特機あるべし
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
アルバム、かあ。こうして実物の写真をとっておく機会も、これから減っていくのかなあ。
ほら、最近はすぐにスマホとかで写真を撮ることができるでしょ。それを生かしてQRコードを読み取ったりとか、いろいろなことに手間がかからなくなっている。
手間がかからないってことは普段使いできるってこと。普段使いできるってことは特別でなくなっていくこと。どれもこれも当たり前になるから、ちょっと手こずったり遅れたりするだけで、キレてしまう心が育まれかねない。
個人的に手間がかかることって、必要だと思うんだよねえ。特別感を持つためには、特別な手間と体験が要る。本来なら無視したって人生には問題がないような時間。
そいつがプラスでもマイナスでも、イベントありきだ。
時間をかけて、一緒に居て、仕事をこなして、ようやく愛着が湧く。重ねていけば唯一無二になることだってある。いつでもできるんじゃなくて、そのときにしかできないことなんだと、思えるようになる。
このアルバムもしかり。こうして撮影してからずっと時間が経ってから、振り返るという行為そのものも特別になる。普段なら、なかなかやらないことであればね。そのおかげで出会えることもあったり……。
以前におじさんから聞いた話なんだけど、聞いてみない?
おじさんも、小学校を卒業してから10年ぶりに実家へ帰って、アルバムをめくっていたときがあったみたい。
写真の手間が、今よりもずっとかかる時代。その特別感たるや、簡単に「わかる」とは共感できないところだろうな。誰にだって思い出補正はかかるだろうし。
おじさんもぺらぺらめくりながら、己の6年の記憶を振り返っていく。学校の卒業アルバムだから、おじさんオンリーとはいかない。他の生徒たちもちらほらと姿を見せる。
アルバムを見ようと思った、大きな理由のひとつがこれだ。顔と名前を一致させるという仕事。ちかぢか同窓会があるのだけど、その際の記憶力に不安があったんだ。
面と向かって、名前をたずねるのはどこか失礼で負けたような感じさえする。そこで覚え直しをしようとしたのだけど。
何枚も見ていくうちに、おじさんは少し不審を覚えた。
おじさんの通っていた学校は人数が少なく、クラスも同学年で一クラスしかなく、クラスメートは6年間ずっと同じメンバーで過ごす。途中で転校生が出てきたりしない限りは。
4年生あたりまで見ていったところ、急にとある子が写真に出てくる頻度が落ちてしまったらしいのさ。
クラス全体の写真だから、全員がいつも写るわけじゃない。ある程度のかたよりが出るのは仕方ないことだけど、4年生以降は明らかな差だ。
まったくいなくなったわけじゃない。ときどきは写真の中へ姿を見せるから、純粋に回数の問題……とおじさんは当初考えていたみたいだ。
けれど、いったんアルバムを最後まで見終わり、あらためて学年の前のほうから見直してみて、新たに気づいた。
減っている。
先ほど、その子が写っていた写真は、気にし始めたときからおおよそ確認できている。
その4年目以降ばかりか、3年目より前に写っていたはずのものからも、どんどんとその子の姿は消えていた。
それこそ、スマホなどが手元にあれば、逐一撮影して確かな比較証拠を手にできたかもしれない。でも、当時のおじさんにそのようなものはなく、何度もページを行き来する羽目になった。
直近に見た写真から姿が消えたことで、おじさんははっきり確信を持ったみたいだ。
その子のいたはずの空間が、何かに置き換わる。背景かもしれないし、先ほどまで写っていなかった他の人が、急に現れて埋める場合もあったとか。
目を離したスキに、そのことごとくが起こるから、消えた瞬間をおじさんはついぞとらえることはできず。その子が完全にいなくなるのを、見届けるしかなかったらしいんだ。
そして同窓会に、その子はやってこなかった。
他のみんなに聞いてみても、誰一人。そう、誰一人その子のゆくえを知る人はいなかったのだと聞いているよ。
あの写真たちに写っていたものたちも、その子の元へ戻っていく機会を待っていたのかなあ。




