3 王の息子
――四六時中……一緒に……?
心に浮かんだ「とてもめんどくさいことになりそう。とても」という感想は口には出さないでおいた。
同じことを思ったであろうタリクの眉根にはクッキリした縦筋が二本。
「タリクは去年教わったと思うけど、使役の術がかけられた直後は使い手と使い魔の絆がとても不安定なの。離れた場所にいると使い魔の方が猛烈な不安に襲われるのよ。サマーリも最初の頃はタリクにべったりくっついて離れなかったのを覚えているでしょう?」
タリクの腕で鷹がギュッと小さな声を上げた。サマーリという名らしい。
「しかし、私には公務もありますし、彼女にも授業が――」
「別に無理にとは言わないわよ。ただ、使い魔であるあなたが苦しむことになるのよ。自分で自分の首を絞めるのが趣味なの?」
タリクの喉から「ンぐぅ」という音がする。
「公務はいかようにも調整できるわ。それにタリクは八年生の後期だもの。単位はもうほとんど取得し終わっているはず――よね?」
圧のある問いに、タリクが頷く。
「それなら授業の数も少ないでしょう?」
「はい。四コマです。『治癒魔術・上級』と『薬草学・発展』と『魔力制御』と、『魔術法制史』」
「あ、私も『薬草学・発展』と『魔術法制史』の二つは選択しています」
「それは好都合。タリクの履修科目四つのうち二つがかぶっているなら、それほど無理なく互いの授業に同席できそうね」
「つまり、私の授業に彼女が出席し、彼女の授業に私が……?」
タリクの眉間にはかなり深いシワが刻まれている。
「周囲への説明をどうするかが悩ましいですね」
「彼女の授業に参加するのは使い魔のスナネズミだから、その点の説明は不要でしょう。あなたがスナネズミになっている間は『公務で不在にしている』とでも言えば、疑う者も出ないでしょうし。変身は空き教室とかトイレとか、人目につかないところで済ませるとして……あとは、学院長からあなたの変身について特別許可をもらうくらいかしら」
王妃は何か考え込むように顎に触れる。
「別にスナネズミでなくてもいいかも。黒猫とかコウモリとか、もう少し使い魔として一般的な動物でも……あ、ダメね。形は変身できても、その動物の使い魔としての性質までは再現できない。他の学生の黒猫やコウモリと比べられて、なにか怪しい点が出てしまう可能性がある。スナネズミを使い魔に選ぶ学生は他にいないでしょうから、むしろスナネズミの方が都合がいいわ」
彼らの会話を聞きながら、ナディアはただ頷くことしかできない。
「逆に、タリクの授業に彼女が同席するのには、何かうまい言い訳が必要ね。たとえば護衛――」
そう言いながら王妃はナディアを見る。
「――は無理そうね」
身長が高くがっしりとしたタリクと小柄でひょろりとしたナディア。ナディアがタリクの護衛だなんて、違和感しかない。
「無理でしょうね。私の護衛嫌いは皆が知っていますし。目隠しの術は……魔力の消費量が大きすぎて、授業時間中ずっと維持するのは無理だ。あぁ、透明薬の力を借りるのはどうです?」
タリクが思いついたようにそう言った。
ナディアは良案だと思ったが、隣で王妃が首を横に振った。
「いいえ。薬はダメ。体質によって副作用が重く出る場合があるわ。解術できるまで授業のたびに飲み続けるなんて、彼女の体への負担が大きすぎる」
バッサリと切り捨てられ、タリクは唸りつつも納得したように頷いた。
「たしかに浅慮でした。では学長の変身許可を彼女の分ももらい、小さな生き物に変身するのではどうでしょう。七年生だと変身術の実技は未修なので、私が変身させれば――」
「あのッ」
ここまで大人しく聞いていたナディアだったが、思わず王子の言葉を遮った。
やんごとなき人々の会話に割り込む緊張からか、思った三倍くらい大きな声が出た。もう止まれない。一気に言うしかない。
「もしも殿下の授業に同席させていただけるのであれば、ただ小さい生き物としてその場に居るだけではなく、講義をきちんと聞き、課題や実技もこなすような形で参加させていただきたく存じます! 学びたい事がたくさんあって、後期の履修科目を絞るのに随分悩んだのです。履修科目数の上限を超えたので泣く泣く諦めました。殿下が選択されているのは、いずれも私がとりたいと思っていたものです。今年それらの科目を学ぶことができれば、来年は別の科目を履修できます。そうすれば将来にも役立ちますし――」
ナディアは必死に言い募る。
と、王妃が「ふ」と小さな声を出して笑った。
「そうよね。ただ小さな生き物に変身させられて、学べる時間を無駄になんかしたくないわよね。その気持ち、すごくよくわかるわ」
王妃の微笑みに、ナディアは再びボーっとなる。
――ルル様が私に微笑みを……本当に信じられない。
「では、タリクの『学習補佐』という名目はどう? 特別奨学生なら説得力もあるでしょう。傍にいる口実になるわ」
「いえ」
王妃の提案に、今度はタリクが異を唱える。
「それは受け入れかねます。彼女と必要以上に親しく見えるのは望ましくない」
彼は淡々とした口調で続けた。
「父上、学院長に彼女の履修枠を広げるよう依頼していただけませんか。特別奨学生で、しかも飛び級編入です。異例中の異例ですから、他の学生と比べて取得単位数を少し多くするくらいの便宜は図れるのでは。そうすれば、履修生として普通に授業に同席できます」
「ふむ、そうだな。話しておこう。残る問題は授業以外だな。食事や移動の時間などの日常生活をどうする?」
「『その場に偶然居合わせる』体でそばにいて、そうできない場面ではスナネズミとして彼女のポケットにお邪魔するしかなさそうですね」
