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99 そして記憶の渦が皆を飲み込んだ。

「貴様は何処までおろかであるか……。我の香をここまで追い詰めようとは、やはり救う価値はなかったと見える。何処へなりと行くがよい。香はこちらで幸せに暮らすであろう」



 二月(ふたつき)が過ぎた今もシェスの声がこだまする。


 任務中のふとした瞬間に、食事の間の少しの隙間に、硝子玉の瞳とともにギルベルの脳裏によみがえる。

 気遣わしげな視線や好奇の目、興味本位に問いかける者は居なくなったが、香がいない砦はどこかよそよそしく感じて、師団員の顔も雲って見えた。



「ギルさん、今度の休みは一緒にボーロックまで行きましょう」



 ユーリックの言葉に顔を上げれば、疲労を色濃く浮かべた顔が見えた。


 精霊族の里での一件以来、ギルベルとユーリック、フォルハに対する師団員は腫れ物に触るかのように接する。

 確かに、里での一件は秘され、三人には口外禁止と言い渡されてはいる。しかし一緒に砦を出た香の消息まで知らされないのはおかしいと、誰もが感じることだった。

 そんな中、日をおかず休みごとにボーロックへと通うユーリックを見れば何かがあると言っているようなもので……。


「だが、俺が行けば“精霊”の怒りをかうぞ」


 うなる様な呟きがギルベルからもれる。


「でも、休みが重なったのはあれ以来初めてでしょう。遠くで聞くだけではなく、自分の目で確かめ、感じてください。香くんは必ず戻ります。それを信じなくてどうするんです!」






 精霊族の里で目の前に現れたギルベルに歓喜したのもつかの間、香の姿が見えないことと沈んだギルベルの表情で、何かとんでもないことが起こったのだとユーリックは思った。

 それでなくとも目の前に立ったギルベルの存在感が今までになく大きくなっていて、ボートネスに匹敵するほどの魔素を感じる。今までのギルベルは体術や剣術は優れていたが、魔素や術はいまひとつと言われユーリックの認識もそれに沿ったものだった。


「ギルさん……、香くんは、一緒じゃないんですか?」


 びくりと体をこわばらせたギルベルは言葉にならない声を発するだけで要領を得ず、思わずレイシェスを見れば、彼女の顔もまた強張っていた。

 直前まで鮮やかに色付いていた頬は色を失い、一滴の朱さへ無い蝋のような肌がただ震えていた。


「何があったんです?」


 再度問いかけたユーリックへと顔を向けたのはギルベルが先だったのか、それともレイシェスか。

 ただただ緊迫した空気に耐え切れなくなったのは、やはりというべきか精霊族で。


「あの子供はどうした! あれこそが“大地の精霊”さまの寄り代として連れ去られたのだろう? やはりミツキ殿はすばらしい。我らの未来を切り開いてくださった」


 何をもって『寄り代』なのか。なぜ、素晴らしいのか……。

 発した本人でさえも感情のままほとばしる言葉を口に出したかのように、焦点の合わない目を宙にさまよわせている。だがその言葉に踊らされるように賛同するものも表れ、辺りは騒然となっていった。


 喚きたてる者、泣き叫ぶもの、声高に言い募る者。



 一気に騒がしくなることで少しだけ正気を取り戻したレイシェスは、ユーリックとギルベルに視線をひたと合わせる。背を向けたままのギルベルの肩越しに見えるユーリックの顔は疑問に彩られ、問いかける目がレイシェスを射抜いていた。


「ユーリック・アルバ、これからのことは私が直々に知らせていきましょう。でも、今ここで知るべきことはシェスがみなに知らせるでしょう。ギルベル・ザントを頼みます」


 豹変した口調の言葉とともにレイシェスは光に解けた。そして記憶の渦が皆を飲み込んだ。




 “大地の精霊”の歪な在り様。精霊族の、王族と国の成り立ち。そして……、レイシェスの一生。




 驚愕に目を見開き、傍らの師団長へと視線を送るユーリックとフォルハ。呆然とひざを突くギルベル。知らされた記憶を拒否しようとする精霊族たち。


 しかし、意識の奥底で今の記憶は真実であると、うそ偽りは何もないと皆が感じていた。


 大半の精霊族は悄然とうなだれ、今までの一族の行いに打ちのめされていた。一部は受け止めきれず否定する。そしてミツキは師団長の前にひざを折った。


「レイン殿、此度のこと謝罪する。わたしの独断から子供を連れ帰ったのだ。ただ、精霊族の安寧を願って巫女をこの手にしたかったのだが」


 視線を合わせることなくただ言葉を重ねる。それは怒りに燃える師団長には誠意に欠ける態度としか思えず、知らずこぶしを握り締めていた。


「あの子供はここに居るべきだと思ったのだ。あれほどの魔素を持ち、愛し子であるということは、巷では生きにくかろう。そう思い多少強引な手段をとってしまった」


 いまだ「あの子供」と呼ぶミツキにネイスバルトの怒りは増していく。


「「あの子供」とおっしゃられるか。ならば条件を満たせば香くんでなくとも、無理やり連れ去ったと言われるのか」


 知らされた記憶と、告げられた言葉と、どちらにより多くの怒りを覚えたのか自分でもわからないままネイスバルトはミツキに迫った。

 レイシェスが姿を消したのは当時の王族だけに咎があることではない。レイシェスの伸ばした手を振り払った精霊族にも非はあったのだ。それなのに王家は精霊族に対し負い目を感じ、ロイベルトはルマーニュを使い香を城へ連れ込んだ。今度こそ取り返しのつかない失態を犯してしまったのか……。


 当時のレイシェスの絶望はいかほどだったろう、“精霊”であるレイシェスの態度が怒りの大きさをものがたっていた。それが国へ向かうことはなんとしても阻止しなければならない。

 知らされた記憶は城からレイシェスが消えるまで。その後の香との関係や“大地の精霊”を開放する方法などは知ることはできていない。もう手遅れなのだろうか、人はこのまま危うい世界で生きていくしかないのだろうか……。


「私たちは王都へと向かいます。陣を起動していただこう。このたびのこと、すべて報告させていただく。精霊族への対処はおって連絡が入るでしょう」


 ネイスバルトの言葉に言い募ろうとしたミツキを制し、早々に(いとま)を告げる。

 ギルベルの様子では香は帰れないのかもしれない。だが今ここで詳しく話を聞くことはしたくない。かといって落ち着いて向き合える場所が、この里にあるとは思えなかった。たとえ壊滅していなくても、精霊族の目のあるところで重要な話をするつもりなど無い。


 強い意志を持ってネイスバルトはミツキとカズヒを見つめる。否の言葉など言わせるつもりは無かった。それに答えたのはカズヒ。


「わかりました。私でよろしければ送らせていただこう」


 そして一行は香を欠いたまま王都へと戻り、後に砦へと帰還した。



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