29 人差し指で、ポッ!
ボートネスの世界が変わった翌日、香の魔素の引き出しが行われる事となった。
朝から何とか苦労して香にスープを飲み込ませ、体を清めた。右手足以外の傷は薄っすらと跡を残すだけとなり、脛の傷も塞がり始めていた。その脇の小さな傷跡の周囲は青黒く変色し、禍々しさを醸し出している。
準備を整え医務長と共に部屋を訪れたボートネスは、それを見て《蛇》の存在を確信した。
多くの魔術士を抱える《蛇》第7師団。その魔術の中に相手へと瘴気を埋め込む事で、意識や記憶を読む術があったと記憶していた。何らかの方法で香に接触し、術を仕掛けたのだろう。
だがこの状態の香では何も読む事は出来はしない。確か意識がはっきりとしていなければ望むものは読めなかったはずとボートネスは思った。
「何か気になることでも?」
「いや、心の準備をしていただけだ」
言ってベッドの脇に立ち、香を見下ろし、その両手を取った。
「ザントとアルバは香君が暴れるようなら押さえて欲しい、医務長は補佐を頼めるか?」
それぞれが配置に付きボートネスが魔素を操り始めた。
〜・〜・〜
真っ暗な中、香に何かが触れる。糸のようでもあり紐のようでもある。
最初さらりと触れたそれは、皮膚に巻きつき、腕に、足に、体に巻きつく。身動きが取れなくなりあせる香は助けを求めようと声を上げる。
「!!!!!」
上げたはずの叫びは宙に溶け、音を形作る事は無かった。
暗い中得体の知れないものが体中を這い回る。体を弄り爪の先へと来れば、その隙間へと入り込む。爪の間を突き破り、突き進む。皮膚の中を這い進む。楽しげにも思える様子で、体の中を這い回る。そのおぞましい感触に、香は叫んだ。
「!!!!、……!!」
何度口を開いても、香の声は響かない。体は拘束され、徐々に締め付けられていく。それでも指の先を持ち上げて、誰か助けてと体中で叫んだ。こんなのはイヤだと精一杯拒絶した。
皮膚の下から、体の中へと移動した何かは、香の腹の中で遊びまわる。腸を捩じ切り胃を突き破る。遊びきり満足した何かは香の口から外へ出た。
暗闇に残された香は、只、呆然と宙を見ながら横たわっていた。不思議と痛みはなかったが、おぞましさに滂沱の涙が流れていた。
ふと清涼な空気を感じそちらに目を向ける。滲む涙でよく見えないが、少しの光と共に体の自由が戻ってくる。体に纏わり付いていたはずのおぞましい何かは、光に触れ、澄んだ空気に触れると、断末魔の雄叫びでも上げているかのように、身を捩りながら消滅していった。
〜・〜・〜
普段ならば魔素の存在を認識させるのだが、意識の無い香には無理である。ボ−トネスは魔素のみを練り上げ、一本の綱を意識しながら香へと流して行く。
香の中にある瘴気が、異質な存在感を持って主張しているように感じる。
自分の感覚を信じ、香の中の異質な気配を追い詰め、一箇所へと誘導する。慎重に、確実に、洩らすことなく全ての瘴気を纏め上げる。
ビクンッ!!
一箇所にまとまれば香の体が大きく跳ね上がる。意識の無いまま大きく瞳が開かれ、涙が溢れ出る。喘ぐ口は言葉を発せず、ただ忙しない呼吸を繰り返して行く。髪を振り乱し、体が痙攣を始める。
ビクッ!ビクンッ!!と跳ねる体はギルベルとユーリックに任せ、ボートネスは魔素を引き出すため一心不乱に操作する。
ボートネスの魔素に添うように伸ばされた医務長の魔素は、体を巡りゆっくりと香の魔素をならして行く。《蛇》の瘴気にささくれ立っていた香の魔素は落ち着いていき、それに伴い表情も穏やかなものへと変化していった。
纏めた瘴気をゆっくりと自身の魔素と入れ替えて行く。注意深く自分の魔素のみを香に送り込む。《蛇》の瘴気にボートネスと医務長の魔素が勝ったとき、再び香の顔は苦痛に歪んだ。
「ぃ…ッぁ、ぁあ、ぁ、あ!ああぁっ!!!」
迸る自分の声に香は目覚めた。
意識の無いまま開かれていた瞳には、いま、光が宿っていた。肩で息をし、滝のように流れる涙と、喘ぎ咽る呼吸。
自分の中に何かいやなのもが混じっている。ただそれが気持ち悪く、嫌で、我慢できなくて、叫んだ!!
「ぎるべる!ゆーり!!」
「香!!」「香ちゃん!!」
「香君、嫌な気配がわかるか!!それに自分の魔素を添わせて包み込むんだ!!何とかして感じろ、でないとずっとこのまま(・・・・)だぞ!!」
一瞬だけ香とボートネスの視線が交差する。すぐにギルベルとユーリックを探し当て、少し安堵の表情を見せた。しかし目覚めたばかりの香にとって、ボートネスの言葉は右から左へと抜けて行く。
何を感じるのか、魔素がどうしたのか、自分はどうなっているのか、この嫌な感じは副師団長のせいなのか!!
徐々に気持ちが高ぶり、混乱して行く。ただ今のこの嫌な感じを何とかして欲しくて、ギルベルとユーリックに目をやれば必死な顔で何かを叫んでいる。
きちんと聞かなきゃ、なんて言っているんだろう?そう思いながら香の意識は暗闇に沈んで行った。
闇の中、体に纏わり付く不快なもの。泣き叫びたくなるほどのおぞましさは無くなったけれど、嫌なものはイヤ!!
おもわず体に力を込め踏ん張れば、ホワリと体が光って見えた。えっ!!と驚き力が抜ければ元通り。再度踏ん張ればやっぱり光る。
なんだこれ、私はとうとう人間やめてしまったのか……。発光人間と言うのも面白いけど奇人変人の仲間入りは御免被りたい。
しかし発光中は不快感が和らぐとなれば、これ幸いとばかりに力を込めまくる。そのうち加減もわかってくればなかなか楽しくなってくる。
人差し指で、ポッ!中指と小指で、ポポッ!!両人差し指で、ポッ!!?
調子に乗っていろんな所を光らせてみれば、右手足が光らない。ほかは鼻の頭も光ったのに何故だと思って気がついた。
なんか魔素がどうとか言ってたよね、なんか包んでポイッとすれば、気持ち悪いのが無くなる様なこと言ってた……よね。
魔素って右手足に通ってないんじゃなかったっけ……
光っているのが魔素と気付けば、右手足が光らない事も納得が行く。でも普通は全身を巡っているはずなんだよね。この光は動かせるのだろうか……。
目を瞑り、集中して光らせるときの感覚を思い起こす。体の中の何かを集め、先端に来たら少し出す。すると光るのだ。では、出さずに移動させればどうなる?
自分の血管を通すような感覚で移動させていく。途中途切れがちになる感覚を繋ぎとめ、何とか右肘にたどり着いた。そこから先へは進まない。何故かは解らないが、壁に阻まれるようにぶつかってしまう。
その壁に魔素を薄く広げて行く。
すると小さな穴がある。慣れ始めた魔素を糸状にし穴に入り込ませていく。するりと入り込み右手の先にたどり着けば、右腕全体へと広げていった。どんどん送り込まれる魔素に穴は広がり、壁にはひびが入って行く。ついに崩れ去ったときには右手首の違和感は無くなっていた。




