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24 「どうする?香君」

 無骨な扉を向けて、いつも見知った景色の中へと戻った香は、オンスベルと別れ自室と食堂のどちらへ向かおうかと思案していた。


「香君!!今までどこに居たの?中隊長(ギルベル)とアルバさんが大変だったぞ〜」


 声をたどれば、いつぞや監視員となり損ねたギルベルの部下だった。ユーリックと同じ位の背格好の、たしかフォルハさんだったと思い出す。


「ぎるべりゅ、ゆーり、どこ?」


 香は喋れる語彙を増やさなければと、切実に思いながら問いかけた。フォルハは一緒に行こうと笑いながら、両手を差し出す。

 これは抱っこで高速移動なのだろうか、と香は警戒心をあらわにした。少し引いた香にフォルハはニッコリ笑いながら言ってのけた。


「香君の足じゃここから食堂までずいぶん掛かっちゃうよ。その間ず〜っと二人は待ってると思うけど、時間が掛かれば掛かるほど雷は大きくなるかもね〜」


 香は団員に、半ば強制的に、二人の下へと届けられた過去を思い出す。 

 食事(待ち合わせ)前ならば、とろける笑顔で迎えてくれる。食後(遅刻)だと、それまでどこに居たのか、何をしていたのかを、納得がいくまで問い詰められる。

 つたない言語能力をフルに使ってもなかなか伝わらず、最後には泣きを見るのである。


 そこまで心配しなくても砦から出ることはしないし、ユーリックと同い年(精神年齢)なのにと思ってしまう。

 香にとってまだまだわからない事だらけのこの世界は、とても興味深く、そして面白い。二人の保護者にとって何でもないことも、香にとっては新鮮味溢れる経験だった。


 火のおこし方一つとっても異世界を実感する。火種は小さな赤い炎石えんせきと呼ばれる石で、使い捨てなのだと言う。炎石に魔素を通すと石が発火し、薪などに点火することができる。炎石自体は特定の鉱山で掘り出される。しかし、魔素を扱えなければ使えないので、一般にはマッチのようなものがあるらしい。


 お風呂もある意味カルチャーショックだった。数多くの大きな樽の下半分が埋め込まれた浴室は、それぞれの樽から湯を汲んで体を洗い流すのだ。湯がなくなればそのつど、係りの下男が継ぎ足していく。

 つまり(・・・)浴槽がないのだ。湯船に浸かってまったりと寛ぐ習慣がないらしい。それを知った瞬間香は、自分は小さいから五右衛門風呂(樽)へダイビングしても許されるだろうかと真剣に考えた。


「どうする?香君」


 思考が飛んでしまった香に、再度問いかけるフォルハ。

 済ました顔で香の様子を伺いながら、自分の上司にもし不利な報告をされたら困るとか、香の許可なく抱き上げる事はしちゃだめだとか、でも、オッケーをもらえれば可愛い頬に偶然を装って触れてみようだとか、心の中は大変賑やかになってしまっている。


 香はといえば、なんとなくしり込みする気持ちがあるのだが、サリナに引っ張られたせいか足が痛み出していた。これで急いで歩けば明日は腫れるだろう。そうなったら、自由な散歩は当分禁止されるかもしれない。そう思ってフォルハへと両手を差し出した。



 抱き上げられ、少し急ぐよと言われたとたんに速度が上がる。香はグンッとのけぞる体を、思わずフォルハの胸を掴む事で何とか持ちこたえながら、揺れに耐えた。


 食堂とは別棟に居たため階段を上り下りしながら先を急ぐフォルハ。香を腕に抱き、その軽さに驚きながらも、この小ささではギルベルの危惧も頷けると思っていた。合間に肩口に当たる香のターバンに思わず擦り寄ることも忘れない。出来るだけ丁寧に、そして一刻も早く隊長の元へと思い、足を運んだ。


 しっかりと抱きかかえられていても、急いで階段を上下すれば揺れは激しい。乗り物には酔った事がない香だったが、空腹が効いたのか食堂につく頃には血の気が引いてぐったりしてしまった。


「香!!」「香ちゃん!!」


 二人の声に何とか許してもらわなければと目を向ける香。その様を見て二人はフォルハを睨め付けた。

 二人ともが、蒼ざめた顔でフォルハの腕の中から助けを求めるように香に見つめられたと、感じたからだ。香に何か無理をさせたのではないかと、目つき鋭くフォルハを見やる。身に覚えのないフォルハには、二人の視線の意味がわかる訳はなかった。そんな三人の耳へ小さな声が届く。


「ぎるべりゅ、ゆーり、ごめんにゃさい」


 二人に向けて身を乗り出しながら香は言う。ここで二人を宥めておかなければ、明日の自由はなくなってしまうとばかりに、なけなしのお愛想を振りまいた。

 少し上目遣いに眉を寄せ、懇願の表情でギルベルを見やる。どうして「許して」の発音を覚えていなかったのかと悔やんでももう遅い。今は「こめんにゃさい」で乗り切るしかないと香は気合を入れた。



 くったりとフォルハに身を預ける香にもやもやとしたものを感じながら、香に怪我はないかと全身をざっと見た。何度か師団員の付き添われやって来た香は、こんなに消耗してはいなかったから何があったというのだろうか。

 腕に抱き取り顔を覗き込めばギルベルの名を呼びながら首に抱きついてくる。そのすがり付く様なしぐさに愛しさが溢れ、ますますフォルハを睨んでしまう。


「中隊長、誤解です。西棟の通路で香君を見付けまして、ここまで急ぎお連れしただけです」


「西棟?何でそんな所にいたの?香ちゃん、向こう側は知らないはずだけど……」


「香、今までどこにいた?西棟はユーリも俺も連れて行ったことはなかったはずだ。誰かと一緒だったのか?」


 思わず頷いた香に、一緒にいたのは誰なのか、西連のどこにいたのか、どうやって西棟まで行ったのかと問いかけられる。喋れなければ答えにくい疑問の数々は、香の笑顔で有耶無耶にされてしまった。

 実際ギルベルの腕に移った香はいまだ顔色が悪く、目には力がない。それは自分達が泣かしてしまった後や、医務長の診察の後よりも憔悴して見えた。だから深く追求ることが躊躇われたのだ。

今は詳細を知る事よりも、香を医務長の元へと連れて行くことの方が先決だった。


 本当のところは、出来るだけおとなしくして外出禁止は免れたいという香の思惑の結果なのだが、フォルハがとばっちりを食らう事になるとは、この時の香には思いもよらなかった。



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