27 「よほど相性が悪かったのだな」
「ボーロックへやった者はまだ戻らんのか!!」
光溢れる部屋の中、大きな書棚を背にした男が言う。
「申し訳ございません。あと少しお待ちいただければ、色よい返事を持ち帰ると思います」
平身低頭と言う言葉そのままに、床につくほど頭を下げ男が言った。
「“泉”ではなく“湖”だというではないか!それほどの“精霊”を野放しにするなど考えられん!!必ず“精霊の子”として帰って来なければならん!!」
書棚の縁を拳でドンッと叩いた男は金糸の入ったローブを纏い、階位を示す精緻なメダルを首からかけていた。“精霊”を信仰するアースレア教団、大司教ヘイサント・マヌカである。
“精霊”の力の強さはその媒体の大きさで測られる。サクベル王国では主に水に棲む“精霊”が多いが他国では大木であったり大岩でもあるという。魔素で形作られる“精霊”自身が溶け込めるだけの大きさの自然物が必要なのだ。
同じ大きさで、一番魔素が溶け込みやすい物は水だといわれる。次に岩、そして木となる。樹齢千年を超える大木は、その大きさにもかかわらず、サクベルの“泉の精霊”とほぼ同じ力の主だといわれていた。それが今回現れた“精霊”の住処は湖だという。どれだけの力を持つか計り知れないだろう。
「祭祀に長けた者と、近年にない魔素の持ち主を向かわせております。今しばらくお待ち下さいますよう……」
イラつくマヌカを何とか宥めようとするが、上手くはいかない。今回の事が、事前に知らされなかった事も苛立ちの一因となっている。
“精霊の住処”が現れるときには、何らかの異変が起こる。大抵は結界により近づくことが出来なくなるのだ。各地に散った子弟たちにより異変は伝えられるはずだったが、今回は三つ月と重なったため見過ごされたのだ。
教団の秘事として、器を持ったばかりの“精霊”は、初めて接した魔素の大きな子供に加護を与えることが多いと伝えられている。
今回結界を解除した者達は《大鷲》の騎士だという。子供ではないから、まだ“精霊の子”は誕生してはいないと急ぎ教団から魔素の大きい子供を送ったが、三ヶ月が過ぎても戻ってこないのだ。ボーロックまでの往復は、どんなにゆっくり進んでも二ヶ月は掛からない。マヌカの苛立ちもある意味当然といえた。
そして仔細を知るため後から使わした者達も、一向に戻ってはいなかった。
〜・〜・〜
香が目覚めない夜、師団長執務室に師団長ネイスバルトと副師団長二人がそろっていた。護衛と侍従は下がらせ三人のみが部屋にいた。
フリーブルとボートネスの二人がそろって師団長室にいる事は珍しく、それだけ重要な何かが起こったという事でもある。
「あの子供の怪我は?」
「医務長からは命の危険はないと、しかし一向に目覚める気配がないため注意が必要だとも…」
ネイスバルトにボートネスが応える。
「何故落ちたのかはわかるか?、いつも登っていたのだろう?」
「それについては何も判っておりません。ただ足を滑らせたのではとしか、《蛇》や教団は今のところ除外しても良いかと」
フリーブルは眉を寄せ応えた。
「教団はボーロックに注目しているから関係ないにしても、《蛇》の『目』は危険です。彼(香)のことは知られているとみてよいのでは?」
「それも一理あるが、ボートネス、お前ほどの者が、ここ最近の砦の状況を判らないはずがないだろう?《蛇》の目が入ってこられるとは思えない」
「……ふむ。そこまで香君の魔素は純粋なのか?ボートネス」
「医務長の魔素に半狂乱になり、診察のあと気を失うほどには。あれから三ヶ月、どこまで混じっているかはわかりませんが、香君の行動範囲内は著しく魔素が高まっている事も事実です」
目を見開き、驚きを露にするネイスバルトとフリーブル。
魔素を扱う治療士は治療魔術士と呼ばれ、最初に自身の魔素の濁りを取る事を覚えさせられる。自然に入れ替わる魔素に含まれ体内に入った瘴気を排出するのだ。
瘴気を含まない人の魔素は幼い子供に対して使用しても、拒否反応は少ない。治療士の色に染まってはいるが、瘴気を含まないため不快感を起こさせないのだ。
治療魔術士の腕は如何に純粋な自身の魔素のみ扱う事だ出来るかと言う事が大きい。
医務長の任にあるパイベルは瘴気を完全の取り除く事の出来る優秀な治療魔術士である。瘴気と共に自身の色でさえもある程度取り除く事が出来る。その医務長の微量の魔素にそこまで反応する者がいるとは思えなかったのだ。
「よほど相性が悪かったのだな」
ネイスバルトは、あるはずもない事を思わず呟いてしまった。医務長の魔素を拒否したという事は、純粋な、何にも染まっていない魔素しか受け付けないのだろう。たとえば“精霊”の魔素のように……。
「香君が特別なのか“精霊の子”だからなのかはわかりませんが、香君の魔素の引き出しは無理かもしれないですね。私としては一刻も早く引き出したいのですが」
「医務長でそれなら、ボートネスでは発狂だろう?」
ネイスバルトの言葉に、そう言われましたとボートネスが応えれば、さもありなんと言う顔でフリーブルは頷いた。
「教団に『耳』を伸ばす事は可能か、フリーブル」
「今いる『耳』では不足だと?」
「“精霊の子”の特質を探れるものが欲しい。多くいる“子”の中に本物も混じっているはずだ。教団だからこそ知っている事もあるだろうしな」
「承知いたしました。しかし秘事となれば『耳』も手が出ないかと」
「……、しかたがない、向かわせろ。引き出しについては、医務長と本人の意思しだいだろう。言葉はだいぶ話せる様になったと聞く」
「わかりました。そちらは私が対処します。もともと私の一存ともいえますから」
一人残った室内でネイスバルトは残された書類に向き合う。香のごたごたで仕事が滞ってしまったのだ。書類の中、挟みこまれた手紙の差出人を確認し、眉を顰める。勢い破り捨てようと指に力を込めるが思い直し、ため息と共に引き出しへとしまった。
〜・〜・〜
灯心を短くし細く灯したランプの光の中、浮かび上がる白い顔を凝視する瞳が二対。
ギルベルが先に休めといっても首を振り、反対にお先にどうぞと返される。アリ南部の警邏から戻れば、香が怪我を負って意識がないという。急いで治療室に飛び込めば、手当ての終わったはずの香はいまだ目覚めず、血の気の無い顔は不安を掻き立てた。
ユーリックとギルベルはベッド脇に陣取り、香を見据えていた。少しの変化も見逃すまいと、その視線を一時として外す事はない。
砦で過ごしはじめてから三ヶ月ほど…。香も砦に慣れたのか、一人で散歩に出ても迷う事はなく、食事の時間になればしっかりと合流できていた。最近は言葉も覚え、会話が成り立ってきた事も嬉しい限りだ。言葉はたどたどしいが、また、それが香らしくていいと思っていた。
二人そろっての外回りと知れば、帰る頃砦入り口で待っている事もある。そんな時は、駆け寄り笑顔で名を呼んでくれた。もしかしたら今日も呼んで貰えるだろうかと、ほんの少しの期待と共に砦の門を潜ったのだ。
こんな夜はいらない………。




