7 「友人」
「タリク殿下っ」
「で、殿下……」
背後から慌てふためく声が聞こえてくる。
「あ、そ、そうですよねッ、べ、別に黄緑色でも」
「あのもちろん、まったく問題はないと思います」
「だろう?」
圧のある声が会話を終わらせた。
やはり聞き間違いではない。たしかにタリクの声だ。
――私を庇うような発言をしたら、いらぬ憶測を呼んでしまうかもしれないのに。
いま自分が顔を上げて彼のほうを見たら、そんな憶測に拍車をかけてしまいかねない。そう思って視線を下ろして俯いたままモグモグしていたら、対面の席にドンとトレーが置かれた。そして――
ナディアは思わずポカンと口を開けてしまった。正面に座った人の髪がナディアと同じ黄緑色だったせいだ。
彼はナディアの視線を受け止め、当たり前みたいな顔をする。
「君のを見ていい色だと思ったから、私も同じ色にした」
「そ……そうですか……」
ナディアには理解できないセンスだが、彼がいいならまぁいいのだろう。琥珀色の瞳と黄緑色の髪は、たしかに合っているような気もする。
「あのでも、どうしてそこに……?」
声を潜め、周囲から会話をしていると思われないように唇を動かさずにそう問いかけた。
彼は口をへの字にして小さなため息をつく。
「私のそばにいると君がいらぬ嫉妬を買うのではと思った。それで、君を守るつもりで距離を保とうとしたんだ。だが、この数日で思い知ったよ。『私のそばにいると』なんて、とんだ思い上がりだった。私がいなくとも君自身の優秀さで目立つし、くだらん連中の嫉妬も買う。苦労して距離をとる意味がない。面倒なだけだ」
彼がそんなことを考えていたなど、思いもよらなかった。
ナディアは驚きでしばらく口をぱくぱくさせた。
「て……てっきり、私と親しいと周囲に誤解されるのが嫌なのだとばかり……」
「逆だな。君が私と親しいと誤解されると君にとって不利益になると思った」
そう言って彼はスープをひと口飲んだ。
周囲から「なんで殿下があの子の前に座ってるの!? それに、あの髪色は何!?」「お揃い?」「なんであんな色なの!? 茂み!?」という悲鳴にも似た囁きが聞こえてくる。
注目されるのが嫌で床に埋まってしまいたくなっていたら、ふわりとまた、あの香りに包まれた。焼けた岩肌に夕立が触れたときの匂い――彼の魔力の匂いだ。
なんだろう、とナディアは彼を見る。
「遮音の術をかけた。食堂中が聞き耳を立ててるからな」
ナディアと彼の声が周囲に聞こえないようにしたらしい。逆は聞こえるので、「ちょっと! 何話してんの!? 殿下が何か喋ってるのに、声が聞こえないんだけど!」なんていう金切り声が飛び込んでくる。
「本当は目隠しもかけたいが『中で何をしているのか』と余計に騒ぎになるだろう」
たしかに、ひどい騒ぎになるのが容易に想像できる。
「殿下はいつもこんな中にいらっしゃるのですね……」
「まぁ、そうだな」
そりゃあ旧校舎に逃げたくもなる。
ナディアだって正直、ご飯を諦めて今すぐ逃げ出したいくらいだ。
そんなナディアの内心を知ってか、タリクが「堂々としているんだ」と低く言う。
「君が顔を下げる理由はどこにもない。胸を張れ」
その言葉に、ナディアの背筋が勝手に伸びる。術をかけられたわけでもないのに。
それでも周囲の人たちと目を合わせるなんてできるはずもないから、視線はやはり手元に落とす。
「お」
タリクが低い声を上げた。そしてナディアの背後の一点を見つめている。その視線を追って振り向くと、防衛魔術の講師が入って来たところだった。ナディアの髪を黄緑色にした人だ。
ふわと、タリクの魔術の匂いが香る。
ナディアは彼を見た。
琥珀色の瞳は講師をとらえたまま動かない。
――嫌な予感。
「あの……殿下……何をなさろうとしているのですか?」
「彼が君にかけたのと同じ術を、彼にお見舞いしようかと」
さらりととんでもないことを言われ、ナディアは思わず立ち上がった。
「やめてくださいっ!」
叫んでから慌てて口を押さえたが「大きな声で話しても、どうせ誰にも聞こえてないぞ」とすかさず指摘される。
「君がそう言うなら」
魔力の香りが薄まる。
ホッとしながら座る。というより、椅子に崩れたといったほうが正しいかもしれない。
「なぜそんなことを……」
「腹が立つから」
タリクは悪びれもせず、涼しい顔でそんなことを言う。
