106 香はまどろみながら考える。
バシンッ、ザシュン、と魔素を放ち、香を腕に守りながらギルベルは周囲の瘴気を散らしていく。
泥濘に足を取られないように魔素を纏わせ、香を取り込もうと伸びる瘴気から香を隠す。
「くそっ、ユーリのやつは何をしている。これではきりがない……」
今のギルベルには瘴気を散らす事はできても、浄化するほどの余裕はない。
中和し、薄めて大気に溶かすことで凝りは散る。しかし薄めるためには、瘴気の何倍もの凝っていない魔素がいる。閉鎖された空間にいる今、新たな魔素を自分のものにすることは出来ない。補充がなければ自分が持っていた魔素のみで対処しなければならないのだ。
ふうっと息をついて、ちらりと腕の中を見る。
くたりと力なくもたれる香の姿に、ギルベルは状況を忘れて口角が上がる。焦がれた存在が今、腕の中にいる。それだけの事で、自然と笑みが浮かんでくる。
早急に出なければ魔素を使い切り、この瘴気に取り込まれることになる。バシュッと気合を入れてギルベルは辺りを見回した。
~・~・~
ユーリックの手の中にある石は、未だ周囲の魔素を取り込もうとしているのだろう。触れた手から自分の魔素が吸いだされるのを感じ、あわてて遮断する。
注意深く結界で包み込み、周囲の魔素から石を隔離した。
「ふむ、そこそこ魔素の扱いには長けているようじゃの。ならば、結界でくるんだ中へと湖の底の水を入れるが良い。水が濁ったならば、入れ替えよ」
シェスの言葉にユーリックは眉をしかめる。
結界を維持しながら、その内部へ物体を移送させろというのか。そのためには未だ成功例のない転移の術か、自分が張った結界に穴を開け、水を流し込む事になる。
転移の術は未だ実験にすらいたっておらず、理論のみが先行している。だから現実味のあるのは結界に微細な穴を開け、水を入れる方法だ。
しかし、開けた穴が大きければ閉じたはずの瘴気が噴出すか、新たな魔素を供給する事になる。石の吸収よりも多くの純粋な魔素を大量に纏わせなければならないだろう。
「一度結界をといて水をザバッとかけることではダメなのですか?」
「大気に触れれば魔素を取り込もう。そうなれば、中に囚われておる香が危険に晒されるであろうのう。湖の底まで石を運び結界をとけば一気に浄化出来ぬことはないが、解放された者が溺れるであろう?」
どのような状態で開放されるやも知れぬゆえ、と続けられたシェスの言葉にユーリックは一度目を伏せ、キッとシェスを見据える。今、自分が出来ないといえば今後、香の傍にいる資格はないだろう。なんとしてでも成功させなければならない。
「ひとつお聞きします。湖の底で開放すれば確実に浄化できるのですね?」
ニヤリと口をゆがめたシェスは満足げに湖を指し示した。
~・~・~
あぁ、ボクはもうあの闇の沼に沈んじゃったんだ。指を動かす事さえ億劫になって、まぶたも重くて持ち上がらない。最後にギルベルがいたように思ったけれど、こんな場所に彼がいるはずはない。だって、ボクは嫌われて、見捨てられてしまったんだから……。
ふわりふわりと意識が漂う。自分が何処にいるのかさえわからず、ただレイシェスとシェスを呼んだ。でも二人は現れず……、もがいていたあの沼に沈み込んでしまったのだろう。
香はまどろみながら考える。
やっと再会したギルベルからの言葉は自分にはきつすぎた。自分はあまりのショックに記憶を封じ、“精霊”の二人に守られながら湖畔で過ごしていた。
そして結局危ない目にあって、自分は闇に飲み込まれるのだ。シェスの後継となれる自分がいなくなったら、この世界は遠からず崩壊してしまう。
それは自分に笑いかけてくれた人たちの未来が無くなってしまうという事で……。
でも、自分にできる事はない……、香はまどろむままに意識を彷徨わせる。
自分が動いても、動かなくても、自分が大切に思う人たちは真っ赤になった。
自分はどうすればよかったのだろう……。
何度考えても答えは出ない。ただ皆は自分と関わったから血濡れになったとしか思えないのだ。しかし、それでは自分の存在意義が、人を不幸にするためとしか思えなくなってしまう。
どんな悪態をついても最後には抱きしめてくれた父親を不幸にしたのは自分なのだろうか。
右も左もわからないこの世界で、自分を導いてくれた二人が真っ赤に染まったのも自分と関わったからなのだろうか……。
香は思考の海に沈みこんでいく。
自分がいなければ、みんな元気に日々を送っていたのだろうか。
自分と関わらなければ……。
ふと、何かに包み込まれたように香は感じた。
感覚がなくなっていた体を抱きしめるのはダレ?
不快な闇の感触ではなくあたたかく包み込まれているのはナゼ?
重く纏わりついていた闇の感触はなく、ただただ温かく、気持ちが和いでいく。
不の感情に捕らわれそうになっていた香の感情は、救い出され、真綿で包み込まれるようにそっと抱きしめられていた。
強張っていた香の気持ちはゆっくりとほどけ、自分の今までを思い出す。
なんとか香を笑わせるために必死になっていた親二人。
つらい事はほんの少しであっても排除しようとしていた砦での保護者二人。
さっきまでは思い出すのは血濡れの姿だった。
でも今は、一緒になって笑った顔がうかぶ。自分に向けられた満面の笑みは、四人にとって自分は少しだけでも幸せを齎す事ができていたのだと思いたい……。
そう思いたい。そう考えるほど自分を包んでいる気配はあたたかく、安心できる。
どんな事からも守られていた幼いころのような安心感に包まれる。
優しく温かな笑顔をで包みこまれている。
この感じは、もしかして……、ほんとうに彼はいたの?




