102 ……拒絶されても仕方がない。
二人を阻んでいた結界が消えたとたん、湖面が波立ち水しぶきが舞い上がる。散った水滴は落ちることなく霧状になり、瞬く間にあたり一面真っ白になった。
「何が起こった?!」
「“精霊”が不安定になっているんです。彼女にとってよほどのことが起こったとしか……」
“精霊”にとってのよほどの事とは、香が関わっているとしか思えない。見合わせた互いの顔は強張っていた。
「ともかく急げ!!」
ギルベルは叫ぶとともに異変の中心へと木々の間を駆け抜ける。強大な魔素の下へ、“精霊”レイシェスが居るであろう場所へ。
自分が傷つけてしまった香も“精霊”とともに居るはずだ。ならばこの異変の元は香と無関係とは思えなかった。また硝子玉の視線を向けられるのだろうかと思えば胸が軋む。だがそれは、自分が受けなければならない罰でもある。
先へと急ぎながら、ギルベルは砦に戻った時ユーリックから言われた言葉を思い出していた。
「いつもは冷静だけど、香くんが関わると途端に余裕がなくなりますよね」
後から思えば、香の手を振り払ったことがすでに、冷静さを欠いていた証拠だ。香の気持ちを考慮せず、自分の感情を押し付けた。ただでさえ大変な目にあった香を労わる事もせず、己のことで精一杯になってしまった。
……拒絶されても仕方がない。
砦での夜、何度も香の夢を見た。感情の無い香の瞳から涙が流れ、次いで拒絶の言葉が耳に届く。
「ぎうべるなんかもう知らない。そばに来ないで」
自分の言った言葉を返され、それがどれほどの凶器かと思い知らされる。一緒には居られない、そう言った自分の言葉が香の口から言葉を変えて返ってくる。
硝子玉の瞳がギルベルを断罪する。そばを離された後、香はどうなったのか。“精霊”たちは香を手厚く保護しているだろう。それは解っているが、その中に自分が含まれて居ないことに、なんともいえない憤りを感じ自分で自分が許せない。
足早に進む先は木々に紛れ見通しは悪い。だが大きな魔素の塊が二つ、感じられる。ひとつは“精霊”。では、あとひとつは?
“大地の精霊”であるシェスと対峙したギルベルは、彼の存在感がこんなものではないことを知っている。だからシェスではありえない。では誰なのか……。感じる二つの魔素は人の範疇を超えた大きさで、“精霊”であったとしてもその力は歴代一、二を争うのではないか。
知らされた知識で“精霊”レイシェスが精霊族の巫女であったことは確かだ。そしてその巫女が稀代の力を持っていたこともまた事実だった。ならば、力の強い精霊族が“精霊”となったならば、その力も大きくなるのだろうか。
人の接した“精霊”で意志の疎通ができた者のほうが珍しい。
忙しなく先を急ぐ傍ら、今回もたらされた知の得がたさを、ギルベルとユーリックはかみ締めた。
~・~・~
石を持ち上げたつもりの姿で、香は辺りを覆う暗闇を見渡す。自分が何処に迷い込んだのか、レイシェスたちはどうしたのか、不安に眉を寄せながら立ちすくんでいた。
くるぶしまで沈み込んだ闇の沼から、ゆっくりと何かが這い上がってくる。どろりとしたその感触は、雨上りの校庭でぬかるみに足を踏み入れた感覚に似ていた。しかし、一、二センチほどしか沈まない校庭とは違い、この闇はゆっくりと、でも確実に足を伝って上ってくる。
香はおののきながらも周囲を見回す。いつもそばで見守ってくれているレイシェスと、何かあれば駆けつけてくれるシェスの姿を探した。
だが、目に映るのは闇に中に浮かんだ不気味な塊で。
デコボコした表面と、何か不気味な空気を撒き散らしているその雰囲気に圧され、香は一歩下がった。
「レイシェス、シェス、どこ? ここ、何処なの?」
助けを求めるつぶやきは闇に溶けるばかり。
嫌悪感をあおるような空気にのどを詰まらせながら、香は何とかレイシェスのそばに戻らなければと瞳を潤ませる。
こんな怖い所は知らない。
日本に居れば疎まれながらも一人生きていけた。ここに連れて来られた後は、レイシェスとシェスのそばでゆっくりと日々をすごして居たのだ。
木の実を食べ、湖で体を清め、木の葉の寝床で眠る。“精霊”であるレイシェスは一緒には眠れないから、その気配を感じながら眠りに落ちるまで一緒にいてもらっていた。
なぜかぎゅっと締め付けられるような、そんな切ない気持ちになったときには二人が術で抱きしめてくれる。
いつも見守ってくれている二人のそばから離れてしまったことが香の不安を煽った。
自分はどうなるのだろう……。
このまま、ここで沼に沈むのかな。それとも闇に溶け込んで、いやな気配の塊の一部となってしまうのだろうか。
そんなのはイヤだ!!
自分は曲がりなりにも一人で暮らしていた大人予備軍だったのだ。何もできず、このまま闇か不気味な塊に取り込まれるなんで事はご免被りたい。だって、何にもしなかったら一人になっちゃうんだ。
……何にもしなかったから、居なくなったんだ……逆、……だよね?
学校でのいやな事は、イヤだって言ったら表面上は何事も無くなった。でも、巧妙に陰湿になった。
だからどうしようもない時は父さんと相談して対処を決めた。
いまいち微妙なことになっても、自分は我慢して、耐えたんだ。
そして、自分の社会復帰記念に夕食をご馳走して……、二人は動かなくなった。
自分が動くとろくなことが無い。だから自分から行動することは無くなっていった。一人ぼっちになってからは、病院以外に外出することもまれになったんだっけ。
あれ? 自分が動いたら悪いことが起こったんだ……、よね?
こちらに来てからも自分が動き回ったから、レイシェスたちに助けてもらうことになったんだ……よね?
何かモヤモヤする……。
ぞくりと背をなでる悪寒に今の状況を思い出す。足元から這い上がってきていた何かはひざを越え、腿を過ぎようとしていた。何とか振り払うために身をよじるが、くるぶしをとっくに飲み込んだ闇の沼が粘着質に動きを封じる。
生理的な嫌悪感が香の全身を覆った。
イヤだ、嫌だ、厭だ!!
何これ、知らない、こんな気持ち悪いの知らない!!
こんなとこ居たくない、シェス!! レイシェス!! ぎるべる、ゆーり!!