「あの講師は敢えて君を選んだ。君ほど優秀な生徒ですら瞬時に反応して術を返すのは難しい、というのをクラス全員に知らしめるためにね。その動機自体はまぁ理解できるとしても、かける術は慎重に選ぶべきだった」
そう言って、タリクはナディアの背後に鋭い視線を投げる。
「わざわざ馬鹿な連中を喜ばせるような術を選ぶなんて。しかも一週間。もっと短時間で効果がなくなる術を選べばいいものを。生徒を不用意に傷つけるようなやり口は好きじゃない」
さも当然とでも言いたげな様子に、ナディアはクラクラする。
「だが、君が報復したと疑われては困るから、やめておいたほうがいいな」
「やめておいたほうがいい理由は他にもたくさんあるかと……そもそも、講師に術をかけるのは規則違反では……?」
「だが容疑者は全校生徒だ。君のような面白い能力でも持っていない限り、術者を特定するのは難しいからな。犯人がバレる頃には、私はとうに卒業してるさ」
――そうだった。そういえば彼は、規則を破って中庭でスナネズミになってた人だった。
「ついでに周りでヒソヒソしてる連中の頭もまとめて黄緑にするのもアリ――」
「ナシです。絶対にやめてくださいっ」
恐ろしい言葉を遮ってそう言うと、タリクは朗らかに笑う。近くで過ごすようになったこの数日で一番の笑顔だ。
「まぁ、明日にはどうせそうなる」
「明日……? どういう意味ですか……?」
彼はナディアの問いに答えず、ただ微笑んで見せた。
彼の言葉の意味がわかったのは、翌日の朝食のときだった。
「殿下……これは一体……?」
当然のような顔をして正面に座った彼に問いかける。
周囲の学生にちらほら、ナディアとタリクと同じ髪色の人たちが混じっているのだ。
「もしかして……殿下が術を……?」
「いや、私は何もしていない。彼らが自発的に変えたんだ。『木を隠すなら森』。これだけ黄緑頭がいれば君も目立たない。よかったな」
「でも、なぜ――」
わけがわからずそう言いかけたら、テーブルわきの通路を通りがかった学生がタリクに「殿下と同じ色にしました!」と声をかけた。タリクは「そうか」と短く返事をする。それを見て合点がいった。
「なるほど……皆、殿下の真似を……」
「君の真似という可能性もあるが」
「そんなはずはありません。私の真似だとしたら、皆もっとボロい服を着てくるはずです」
そう言うと、タリクは口の端だけで小さく笑った。
それと同時に、彼の魔力の匂いがふわりとナディアを包む。また遮音の術をかけているらしい。
視界に入るだけでも、彼の背後に十を超える黄緑の頭が見える。
その影響力の大きさを目の当たりにして驚きながら食堂を見渡し、彼に視線を戻した。眉を下げ、口の片側だけを持ち上げた、微笑とも苦笑ともつかない顔をしている。ナディアの視線に気づいたのだろう。彼が肩をすくめる。
「自分の力で得たわけでもない称号でチヤホヤされるのは正直あまり気分のいいものじゃないが、こういうときは悪くないな」
その指に、王妃から渡された魔石が光っている。王妃があのとき「あなたがこういうものを好まないのは知っている」と言っていたのは、もしかすると石のことではなく「王子として特別扱いをされること」だったのかもしれない、とナディアは気づいた。
そんな彼が、自身の影響力をナディアのために使ってくれた。自身が髪色を変えれば追従する学生が出ることをわかっていて、ナディアが埋もれるようにしてくれたのだ。
「……殿下はお優しいですね」
そう言うと、タリクは身を引いて眉を寄せた。椅子の背もたれに身を預け、訝しげな視線を寄越す。
「自分で言うのもなんだが、私を『優しい』と評するのは君だけだと思うぞ。私のあだ名を知っているだろう?」
そう問われ、ナディアはえーっと、と記憶を辿る。たしかに聞いたことがある気がする。彼の眉間に刻まれた縦ジワを揶揄するようなものだった。ただ、そのとき聞いて「ふぅん」と思っただけで自分があだ名を口にしたこともないので、正確に覚えていない。
「ええと……『ムッツリ殿下』?」
言うなり、タリクがブフゥと噴き出した。
「……それでは意味が違ってくる」
そう言って口元を手の甲で拭う。
「え、違いましたか?」
「違う。『ムッツリ殿下』じゃなくて『不機嫌殿下』だ。くそ、なぜ自分でこんなことを」
「あ、そうでしたね。でも……『ムッツリ』は『不機嫌』という意味だと思っていましたが、それ以外の意味があるのですか?」
