32 それではと、今後の課題をあげてみた。
「医務長の報告では、魔素の循環にはなんら異常はないと、そして香君は言葉が喋れるようになったそうです」
ネイスバルトは、ボートネスに先を続けろと視線で示す。
「もともと香君はこちらの言っていることを理解していました。今回循環が回復したからなのか、“精霊”の寄り代になったからなのか、香君の国の言葉が私達に解るようになっています」
「フリーブルから『耳』の報告は入っているか?こうなると他の“精霊の子”の詳細が知りたくなるな」
確認のために従卒が部屋を後にし、ボートネスがそれに続く。残されたネイスバルトは上への報告をどうしようかと頭を悩ませた。
〜・〜・〜
数日間、僅かな物しか口にしなかった香の体力は、著しく落ちていた。ベッドに腰掛けていてさえ、数分もすれば疲れを感じるのだ。ただ体を起こしている事が、こんなに体力を使うとは思っても見なかった。
ギルベルとユーリックは、ここ数日の間に溜めてしまった仕事を片付けに行っている。自分が倒れた事で迷惑をかけてしまったと、謝った香に対し、二人は無事目覚めてよかったと返した。
湖畔を離れてからこっち、迷惑ばかり掛けている自分が情けなくなってしまう。今はこれからを考えなくてはと思うのだが、疲れからか思考が上手くまとまらない。
体の欲求にしたがって休むべきだと判断し、横になってはみたものの、取りとめのない思考がいったりきたりで眠れそうにない。
それではと、今後の課題をあげてみた。
まず、自分の喋りをどうするか。
一人称が「私」の子供なんて可愛げがなさ過ぎだから、「ボク」とか「オレ」とか言うべきなんだろうか?ユーリックたちの目には六歳児の私が、「オレ」は行き過ぎだろう。ならば「ボク」になるのか……。
とっさのときに「私」を使ってオカマ認定は避けたい。それとも生意気な子供と思ってくれる?しかし、そう上手くいくだろうか。これまでの自分の行動はなかなか良いお子様だったはずだし、被ってた猫を下ろすにしては遅すぎる気がする。
これからは考えるときでさえ「ボク」を心がけた方が良いのかもしれない。
次に、魔素の操作とは何ぞや?
副師団長に教えを請うことになるらしいが、始まらなければ何にも解らない。香にとって魔素は未知のものだからだ。今、判断できる事はないだろう。ただ操作が出来なければ、街への道は閉ざされるという事は理解している。
そして、街の事!!
魔素の操作ができれば砦の外へと出してもらえるらしい。一応、異世界に来て知っているのは湖畔と砦。香は外出禁止だったから、下女さんたちに捕まったときだけ、彼女たちの会話から街の様子を知った。
毎日立つ市場は野菜や果物、お肉が豊富で珍しい物もたまに手に入るとか、月に二回だけ立つ飾り市は少し離れた所から、色々な装飾品を持ってきているんだとか。
聞いているだけで楽しそうな雰囲気が伝わってきて、思わずニコニコする香にまた珍しい話を聞かせてくれる。
その市を自分の目で見ることが出来るのならば、多少の事は我慢するし、がんばろうと思った。
幼い体に引き摺られるように、好奇心は膨れ上がっていく。どんなものが売っているのかとか、小さな飾り物は可愛いかもしれないとか、でも自分には自由に出来るお金がないことに気付けば一気に心は萎んでしまった。そのしょんぼり感のまま、睡魔に導かれた香は眠りに落ちていった。
香への夕飯を持って部屋に入れば、本人は夢の中。すやすやと穏やかな寝顔を見ながら、顔が崩れる男が二人。
起こしますか?いいや寝かせておけ、そんな会話を目で終わらせ、テーブルに着いた。
「香ちゃん、外が楽しみなんですね。医務長の言葉にすごく喜んでましたし」
「まぁ、ここ(砦)ばかりじゃ飽きるのは当然だ」
「副師団長の許可は何時ごろ下りると思いますか?」
「それは解らん。香の操作の才能が副師団長の言ったとおりに稀有なものであれば、意外に早くなるかもしれんしな」
「では、ギルさん。香ちゃんの初めての市街探索の案内は僕、ユーリック・アルバが賜らせていただきます。ご了承ください」
芝居掛かった仕草で腰を折りながらギルベルへと告げる。一気に荒んだギルベルはユーリックを見据えた。
「誰がお前に行けといった?」
「いえ、僕が行くと言ったんです。ギルさんは溜まった仕事の解消に努めてください」
ギロリとユーリックを見やり、悪党の顔で言い放つ。
「お前にも溜まった仕事はあるだろう!!俺を差し置いて二人で外はなしだ!!」
「…ギルさん、香ちゃんが起きてしまいます。声を落としてください。僕よりもあなたの方が仕事は多いはずです。時間が空くのは僕のほうが早いでしょう。もし、どうしても僕と香ちゃんの外出が許せないのであれば、先に仕事を終わらせた方が権利を取るという事はどうです?」
我を忘れ、いきり立ったギルベルは椅子を蹴倒し立ち上がった。
「香は賭けの賞品じゃない!!」
ガタンと倒れた椅子の音と共に、ギルベルの声が部屋に響いた。
「ひゃっ…ぁっ、え?…ぁ、あれ?」
「!!!、香、……起きたのか…、すまない、起こしてしまったようだな……」
「香ちゃん、ごめんねギルさんが大声出したから……」
香がぼんやりと辺りを見回せば、テーブルの傍に見慣れた二人がいた。いつもの癖で思わず両手を伸ばし抱っこを強請ってしまう。それに飛び出したのはギルベルで…。
「腹も減っただろう?香のために腹に優しいものを見繕ってもらってきた。今から食べれるか?」
香は何か大きな音にビックリした事は覚えているが、その音が何だったのかは判っていない。広いギルベルの胸の中、包まれることに安堵を感じる自分は本当の子供みたいだなと思っていた。
自分はこの子供の体なんだから心がどうであれ、子供らしい振る舞いがいいのかもしれない。思い返せば、散歩中も無意識に子供っぽくなってた気がする。
何かを貰ったり喋りかけられてニッコリ笑うのは返事が上手く出来なかったからだけど、それって話のわかんない子供の行動とおんなじじゃないのかな。
「香ちゃんまだ眠い?ご飯食べたらもう一回寝たら良いから、今は食べよう」
ギルベルの腕の中、胸に擦り寄りぼんやりしていたら頭をなでられた。見上げればユーリックがメロンゼリーの瞳で見つめている。
「おはよう?ありがとう、ごはん食べるね」
くすりと笑う気配に顔を伏せ、ギルベルの胸に隠れる。結果またも擦り寄る事になり、これはこれで恥ずかしい。
わたわたと慌てる香に二人はさっきまでの剣呑な雰囲気はなりを潜め、笑顔を見せる。
その後、ギルベルから餌付けされお腹が膨れた香は、再度、夢の中へと旅立った。




