101 「香くんですよね」
「時々だけど、湖の向こうっ側に子供の姿が見えるんだ。ただそれは光が子供っぽく集まってるってだけなんだけどな、ほんと〜にたまにだぞ」
ボーロック村でたまたま声をかけた男の言葉に二人は顔を見合わせる。その光とはシェスなのか、それとも香か……。
男は光の加減で見える幻とでも思っていたようで、今までユーリックには話していなかった。今回は酒が入って口が軽くなり、話のついでとばかりに口をついて出てきたのだ。
二人が村に入ったのは日が暮れる直前で、訪れる人数が多くなって酒場と宿屋ができた村は、宵闇の中、賑わっていた。村長宅に荷物を置いた二人が向かったのは出来たばかりの酒場で、そこで出会った男の言葉に香へと続く糸口を見つけたのだ。
「香くんですよね」
ユーリックが問えば、「そうだろう」とギルベルが返す。果たして自分たちには光としか見えなくとも、香に会えるのだろうか。
あの日以来、止まってしまった香との時間は動き出すのだろうか……。
〜・〜・〜
「レイシェスはシェスに『レイ』って呼ばれてるよね、なんで?」
起きぬけの香の質問に、レイシェスは目を丸くしながら答える。
「精霊族の名の付け方なのかしら……。『レイ』は零で、『シェス』は称号? だと思うの」
「名前が数字と称号なの? それヘンじゃない!?」
「だけどそれが精霊族の名づけだから……、私も城ではじめて精霊族だけなのだと知ったのよ」
ならば、『ミツキ』と『ヤツシ』も数と称号なのだろうかと香は思った。そして浮かんだのは『ヤツグリ』で……。もしかしたら医務長さんは精霊族だったのだろうか。そんなことをふと思い、首をかしげる。
……なんで、……誰のこと? 何の名前だろう、医務長さんって誰だっけ……
澄んだ水で顔を洗い、軽く身なりを整え朝食の用意をする。“精霊”の二人は食事を取らないから、香は自分の食べる分だけを用意する。それでもどんな料理なのか知ってほしくて、傍にいるレイシェスの視線を意識しながら作っている。
「今日は簡単に済ましちゃおうかな、たまにはイイよね」
そう言って香は果汁を絞り、ちぎった葉とあわせ干した果物を加えた。いつも使っている大きめの石の上に大きな葉を置き、朝食を整えた。少しぱさつくパンのような果物をそえ、香は手を合わせてから食べ始める。
「今日は何しようか、レイシェスは何かしたいことある?」
もぐもぐと口を動かしながら香は聞いた。いつもなら食事を終えたら好きに湖畔を散策するのだが、今日はなんだかちょっと違うことがしてみたい気分だった。
「何にも無いなら、少し湖から離れてみてもいい?」
ちょっとだけ……、冒険したいななんて思いながらレイシェスを見た。
〜・〜・〜・〜
「本当なら、ここには俺たちは居られないんだよな」
「まあ、そうなりますね。村人の取水以外で湖畔に立ったのは騒動以後、僕達が初めてじゃないのかな」
取水に訪れた村人を見送り、湖畔に残った二人はゆっくりと水辺を進む。
村人が進めなくなるという湖に沿った道を進んでいく。途中まで行けばなぜが足が進まなくなり、それ以上は進むことなく対岸を見る。
きらきらと輝く湖面はそれだけで観光名所となりそうなほど美しく、でも湖の中ほどから光の屈折で景色がゆがんで見えていた。それが“精霊”の結界との境界なのだろう。
男の話がどうして酒の上でのついでだったのか納得できた。
これでは何かが反射してそう見えただけと思っても仕方がない。確かな輪郭は何も見えず、ただ木々の緑、土と幹の茶、そして湖面のきらめきがぼんやりと揺らめいて見えるだけなのだ。
道の先へと一歩を踏み出そうとしても、初めて香と会ったときのような隙間は伺えない。
今、二人の目の前に広がる“精霊”の結界は緻密で、繊細で、精密だった。それほどに香を守り、ほかを排除しようとしているのだと感じた。
以前は香を保護させるためにわざと隙間を作っていたとしか思えない。
師団に戻った後、ボートネスのスパルタ特訓を受けたギルベルにも結界の緻密さは感じられた。この何処に付け入る隙があるのか。この中に入り、香と会うことはできるのか。
そして、自分にその資格があるというのだろうか……。
〜・〜・〜
「今度はあっちのほうへ行ってみてもいい?」
ぴょんぴょんと跳ねる香に笑みをこぼしながら、レイシェスはついて行く。自分の結界の中であれば何処にいても場所はわかる。しかし香の嬉しそうな顔は見えない。だから後を追い、万が一にも香に危険がないよう見守っていた。
木々の間をすり抜け、小石や木の根に足を取られそうになりながら奥へと進む。レイシェスの姿を確認しながら進むため、歩みが遅く香が振り返ればレイシェスはハラハラする。
「後ろは気にしなくても、ついて行くから。足元を見て、転ばないように気をつけて」
わかったあ! と、言ったとたん石に足が乗り、たたらを踏んだ。こけはしなかったが、大きく傾いだ香の体をレイシェスは術で支えた。
「言った傍からこれでは、本当に目が離せない」
苦笑気味のレイシェスに、一個だけ大きな石があったんだと抗議する。「ほらこれっ!!」 と、手に取った瞬間、香は暗闇に立っていた。
〜・〜・〜
どこかに綻びは無いかと魔素を這わせ、意識を凝らす。
「以前見たときより、なおいっそう美しい壁ですね……」
ため息と供に吐き出されたユーリックの言葉に、以前を知らないギルベルも同意した。特訓中にボートネスが展開した結界はギルベルが両手を広げた程度の大きさで、表面はざらついていた。だからこの艶やかさと大きさには感嘆しか浮かばない。人と“精霊”の違いを思い知らされた。
「ともかく行ける場所はすべて足を運ぼう、そしてどこか隙間を見つけるしかあるまい」
ゆっくりと木々の中を進み、周囲を術で探索していく。大きな弧を描いているであろう結界の周囲を二人は進んだ。
……そのとき、ビシリッ!!
何かが弾け、次いで結界が砕け散った。




