111 なのに今、傍かたわらに香はいない。
「ユーリ、あれはボーロックの村長むらおさの家か?」
シェスに飛ばされた二人は呆然と立っていた。ただ事実を確認するため、ギルベルは見えた物の確認をユーリックに問いかける。
「そうだと、思いますよ……」
答えたユーリックも心此処に在らずといった態で、ただギルベルの言葉に淡々と答えただけだった。
二人はやっとの思いで香にたどり着き、香と再会したはずだった。
なのに今、傍かたわらに香はいない。
それは二人にとって、今までの思いが全て無になってしまったような無力感をもたらしていた。
香とともに過ごした時間は少ないが、これから先ずっと香がいないことには耐えられそうにない。その思いは二人ともに違いはない。
だからこそ必死の思いで鍛錬し、情報を集め、香と再会したはずだったのだ。
意識することなく二人は振り返り、湖へと続く道を見た。
シェスは、香が望めば送るといった。……では、望まなかったら?
そんな不安が一滴、ぽたんと落ちる。
無意識に踏み出した二人の足は、湖へと続く道へと向かう。しだいに足は速くなり駆け出しそうになったとき、木立ちの奥から三人の男たちが転がり出てきた。
うわっと二人に驚く村人は、その手にみな天秤棒と桶おけを持っていた。湖水を汲む当番だったのだろう。
「そんなに慌ててどうした?」
「あぁ、村長んとこのお客さん。いや、これはその、……さきに村長に話さんとならん。通してくれんか」
そう言われれば、よそ者の二人は道を開けるしかない。さっきまでの勢いはそがれ、二人は道の端へと寄った。「早く報告せんと」と、言いながら急ぐ背中を見送り再度湖へと続く道を見る。
「はぁ、……ここで引き返しても“大地の精霊シェス”にまた放り出されそうです。さっきの人達の話も気になりますし、いったん村長の家へ戻りましょう」
ユーリックの言葉に促され後ろ髪を引かれながらも、村長の家へと向かった。
~・~・~
レイシェスに大丈夫と言い切った香は、ふわりと笑いながらシェスの首に腕を伸ばす。その手に導かれるように頭をたれたシェスは、抱きついてきた香を抱き上げ、どうしたと、目で問いかけた。
「シェスはこれから眠ってしまう? ボク起こしちゃったでしょ……」
少し眉をさげ、心もとなげに告げた。
「…………、我は、心のまま生きておる。香がそのような顔をする理由は無い」
シェスの言葉にもいまいち納得できないと、眉間のしわが深くなる。それをくすりと笑って指で伸ばし、しわが無くなったそこにシェスの唇が落ちた。
「我は心の向くままにしか生きられぬ。それはわかっておろう? そなたの心痛めることは何もないぞえ」
くつくつと笑い、香の目を見据えながら髪をなで擦る。
その不敵な様子に香は小さな笑みをこぼした。
「じゃあ、ボクを見ててくれる? ボクが何に笑って何に泣くのか見ててくれる?」
大事に思う者の笑顔だけでなく涙をも見ていよという残酷な願いも、告げたのが香と言うだけで全ての反論を飲み込んでしまう。その己の在り様に自嘲の笑みがシェスの頬に浮かんだ。
「そなたが泣くさまを我は見とうない。ひとり涙を流せば我は何をするのであろうな……」
「それも大丈夫。ボクが一人で泣く事はたぶん無いと思う。砦ではみんなが居る。そこでだめなら、すぐこっちに帰れるしね」
いたずらっけたっぷりに告げる言葉はなかなか辛らつで、ほどほどにシェスに安堵を齎すものだった。
香はこちらに帰ると言う。ならば香にとっての家は今、この湖畔。シェスたち“精霊”の傍であるということ。
その事実はシェスの心を満たし、この上も無い幸福を感じさせる。
「なれば我はそなたを見ていよう。レイとともにここで待っていても良かろう」
満足そうな笑みを浮かべシェスはレイシェスを振り返る。
「レイシェス。大丈夫だよ。自分のことは自分で決める。そのほうが後悔は少ないと思うから」
シェスの腕からおり、レイシェスに抱きつきながら香は告げる。こつんと額をあわせレイシェスの金の瞳を覗き込みながら、「いつでも会えるしね」と笑った。
実際今の香は、人より“精霊”に近い存在となっている。魔素を扱える騎士たちよりも、その上をいく精霊族たちよりも上手く魔素を使うだろう。
“大地の精霊”であるシェスの知識と膨大な魔素の保有量。二つが合わさった香は今や無敵といってもいいほどなのだ。
だから今の自分を砦の人達が受け入れてくれるかどうかは、ちょっと不安だったりする。でも今ここで不安を見せれば二人の“精霊”は過保護に香を囲い込むだろう。
それが予想できる香としては、二人を安心させて自分で世界を回ってみたい。
シェスから与えられた知識でこの世界の事はある程度知った。
だが、知識としてのみ知っている場所に行ってみたいと思うように、香もシェスから知った事を、見てみたいし触れてみたい。
芽生えた好奇心を満たすため、香は一生懸命シェスたちを懐柔したのだ。
「香よ、では我が送ろう」
ふわりと抱き上げられ、気付けばシェスの腕の中に納まっていた。
「そなたの心のままに生きよ。それが我の願いじゃ。……そなたの心配は無用じゃ」
こそりと耳元でささやかれた言葉は、最後が聞き取れず気になってシェスを見返す。それに笑みで返され問いかけようと口を開いたら、
目の前に…………師団長が居た。
「…………」
「………………」
「……へっ? あれっ、……えっと、ただいま戻りました?」
しばし見つめあった二人は、香の挨拶? で再会を確認した。