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100 だから対応を誤ってしまったのか。

――香は本当に大丈夫よね――


 不安げなレイシェスの顔が眠る香を見ていた。術で取り出した布でくるまれ、眠りを妨げる何もかもを排除した快適な空間の中、ねむる香。


 なのに時折、顔をしかめ涙を流す。その口が紡ぐのは一人の男の名前。“精霊”である二人が排除したくてやまない、おろかな男の名。


 ギルベル・ザント……。


 大きな負担がかかった香の精神に、最後の一撃を与えた男。


 何も解らず、頼るものの無かった香にとって、この世界での避難場所であっただろうギルベル・ザントの傍。やっと安心できる場所に戻れると思った香は、伸ばした手を振り払われた。


 その時、香の心は大きく軋んだ。


 シェスは香が損なわれることを恐れ思わず愚か者を処理しようとしたが、触れた香の精神がいまだギルベルを求めていて……。

 後に男を処理したなどと知ったなら今度こそ香は壊れてしまうだろう。だから、シェスは飛ばした。愚か者を仲間の下へと……。


――香が意識の底で信じきっている男を、我らも信じるしかあるまい。……我の術もそろそろ効かなくなってきておるようじゃしの――


だめならば我は狂うであろうの、そういいながらシェスは笑う。


――香は楽しそうに笑っていたの、二人ともに大事だと、とても可愛らしく笑っていた――


 ほんの少し触れ合った中でいつも香は笑っていたのだ。戸惑い、はにかみながらも、今が幸せだと全身で表していた。

 だが今の香は笑いながらも、どこかに影が潜む。以前の、屈託無い笑顔はなくなってしまった。


 自分で記憶を捻じ曲げてしまったから……。


 香の心のひびは未だ修復されることも無く、その傷を少しづつ広げている。その進行を少しでも遅らせようと眠る香へとシェスが術をかけていた。香の心の安寧のために、香を守るために……。

 だが重ねてかけられる術に香は徐々に耐性を持っていく。だから少しづつ効きが弱くなっていた。……もう残り時間は短い。



 香を本当の意味で救うことができるのは、“精霊”二人が忌々しく思うギルベル・ザントのみなのだから。



  〜・〜・〜



「ユーリ、その話は本当なのか?」


「ええ、兄は村と町に居ますから。湖に香くんがいるんだと思う。だから魔素の光が村どころかペイデルからも見えるんじゃないかな」


 怪訝な顔を向けるギルベルにユーリックは続けた。


「香くんがいれば、“精霊”が二人そろう事になる。“大地の精霊”(シェス)が来られなくとも“湖の精霊”(レイシェス)は香くんが居ることで安定するでしょう。だからこその魔素の増幅だと思うんです」


 “精霊”にとって愛し子は何よりの安定剤でしょう、とユーリックは告げた。


 なるほど、“精霊”であっても一人より二人であれば魔素は大きくなるし、精神が安定すればより魔素を集めるのだろう。

 伝え聞いていた話の確証をユーリックから得たギルベルは、ボーロックの村へと一刻も早く着こうと(ジル)の腹を蹴った。




 王都へと旅立った一行が砦へと帰りついた後、ボーロックの湖を監視していたものからの報告があがった。急激な魔素の増加と、魔素の発光現象だ。日が沈んだ後、湖の方角がぼんやりと闇に浮かび上がるのだという。そのはじまりをたどれば香が連れ去られた日と重なる。徐々に強くなる光は、今ではペイデルからでも見えると聞いていた。

 そしてギルベルはそれをありがたがる人々の波がボーロックの村を襲っているとも耳にしていた。今ではボーロックの村周辺でテント村ができそうな勢いだとか。だが、肝心の湖畔へは近づくことはできず、集まった人々は遠くから湖面のきらめきを見るしかないとも言っていた。




「ギルさんは、もしかしたら湖畔にたどり着けるかもしれませんね」


 殺されるために湖畔に呼び込まれるのだろうか、ギルベルは自嘲気味に笑う。自分は何処で間違ったのだろう。香を見守り、その笑顔を曇らせる様なことはしたくなかった。だが、それ以上に香から危険の種を取り除きたかったのだ。

 その配慮が香を追い詰めたのだろう。硝子玉の瞳はその罪の象徴のようにギルベルを断罪する。


「俺が行くことで何か進展があればいいがな」


 城で聞いた事の顛末はユーリックの予想を大きく超えていて、香の安否は未だわからない。ギルベルの過去もそうだが、彼が感情のまま手を上げたことが信じられなかった。ましてや相手は香なのだ。

 あれほど愛しげに、真綿でくるむように接していた相手に手を上げてしまったことで、ギルベルもまた冷静ではいられなかったのだろう。


 だから対応を誤ってしまったのか。


 常ならば香のどんな小さな変化をも見逃さないギルベルである。それが“精霊”たちの怒りを買うほど追い詰めてしまうまで気がつかなかったのだ。


 通いなれてしまった道を湖へと進む。ボーロックの村へ泊まれば、毎回レイシェスが夢に現れていた。香は()()無事だと、()は大丈夫だと、それだけを告げ夢から去っていく。

 では、いつまで無事なのか、いつまで大丈夫なのか。香の状態はそれほど危ういのだろうか……。


 今、香はどうしているのか。ただ無事に笑っていてほしいとユーリックは願っていた。



「師団長には長逗留の許可を取ってます。今夜は村長の家に泊まり、明日から湖に通いましょう」


 ボーロックに着けば飄々とそんなことを言う。休みは二日のはずだったのに、いつの間にか増やされていたらしい。それを喜ぶべきなのかギルベルには解りかねた。


「湖畔には行けないのだろう?」


香水(かおりみず)のための取水場所には行けるんですよ。村人限定なんですけど、僕たちは特別枠ということで……」


 だから湖畔に行きましょうね、とユーリックは続けた。

 そのしたり顔にギルベルは一瞬引きながらも逆らえないものを感じ、ギクシャクと頷くのだった。



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