11 その後、話すべき事と隠すべき事を細かく打ち合わせた。
四話目
森に足を踏み入れるとギルベルでさえ魔素に酔いそうだった。隣を見れば青い顔のユーリックが先を見据えている。村人たちが度々入るこの辺りは下草が刈られ、歩きやすいように小道も作られていた。
道なりに進めば湖畔へと着くのだろう。しかし、木々の間から水面の煌めきが見え始めると、唐突に足が進まなくなった。
ユーリックはゆっくりと横に移動してゆく。目を細め、ギルベルには見えない魔素の濃淡を見極めているのだ。しばらくするとユーリックは体を滑り込ませるように斜めにしながら、湖畔へと向っていく。ギルベルも同じ動作をしながら追いかける。
追い着けばユーリックは湖畔にしゃがみ込み頭を抱えていた。
結界の中は魔素は多いがその質はいいから中らないという。しかし蹲るユーリックを見れば間違いだったかとギルベルは悔いた。
だが額に汗を浮かせたユーリックは湖の一点を見据え、首を縦横に振る。まるで誰かと話しているかの様に。
彼の見ているであろう湖面は、ほかと比べて煌めきが大きく感じる。もしやそこに精霊がいるのだろうか?ギルベルは躍る心を感じた。
「ギルさん、落ち人がいる!!子供だって!もう限界だって!!死んじゃいそうだって!!!」
浮き出た汗が顎を伝い落ちる頃、ユーリックは立ち上がり、ギルベルに捲くし立てる。
「落ち着け、何処にいるんだ!?」
「ここからほぼ対岸、脅かさない様に保護して欲しい、助けてくれって…。」
言葉と共に落ち着きを取り戻していったユーリックは、湖畔を走り始める。
ギルベルは子供と聞いて眉を顰めた。自分が行っては怯えさせるだけではないのか?
しかし何かがあったときの対処は二人のほうがいい、そう言い聞かせてギルベルも足を速めた。湖畔まで茂った木々を掻き分けながら、指し示された場所を目指す。
途中ユーリックを捕まえたギルベルは、なるべくそっと近付こうと提案した。ユーリックが走りこんだ勢いのまま突進しようとしたためだ。
速度を落とした二人は慎重に木立を進む。左手に水面を見ながら、彼方に白っぽい塊を見つけた。木の根元に横たわっているように見えるそれが、子供の落ち人だろう。
ギルベルは古書の中に落ち人の記述を見た事がある。大抵は突然現れ、言葉もわからず、不可解な行動で周りを混乱に陥れたという。そして魔素を多く持つために、《蛇》とも《魔術師団》とも呼ばれる第7師団の配属となり、飼い殺されていったらしい。
子供の落ち人の話は載っていなかったが、中央に知られれば同じ運命を辿る事になるだろう。ざわつく思いが行動に出てしまったのか、無造作に掻き分けた葉擦れの音に子供が反応した。
「!!ッ、おいッ、待て危ない!!」
幹を回り込んで隠れたかと思うと、一転、何かをつかんで走り始める。
言葉が通じないという事も忘れて声を上げ、後を追った。
小さな子供の体は木々をすり抜けるのに有利だった。ユーリックはともかく巨体のギルベルは通れる場所を探す事からしなければいけない。二手に分かれて回り込んでいく。
「ギルさん、裸足だ!!」
逃げる子供の足を見れば、血が滴っていた。一歩駆けるごとに赤が舞う。途中木の側で止まったかと思うと、方向を変えてまた走り始める。
手を着き、足を引きずるようにして逃げる子供は、混乱しているのだろう。
その様子はただ闇雲に体を動かしているだけで、もはやギルベルたちの姿が見えているのかは解らない。
そんな中、大きく肩で息をしながら突然立ち止まったかと思うと、ギルベルの目の前で糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
細い体躯と見事な銀髪を持つその子供は、目を覆いたくなるほど傷だらけだった。抱き上げられ、力の抜けた体はその小ささもあいまって、大きめの人形と勘違いしそうになる。
急ぎユーリックの先導で湖畔に戻り、水で手足を洗っていく。顔や首元は浸した布で拭った。下から現れてくるのは白磁の肌で、傷の紅さが際立った。
「ユーリ、俺はこの子を連れてペイデルへ直行する。お前はここの事を村長達に説明してくれ。ただし、この子の事は言うな!」
支給品の傷薬を塗りながらギルベルが言う。
二人共に足の裏の傷を見て思わず顔をしかめながらも、出来る限りの治療を施していく。
「何故です?村で寝かせて治療するほうが先じゃないんですか!?」
困惑気味にユーリックが返すが、滅多に見ない真剣な表情のギルベルが続けた。
「この子は“精霊の子”だろう?湖で潤ってきた村が離すはずがない。だが、ここまでの銀髪は教団も《蛇》も放ってはおかない。いざと言う時、あの村ではこの子を守れないだろう……。」
身体の色素が薄いほど魔素が多いと実証されている。実際、ユーリックも薄い赤茶の髪に澄んだ緑の目を持っている。子供の瞳はわからないが、湖の煌めきを集めたかのような髪色は魔素の多さを物語っていた。
教団は色素の薄い子供を保護し、“精霊の子”として信仰の対象に祭り上げる。しかし身近に見えれば、その目は子供らしい光を持っていることはない。
周囲を警戒し怯えきっているか、媚を売るような卑屈な態度をとる。
《蛇》に至っては問題外だ。本人の意思も無視され、古書のごとく飼い殺されることは目に見えている。
そんな中へ直接精霊から託されたであろうこの子供を放り込めば、怒りを買う事は必須。
ならば、砦で保護するのが一番だとギルベルは思った。出来るだけ早く、秘密裏に、師団長へ話を付けられれば光が見える。
ギルベルの必死な表情に、自分の思っていた以上の大事なのだろうかとユーリックは思った。ならば見習い時のみだが、《蛇》に籍があったというギルベルに従うのが当然だろう。
「わかりました。ここが“精霊の住処”である事は話しても大丈夫ですか?今は結界も消えていると思いますが」
「隠すべきは子供に関してだけで……、いや、直接頼まれた事も言わないほうが良い」
その後、話すべき事と隠すべき事を細かく打ち合わせた。
ユーリックが裂いた袖布で傷を覆っている間、ギルベルは血の跡を辿り、また血を消しながら子供が立ち止まった木を探し出した。洞の中からバックを手に取り湖畔へ戻る。
そして、子供の荷物を纏め、子供の居た痕跡を消し、注意深く子供をマントで覆い包む。
森の入り口で待つ馬に乗り、ギルベルはペイデルの町を、ユーリックはボーロックの村を目指した。
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