めた香を一人にはさせたくない。


「ならば、湯を使い腹を満たして来い。傍に付く者が弱っては元も子もない」


 どちらが先に部屋を出るか、ユーリックと目で競り合い、しぶしぶギルベルは通路へと出て行った。


「アルバ、もしかしたら香くんを抑えてもらうかもしれん」


 医務長は香へと手をかざし、魔素を操作し始める。手足の末端から始め、胴体、そして頭部へと手は巡る。初めての魔素での精査で泣き叫んだ香だったが、今の眠る香は眉を寄せ、不快感もあらわな表情をしていながら、意識は眠りに付いたままだった。


 それがよほど疲れているからなのか、医務長の手に依るものなのかはユーリックには解らない。ただギルベルと同じく、心安らかに眠ってくれと思うのみだった。

 ギルベルと二人通路で立ち尽くしていた時、香の様子や状況を問いただしたかった。しかし自分が他の子供のもとへ駆けつけたとき、ギルベルはどうやってか香にたどり着いていた。連れ込み宿で人違いに気付いたとき、傍にいないギルベルに期待しなかったとは言わない。

 自分が時間を無駄にした分、ギルベルが動き、香が助かるのであればそれにこしたことはない。


 ただ、自分の手で助け出したかったと、思うことは止められなかった。



 精査を終えた医務長は、今できる事はもう無いと、治療室へと戻っていった。入れ違いにギルベルが戻れば、ユーリックの香との逢瀬はいったん終わってしまう。名残惜しそうに額に口付けを落とし、自分の身支度のためにユーリックは部屋を後にした。



  〜・〜・〜



「それで、香くんは?」


「はい、術を掛けられていますな」


「内容はわかるか」


「五年前、助けられなかった子供と同じモノ……だと思う」


 師団長を前に医務長は精査の結果を報告した。苦渋に満ちたその顔は、師団長と、その後ろに控える二人の副師団長にも伝播した。


 五年前、教団から保護した四人の子供。

 一番魔素の多かった子供には術が施されていた。下腹部に魔素の器とも言うべきものを形成されていたのだ。体内を巡る事で体を整える魔素を、強制的に集め器を満たしていく。最高級の寵童とする術だった。

 術の解除に手間取り、魔素の循環異常を引き起こし助ける事は出来なかった。


 同じ術が、香にもあると医務長は言う。


 “精霊の子”である香が、術の影響を受け、香の影響を“精霊”が受ける。悪い予感しか感じられなかった。



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