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1  はじまりは抹茶ミルク

「すきです」


すみれは彼の目が見開かれるのを、なぜだろうとぼんやり見つめた。

そこではっと気付き、口を手で覆った。

いま、わたしは言葉を口にしたのだろうか。



「ありがとう」


彼は目を逸らさずに真面目な表情で、そう言った。


--ありがとう


ありがとう


自分の気持ちと言った台詞が、どうやら不快ではなさそうだと気付き、ほっと安堵した。

こんな一方的な言葉に、きちんと返答してくれるなんて、なんてやさしい人だろう。

すみれにとって、気持ちは相手にぶつける物ではなく、自分のなかで昇華させるものだ。

それを、思わず蒼十郎に丸投げしてしまったことに密かに恥じ入った。


ほうっと嬉しげかつ満足げに微笑んでお茶を飲むすみれを何か言いたげに蒼十郎は見ている。

自分の失態がなんとか落ち着いたことに安心しているすみれはもちろん気付かない。


幾度か逡巡をみせ、「それって--」と口を開いた丁度その時、アナウンスが言葉をかき消した。


「三年四組 二宮 蒼十郎君、至急職員室、森川のところまで来てください」



「呼ばれてますよ」


「呼ばれてるな」


彼はため息を吐きながら袴の裾をさばいて立ち上がると、「お茶、美味しかった」と言って

部屋を出た。「ありがとうございます」

いつも欠かさずにお礼を言ってくれる蒼十郎の礼儀正しさがたまらなく好きだ。

思わずにやける口元を隠すように、お茶を二口ほどすすった。


彼との出会いは一年ほど前、すみれが高校一年生になってまだ着慣れない制服に初々しさがにじみ出ていたころ。

早々に茶道部に所属したすみれは、茶道部員がほとんどやる気のない幽霊部員のような人達ばかりだということを知った。

外部から先生が来てくださる火曜日はそこそこの人数が参加するのだが、水曜と金曜はほとんど人が来ない。特に金曜は休みの前日のせいか、人が来ることも稀だった。

すみれはきちんと週三日とも参加していたのだが、この法則に気付いてからは、金曜など「ここは私の部屋ですけど、何か?」ばりに好き勝手して過ごしていた。

外部の人から見ても新入生とわかる初々しい新品の制服姿のくせにずいぶん豪気なことである。


そうして、適当にお茶を点てて、本を読みながら飲む姿も板につき、あろうことか売店で買った牛乳とブレンドして抹茶ミルク(砂糖は家から持参)作りにまで手を出したその日、その時。

茶道部のドアをノックもなしに開け放ったのが蒼十郎だった。


「あ。」


「え。」


それが二人のかわした最初の言葉である。

見事にあ行のみで集約された応酬。

どちらが「あ」でどちらが「え」だったかは本人たちにも、もう定かではない。

あわてることも忘れ、知らない人物の出現に呆けるすみれを見て、広げられた本と、開けられた150mlの牛乳、そして抹茶の粉。

それらからその神をも恐れぬ気ままな活動ぶりを感知し、派手に蒼十郎は吹いた。

響き渡る笑い声にやっと呪縛から解けたように慌て出すすみれに、彼は笑いながら、

「それ、俺にも作って」

といったのである。

見とがめられるかと思われた見知らぬ人が共犯者になったことに落ち着いたすみれは、

そこでようやく彼が幽霊部員筆頭の、名前しか知らなかった二宮蒼十郎であることを知ったのだ。



なぜ、すみれが名前を知っていたかというと、入部当初、部の名簿に連絡先を書かされたとき、ふと、目についたのである。


その文字に、すみれは「うっ」と内心よろめいた。



名前に。


それは、古風なものを好む、すみれのストライクど真ん中だった。



何度も言うようだが、名前が。


それからというもの、彼の名が校内アナウンスで呼ばれる度に、「あ、あの人だ」とまるで恋する乙女のようなセリフを心の中でつぶやいたものである。

彼は何故か頻繁に呼び出される大人気な人物で、そう何度も聞いていたら慣れてしまいそうなものなのに、すみれはそれでもいちいち素直に「あの人だ」と密かな繰り返しを続けていた。


しかし、一目ぼれの(名前を持つ)相手は名前は大放出のくせに姿をあらわすことはなかった。


そんな未確認生物、蒼十郎に初めて出会ったのが抹茶ミルクをつくった日。

しかも二度目に現れたとき、なぜか彼は実に凛々しい袴姿のいでたちだった。なぜか。


実に素晴らしく似合った袴姿に、つっこむこともできずにお茶を勧めたぼんやりさんなすみれがその理由を知ったのは三度目に会ったとき。


その日も袴で現れた蒼十郎とのんびりお茶をすすっていると、突然、がたんっという乱暴な音と共に

やけに体のおおきな、これまた袴姿の男の人が入ってきたのである。

「二宮っ!お前こんな所で練習さぼりやがって!」

そういうと大きな人は、すらりと背の高い蒼十郎の襟首をつかんで引きずろうとした。


「なに言ってるんだ。俺は立派な茶道部員だぞ。部活に来てなにが悪い。」


勢いの良い大きな人を相手に、いっそ呑気にも見えるいつも通りの口調で少し不服そうに口答えする蒼十郎を、すみれは意味が分からないながらもはらはらと見守った。


「同時に剣道部員だろうが!今日リーグ戦があるから逃げてきたんだろ」


「あんな時間ばかりかかるまどろっこしいこと、やってられるか」


「何言ってんだ、帰るぞ!---煩くしてごめんな」


後半を、すみれに向かって蒼十郎を掴んでいないほうの手で「ごめん」の形をして、その人は去っていった。

取り残されたすみれは、彼は剣道部員だったんだなぁ、と思いながら、さっきまで蒼十郎の使っていた、今は空の茶器をかたずけた。


いつでもきちんと最後まで飲んでいく、それが蒼十郎である。



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