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104 そして人影が消えた。

「ならばその覚悟を見せるが良い! その命、香にささげよ」


 静かに告げられたその言葉に、二人はギラリと目を光らせ、シェスを見据える。


「いまさらな事を言う。俺はもう二度と香を離すことはしない。俺の命で香が助かるならば喜んで差し出そう。」


「香くんが目覚めた後のフォローをお願いします。僕たちが居ないことで心が乱されないよう」


 ニヤリと笑ってギルベルは言い、ゆったりと微笑んだユーリックも続けた。



「ふむ、相変わらず心構えだけは十分と見える。その言葉に力は伴っておろうの?」


 確認とばかりに威圧を増したシェスの言葉に、二人は当然とばかりにうなづいた。それを見たシェスは満足げに笑んで手をかざす。


 そして人影が消えた。



「……なんでっ!! 何故また僕だけが取り残される! 僕に何が足りないんだ!!」


 ギルベルを見送ったユーリックは慟哭とも言うべきような声音とともにシェスの胸元をつかみあげた。そして、ユーリックの魔素が、その体から吹き上がった。

 ここぞと言うべきときいつも自分は出遅れる。前回は意識がなかったが、今回は別だ。

 今、目の前で、ギルベルだけが選ばれ、自分は捨て置かれた。



 “精霊”たちにとってユーリックは香に必要な存在ではないと態度で示されてしまった。


 

 いつの間にかそばで見守ることが当たり前となり、笑顔を守りたいと思った。だが何かあったときに香のそばに居るのはギルベルで……。ユーリックは、自分より経験と実績のあるギルベルが任務で勝る事は仕方がないと思っていた。いつか越えるために、少しでもギルベルの技を吸収していたつもりだった。


 実際、力押しな所もあるギルベルが取り残した部分を補佐し、里から戻った後のギルベルを支えたのもユーリックだった。

 突然魔素が増え、香を傷つけ、自分から手を離してしまったギルベルは機械仕掛けの人形のようだった。

 ただ命をつなぐだけのために食べ、眠る。そして(うな)され、飛び起き、がむしゃらに訓練に明け暮れた。自分を痛めつけるその姿に砦の皆が一歩引く中、ユーリックは術で叩き潰し、ねじ伏せ、ギルベルに現実を認識させたのだ。


「ふふっ、あははっ……」


 思わずこぼれた笑いは湿っぽくて、力をなくした手はシェスから離れ、ゆっくりと目を覆う。



 香を支えるためにギルベルを支えた。香が戻って悲しまないよう、ギルベルに発破をかけた。



 これでは香にはギルベルが必要だと自分で認めているも同然だ。――――実際認めていたはずだった。だが、一人残されれば納得のいかない感情が吹き荒れる。

 ギルベルさえしっかりしていれば、自分が居なくともなんら変わりなく香は笑うのだろうか? 多少なりとも自分は香に求められているのだろうか? 必要とされているのだろうか?



「ユーリック・アルバ、あなたもギルベル・ザントと同じく香にとってかけがえのない存在。いまは可能性の高い彼を先に送っただけの事。ギルベル・ザントが香を見出せなければ、次はあなたです」


 香を腕に抱き、未だ強張った表情と声でレイシェスは告げた。ユーリックは俯きそうになっていた顔から手をずらし、レイシェスたちを見る。


「これが関わると途端に大胆にも脆くもなる。よほどぞっこんという所かの……。時間が経ちすぎればあやつは死ぬるであろう。その後、おまえの出番じゃ、心しておけ」


 シェスの言葉に不信が募る。ギルベルの次が自分だという。ならばその時、香はどういう状態になっているのか……。


「それの意味を伺っても?」


「言葉通りじゃ、香は何もせずとも時間とともにいずれ目覚めるであろう。しかし、時間が過ぎれば香は損なわれ、香が香として目覚めることが難しくなる。精神(こころ)を病むか、肉体(からだ)を損なっておるか……、それは目覚めるまでわからぬ」


「!! 香くんを助けるために命を懸けろと言ったんじゃないんですか!!」


「我は、そなたらの命と引き換えに香が無事戻ってくるとは言ってはおらぬ。香のために命を捧げよと言ったのじゃ」


 ……確かに、シェスの言う通りだった。しかし、ユーリックは自分たちの命で、香の無事が購えると思い込んでしまっていた。

 だが、香がなんら損なわれることなく目覚めるのであれば命などなんら惜しくもない。この思いはおそらくギルベルも同じはずで……。


「では、僕の出番はないでしょう」


 香を助けるために全力を尽くすであろうギルベルに不可能はない。そう思える程度にはユーリックはギルベルを信頼していた。

 一年目休暇で初めて対面したギルベルは、奔放で捉えどころのない自由な男だった。それが香と出会い、徐々に角が取れアクが抜かれ、ユーリックにとって何処にでもいる、だが信じるに足る一人の男となっていったのだ。

 香に関することで、唯一自分以外で信頼できるギルベルがしくじれば、術の能力はともかく経験で劣る自分がうまく動けるはずはない。ユーリックにとってギルベルとはそんな存在だった。 


「ならば、これを浄化せよ。今回の騒ぎの元じゃ」


 指し示されたのはコブシほどの石で……。


「そこな瘴気を浄化せよ」


 半分ほどが黒く染まっていた。

 よく見ればその黒は禍々しく輝いていて、あたりの魔素を取り込んでいる。そして体積に見合わないほどの瘴気を持ちながら、なお膨れようとしていた。


「これは……」


「狂人の置き土産じゃ……」


 レイシェスがその胸に香を抱きしめながら、緊張を高める。


「置き土産?」


 ユーリックは思わず聞き返し、砦で受けた報告を思い出した。

 たしか、面相の変わってしまったサヌエル・プレスはこの湖のそばで凶行に走ったのではなかったか。体格から子供であったろう犠牲者の名は未だわかっていない。村に通っていたとき連れていた子ではないかと教会に問い合わせても、返答はなかった。


「我らは瘴気を薄め散らすことはできるが、触れることは禁忌じゃ。不用意に関わればあり方が変容するゆえな」


 シェスの言葉にレイシェスがなおいっそう体を強張らせる。香を抱きしめる手は白く、身にまとう衣も光沢を持った白だった。

 その様子に精霊族の里では本当に危なかったのだとユーリックは思った。



「今の僕にできることであれば、なんでもしましょう。香くんを助けるために!」



 シェスは満足げに頷いた。



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