18 「香、起きているか?師団長の前だ」
夕闇が迫り日が隠れきる頃に小さな小屋へと滑り込んだ。街道沿いにいくつかある、避難場所のようなものらしい。
先客がいないことを確認し、香は下ろされる。ただ風雨をしのぐための小屋は寝台も無く土間である。真ん中に火を焚く場所があり、その火を囲むようにして休むのだろう。
土間にマントを敷きその上に座っている香は、珍しげにあたりを見回す。ユーリックは水を汲みに行っているようだ。
「香、今夜はここで寝て、明日は夜明け前に出る。上手くすれば明日の日暮れには砦に着いている」
中央に薪を組みながらギルベルは言う。腰から何かを取り出し、枯れ草の側へと寄せると火が着いた。香は興味津々の目でそれを見つめる。そんな香の様子に心和ませながら、ギルベルは飯の用意を進めていく。
「俺達はここサクベル王国にある西部の町、アリに赴任している《大鷲》第3師団所属の騎士だ。今、向かっている砦が《大鷲》本部なんだ。そこで師団長にお前の事を報告し、《大鷲》で保護してもらえるよう働きかける。俺達はそのつもりで香を連れて行く」
即席の組木で小鍋をつるし、ユーリックから受け取った水を張り火にかける。干し肉をちぎってクーリャと呼ばれる穀物と一緒に放り込み煮込んでゆく。
水を置いたユーリックは香に傷の手当てを申し出た。ついでに体も拭くかを聞かれた香は、何とか手当てだけをお願いした。
今朝と同じく右手右足の治りは遅い。左手にはもう布はいらないといわれた香は、自由に動かせる手をひらひらとさせている。
小振りの椀で食事を済まし、思い思いに横になった。人の気配を感じながら眠るのは中学の修学旅行以来かなと思いつつ、昼間寝てたから寝られないかもなどと香は思う。しかしその数瞬後には香は静かな寝息を立て始めた。
精神的にも、肉体的にも疲労は溜まっていたらしい。
翌日はまだ暗い中を出発し、今度はユーリックと共に馬上にあった。併走するのはギルベルである。途中の休憩で役割を入れ替わりながら、一路、砦を目指した。
途中人とすれ違うときには速度を落とし、しっかりと香を隠して進む。休憩以外馬上で揺られ続けた香は、砦に着く頃、疲れきり意識を朦朧とさせていた。
閉門ぎりぎりに砦に入り、ギルベルは香の入場許可と師団長への面会を願い出る。早くとも明日だろうと思った面会はその後すぐに許可され、ユーリックと共に香を連れ執務室へと向かった。
「ギルベル・ザント及びユーリック・アルバ帰着いたしました」
入れの声と共に入室する。無駄を省いた機能一辺倒とも取れる室内に、壁には大きな書棚と掛けられた剣と盾、そして団旗がある。
右手奥の執務机に座る壮年の金茶髪の男性、側に立つ細身の人物と、小柄なターバンの男性。この三人がこの砦を取り仕切っているといっても過言ではない。
金茶髪の師団長ネイスバルト・レインは副師団長フリーブルとボートネスを従え、ソファに腰掛けた。向かいの席を示しながら言う。
「今朝、ペイデルからの鳥が着いた。ボーロックの森に“精霊の湖”が出来たらしいな、君達二人に関係があるようだが?」
単刀直入に問いかけられ、背中を汗が伝う。目線が包み込まれている香に向かうに至って、ギルベルは人払いを願い出た。異を唱えようとしたフリーブルを押さえ、ネイルスバルトは扉脇の従卒と護衛に視線を送る。
いまだ隠されている香を含め、6人が部屋に残った。
「香、起きているか?師団長の前だ」
ギルベルは声をかけながらユーリックとの間に香を下ろし、マントを剥いだ。
現れた銀髪がランプの光を反射すると、向かい側の三人に緊張が走った。
「その子供は?もしや立ち入れなくなった湖の原因か?」
「ユーリックが“湖の精霊”より託された子供です。落ち人でもあります。湖畔で保護し出来れば師団の《大鷲》の保護下にと私は願っています」
「落ち人と言うのは確かなのか、魔素は多そうだが……」
ギルベルの合図を受けたユーリックが、背嚢の中から香のバックを取り出し香に手渡した。突然戻ってきた手荷物に困惑する香。あの時、洞に隠した自分の苦労はなんだったのか、眉を下げ、ギルベルとユーリックを交互に見上げた。
「すまない、落ち人の、香のいた痕跡を消すために周囲を探索して見つけた。師団長にお見せしても良いだろうか」
香は向かい側に座る壮年の男性が師団長なのだろうかと、不安げな瞳で見つめる。ネイスバルトにニコリと笑いかけられキョトンとした後、香は笑顔で頭を下げた。
ビシッとした40代前半ほどの師団長は笑うととてもやさしい表情になる。たいした物は入ってないからと、香はテーブルの上にバックの中身を並べ始めた。
バックから取り出されていく物をじっと見詰める5人。
全てを出し終えバックが空であることをアピールし、これでいいの?とばかりにギルベルとユーリックを見る。二人が助かったとばかりに頷けば香は満面の笑みを返した。
「ゴホンッ、これを見る限り、落ち人と言うのは確かでしょう。では、“湖の精霊”から託されたというのは?」
ネイスバルトの斜め後ろに立つフリーブルが発言する。
「はいっ!!私、ユーリック・アルバが、直接“精霊”より香をよろしく頼むと託されました!!」
「畏まらなくてもいい、“精霊”から直接語り掛けられたのか?」
その後、細かく何があったのかを報告していく二人。
ユーリックは香が本当の意味での“精霊の子”である事、“精霊”が香の安全と安寧を望んでいる事、また、香が虐げられれば自分はどうなるか判らないと言っていたことも伝えた。
教団のいう“精霊の子”は一般の中から色素が薄く魔素の多い子供を仕立て上げて作られる。しかし香は違う。力ある“精霊”自らが守護を与えた存在。それが本来の“精霊の子”なのである。
守護を与えた存在と、与えられた者との間には絆が出来る。一方に大きな心理的負担が掛かれば、もう一方にも不調が現れる。
「香が虐げられれば自分はどうなるか判らない」とはそういう事なのだ。
自我を持つ“精霊”が不の感情を多く蓄えてしまえば変容を始めてしまうという。
“精霊”の変容は災害を伴う。魔素の塊の“精霊”は存在自体が力だ。変容してしまえば“精霊”としての理性は効かず本能の赴くままに力を振るい始める。大抵は変容の原因に執着を見せるという。今回の場合は香、もしくは香を害したものになる。
香が何らかのトラブルに巻き込まれたり、教団や《蛇》のモノとなり傷付けば、国は大打撃を受けるだろう。だからといって、香を国外にやればいいということではない。“精霊”が居るのはボーロックなのだから……。
ネイスバルトは異論の余地無く香を第3師団の保護下に置く事を決めた。
後は副師団長二人の出番である。実務担当のフリーブルは香の部屋や日常生活全般の手配へ走り、小柄なボートネスは香の側に膝をつき、やさしく明日もう一度会う事を語りかけた。
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