04 香は、何か大事なものを失った気がした。
香は呆然としながらも、果実の側へと戻った。
なんだかフツフツと怒りが沸いてくる。
いまだ影も形も無い誰かさん。
訳もわからず一晩放置。
自分の体が、自分じゃない!!
いったい何をしたらこんな事になり得るのか、香にはさっぱり解らない。
第一、性別はころころ変わるものではないし、変えたい願望も持ってはいなかった。
何で自分ばっかり……。
バイトを始めたときに封印したはずの言葉が浮かんだ。
何で自分ばっかり笑われるんだろう。
何で自分ばっかり用事を押し付けられるんだろう。
何で自分ばっかり……。何で、なんで、ナンデ!!!
「なんで自分ばっかり、ってのは後ろしか見てないからだぞ。そう思わなくて良いようにいろいろ考えろ、考えて考えて、それでもどうしたら良いか解んなかったら、父さんが相談に乗る。大丈夫、大船に乗せてやる」
「ドロ舟の間違いでしょ、父さん」
香の周囲で陰口と嘲笑がひどかった頃、いっぱいいっぱいになって叫び散らした。困惑しながら、それでも宥め、抱きしめてくれた美弥さん。二人まとめて大きな胸に囲い込んだ父さん。
その時に言われた言葉。
後ろしか見てないわけじゃない、どうすれば良いか解らなくて、自分が情けなくて、助けてほしくて、縋りついた。
その後は言葉通り、話し合って対処してゆくうちに好転していった。
香の怒りは父にも及ぶ。
話を聞いてほしいのに、相談したいのに、側にいない。
嘘つきな父と義母。
会いたい思いと恨めしい気持ちがごちゃ混ぜになってくる。
やけくそのように目の前の木の実に手を伸ばした。木苺を口に放り込む。プチプチと弾ける食感に頬が緩み、すっぱさに口が尖った。
一つ食べるも、二つ食べるも大差はないとばかりに次々と口へ運ぶ。
気付けばこんもりとしていた木の実たちは、後数個になっていた。
後悔してももう遅い。集めた人物が来たら板チョコを進呈するほかは無いだろう。幸い齧ってないのが一枚ある。貴重な食料であり、甘味である。これからを考えれば、ここにあった果実のある場所を教えてほしい。情報料もかねて差し出そう。
そう思案していると、お腹が活発に活動を始めた。グルル、ギュルル、と派手に音を立てて主張する。
ほぼ空っぽの胃の中にやけ食いよろしく大量の果実。
一気に冷えてトイレへ直行!!
ただし“青空トイレ”です……。
急かすお腹と痛む右足。少し引きずりながら、さっきの木陰へと急いだ。
大にしろ小にしろ香にとってはしゃがんでする事が当たり前だ。木陰に少しの窪みを見つけ跨ぎながら下着を下ろす。
この場合、物はどうしたら良いんだろう……?
泪を浮かべながら必死で頭と体を動かした。
…………、
……、
…。
四苦八苦しながらも何とか用を足せた。
香は、何か、大事なものを、失った気がした。
今まで生きてきた常識だとか、一応十代の女の子としての気持ちだとか、恥じらいだとか。
体の変化と自然の中での用足しは、香の中の何かを破壊するのに十分な衝撃を与えた。
もうここまできたら怖いものは無い。
幸い、いまだ人影は無い。香がどんなに無様に足掻いていても悪意を向けるものは無い。旅の恥は何とやらで、今の自分でできる精一杯でがんばろう。このまま一人だとしても当面は板チョコでしのごう。足と相談しながら人里を目指そう。
そのうちこの体にも慣れるかもしれない……。
意を決して木立の中から杖にむきそうな枝を捜す。地面に落ちていれば良いがなかなか見当たらない。杖として使える物が無ければ、香の行動範囲は極端に狭くなってしまう。ここで救援を待つにしろ、人里を目指すにしろ、動ける範囲は広いほうが良い。
少し先の倒木が目に入った。周りの木の枝も巻き込んで倒れたみたいだ。その中に丁度よさそうな棒状の枝を見つける。慎重の足場を確認し、手にハンカチを巻いて一気に引き抜いた。
持ってみればなかなか丈夫そうで長さもある。難点は表面のデコボコだが、手にハンカチを巻いたまま使えば良いと握りこむ。
杖を確保したなら、もう少しこの辺りを探してみよう。此処まで歩いた中では、果樹は1本も見掛けなかった。あれだけの種類の果実があるのだから、食料には困らないかもなどと思っていたけれど、どうやら簡単には行かない様だ。
見落としが無いように、ゆっくりと見回しながら歩を進める。木の隙間からは小川も見えているから迷う事は無いと思う。あまり深く入り込まないように進んでいった。
足の痛みが限界を迎えようとする頃には、この辺りには果樹は無いのかも知れないと諦めが襲った。そろそろ日も傾いてくるだろう。一度戻って、どこかに寝場所を確保しようか……。
川辺に向かい、今朝の石まで足をかばいながら杖をつく。
意外なほど遠くまで歩いたらしい。途中に休憩を挟みながら川下を目指す。
やっと窪んだ石と、枯葉の山を目にしたときには月が淡く辺りを照らし出し始めてた。
右足は鉛のように重く感覚がほとんど無くなっているくせに、脈に合わせてドクンドクンと痛みを伝える。日頃は違和感のみで済んでいた右手首も熱を持って拍動していた。湿布と包帯が必要な状態なのだが生憎と此処には無い。
窪みに目を向けると、離れた時と同じに数個の木の実が残っていた。辺りの様子も多分、変わっていないと思われる。薄暗くなる中、果実を口にする。
一人放り出される香に少しの情けをかけたのだろうか? 一瞬の光の洪水の後、此処に居たと思ったけどもっと時間が経っていたのかもしれない。何も持っていない香への最後の晩餐とばかりに果実を、最初から寝冷えは可哀そうだから枯葉を、という事なのだろうか。
グルグルと巡る思考の迷路の中、最後の気力を振り絞り川で口を漱ぎ枯葉の山へ向かった。
バックから上着を出し、しっかりと前を閉じる。パーカーのフードに上着のフードを重ね、頭に被った。膝をついて枯葉を集め均した後、横になった。
枯葉のおかげか石のゴツゴツ感は和らぎ、冷えも軽減されている。ホームレスのダンボールよりは劣るだろうが昨日よりは随分マシだ。
痛む足と手首をかばいながら楽な姿勢を探し当てると、昼間の疲れからか香は眠りに落ちていった。