あだ名の由来となった縦ジワが深くなる。
「私に聞かないでくれ」
「本には……」
「書いてないな」
「では殿下に教えていただく以外に知る術がありません」
ナディアは身を乗り出した。が、彼は椅子にもたれたまま腕を組む。
「そんな顔をしてもダメだ、教えないぞ」
そう言ってから表情をゆるめ、呆れたような顔をする。口角は上がっているところを見ると、今は不機嫌ではないようだ。
「君は面白いな」
「え……私が?」
「そうだ」
この学院へやって来て半年――いや、この学院へ来る前も――ナディアはずっと遠巻きにされてきた。自分の異質さは理解しているから、仕方ないとも思ってきた。
だがタリクはそんなナディアやナディアの能力を「面白い」という。
「だいたい、母と初対面であんなに話せるのは君くらいのものだと思うぞ」
「あ……それは……昔から大ファンなので」
「それはよく伝わったよ。君の部屋の書棚にも、母の論文や関連書籍がぎっしり詰まっているし」
「お気づきでしたか」
「そりゃね。あんなに大きく『ルル様』と書かれた分類札を見れば、誰でも気づく」
ククク、と彼が笑う。
彼の術の外側で「殿下が笑ってるっ! なんで!? なんなの!? 何話してんの!? ちょっと!」という叫び声が聞こえた。
ナディアは反射的に背を丸めて小さくなろうとしたが、またタリクに「堂々としてろ」と言われ、背筋を伸ばした。周囲からの視線を感じて落ち着かないながらも、目の前のタリクに集中しようと努める。
――ええと、そう、ルル殿下の話。
「あのときは……憧れの人に会えた喜びで舞い上がってしまって、何を言ったかほとんど覚えていないんです」
タリクはなおも笑った。
「君が挙げた母の論文、難解すぎて家族は誰も最後まで読めていないんだ。だから母はあんなふうに言ってもらえて嬉しかったと思うよ」
そして急に真剣な顔をする。
琥珀色の瞳にまっすぐに見つめられて、目を逸らすこともできずにナディアは彼を見つめ返した。
「あの日、君の傍にいる自然な理由を探して知恵を絞ったが、答えは案外単純だったな。『友人』でいい。誰にも何も疑われずに行動を共にできる」
彼はなんてことないとでもいうように微笑んで、肉にフォークを突き立てる。
「今日もみっちり授業だろう。腹ごしらえをしておかないと、もたないぞ」
進みの悪いナディアの手元を見て、彼がそう言った。
そりゃあそうだ。衆人環視の中で平然と食事をできるほど、ナディアの肝は据わっていない。
「あの……本当によろしいのですか」
「なにが?」
「『友人』だなんていう設定にしてしまって……殿下に不利益はありませんか?」
ナディアがそう問うと、タリクは「設定?」と眉根を寄せた。
「違う、事実だ。君の友人になるのに何か小難しい要件があるなら別だが」
「そんなものはありませんが……」
「それなら問題はないな。叔母君への手紙にも本当のことを書けばいい。今まさに『友達と一緒にご飯を食べている』だろう? 授業にも一緒に出るし、食事も共にする。図書館で勉強もする。手紙に書いたことがすべてそのとおりになる」
――あぁ、そういうこと。
ナディアは今朝の恥ずかしさを思い出して目を伏せた。
「叔母への手紙のことでお気遣いくださったんですね」
「気遣い? いや、それは違う。気遣いで人と親しく振る舞うほど人間はできていない」
そう言ってタリクは自身の背後を振り向いた。「キャア、こっち向いた!」「かっこいい!」「話しかけてくれるかな?」という歓声が上がる。
「――あれら全てと親しくなるとでも?」
そういえば、先日「一緒に勉強しよう」という趣旨の誘いをキッパリと断っているのを聞いたばかりだ。
「それなら、なぜ……?」
どうして彼がナディアと友達になろうと思ったのか、よくわからない。
「友人になりたいと思ったからだ」
「え……」
なぜ、ばかりが頭に浮かぶ。
「これは予想だが、我々は結構いい友人になれると思う」
「……随分……贅沢な友人ですね」
なんとかそう絞り出した。
「私にとって、な。特別奨学生のノートを覗き込む機会なんて、なかなかあるもんじゃないからな」
――友人って、こんなふうに突然できるものなんだ。
ナディアは琥珀色の瞳を見つめながら、そんなことを考えた。
遮音の術の外側で何か話す人たちの声は、もうあまり気にならなかった。