「夜間はどうしましょうか? ナディアは寮かしら?」
「はい」
「スナネズミとはいえ、さすがに王子が女性の部屋で寝るわけにはいくまいな。王城に彼女の部屋を用意するか」
「エッ」
タリクは露骨に嫌そうな顔をしている。眉間を寄せすぎて眉が繋がりそうだ。
ナディアとしても、できれば寮での生活を続けたかった。女子寮は図書館棟からほど近く、夜中まで図書館に詰めてもすぐに帰れる。これが王城となると、徒歩で半刻ほどかかってしまう。
「二人とも、あまり賛成ではなさそうね?」
王妃の問いに、タリクとナディアは黙って頷いた。
「では道はひとつね。タリク、あなた、これに住みなさい」
そう言いながら、王妃が長い指をするりと動かした。と、手の上に小さな木箱が現れた。面のひとつに丸くくり抜かれた穴がある。
箱からは魔力の匂いがした。王妃の魔力の匂いだろう。みずみずしい柑橘のような香りだ。ナディアの脳内辞書の「ルル様」の項目に――すでに他の項目に比べて相当に分厚いのだが――また一つ、情報が書き加えられた。魔力の匂いは柑橘、と。
「……巣箱、ですか?」
タリクの問いに王妃が頷く。
「そう。これをナディアの部屋の窓のすぐ外に取り付ければいいわ。そうすれば物理的に近くにいられるし、あなたは女子寮に忍び込む変態の誹りを受けずに済む」
「この箱で……私が?」
「そうよ。安心して。猫や蛇に襲われないように守護魔法はかけておいてあげる。防水性能も任せて。雨粒の方がこの木箱を避けていくくらいにしておくわ」
にっこり。
対する王子はうんざりした顔をしている。
「……つまり母上は私に『この先半年間スナネズミとして、この小さな箱の中で夜を過ごせ』と?」
「そうよ。何か問題でも?」
圧のある口調で王妃がそう返す。
「他に方法がないのだから、仕方ないでしょう?」
「んぐぅ」
ナディアは意外に思う。
王子というと、もっと大切に、蝶よ花よと育てられるものだとばかり思っていた。
母が元気だったら自分もこんな風に会話していたんだろうかと、眩しくもある。
「ナディア、君は嫌じゃないのか」
急にタリクから水を向けられ、「へ?」と声が出た。
「部屋の外の巣箱に男がいるなんて、落ち着かないだろう」
たしかにそう聞くと嫌だ。ウハウハの男が窓の外にいたら、はたき落としたくなる。が、タリクはウハウハどころか嫌々だ。
ナディアは少し考えてから口を開いた。
「殿下は部屋を覗いたりなさらないと思いますし――」
「そりゃもちろんだが」
「――私の蒔いた種ですから。否やを申し上げる権利はありません。殿下が少しでも心穏やかに過ごされることが先決です」
ふむ、と王が鼻の奥で声を出した。
タリクはまだ難しい顔をしていたが、何も言わず、諦めたように鼻からフゥと息を吐いた。
「タリク。最後に手を出して」
黙って従ったタリクの手に、王妃がそっと自身の手を重ねる。装飾のないシンプルなデザインの指輪がはめられていたが、王妃が手を離すと指輪に小さな石がついていた。タリクはその石を日に透かすように掲げて見つめた。
「これは……魔石……ですか?」
「そう。あなたがこういうものを好まないのは知っているわ。でも、使い魔として生活するうちに思いもよらぬ事態が起こるやもしれない。その魔石に私の魔力のほんの一部を閉じ込めてあるから、どうしようもなくなったときに使いなさい」
――あれが魔石……
ナディアは夜空の色をした石を見つめた。
その存在は書物で読んで知っていたが、実物を目にするのは初めてだ。魔力を閉じこめておくことができるというその性質から、所持には多くの制約がある。おまけに魔石の核となる鉱物が希少で国家の管理下にあるため、一般人では見ることすらできない。
魔石からは木箱と同じ柑橘の、もっと強い香りが溢れている。込められた魔力の強さのせいだろう。
「さて、ナディアよ」
王妃の魔力の匂いに酔いしれていたら王から声がかかり、慌てて背筋を伸ばす。
「はい」
「これから王子とともにあることで起きる不可抗力についてはすべて王権発動で不問とするから心配はいらぬぞ。そなたに課せられた使命はただひとつ。学院生活を心行くまで楽しむことだ」
ナディアは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。このような事態を招きながら、温かいお言葉をいただき、大変恐縮です。でも……どうして、このような失態を犯した私を許してくださるのですか?」
そう問うと、王の口元が緩んだ。
「そなたはスナネズミの正体を知るや否や、すぐに私の元へ駆けつけてくれた。あの時点で採り得る最良の選択だった。失敗は誰にでもあるもの。隠さずそれを明かすことは、ときに大人でも難しい。ことに、そなたの年齢でここへ来るとなれば恐怖もあったろう」
「実は……逃げようかと思いました」
王は鷹揚に笑った。次いで、探るようにナディアを見る。
「ではなぜ逃げなかった?」
「母と叔母のことが頭をよぎりました」
正直に答えると、王は「そうか」と頷いた。
「そなたは正しい選択をした。もしも逃げていたなら、全く違った運命が待ちうけていたであろう」
王は一瞬厳しい目をした。
ぞく、と背中を冷たいものが走る。
――これが国を統べる人なんだ。
優しく、ときに厳しい。
二つの顔を使い分ける。
「『事は砂に刻まれ、行は星に刻まれる』。出来事は時とともに流れ去るが、行動や選択は永遠に意味を持つ、という格言だ。人生で起きたことが『失態』となるかどうかは、起きたこと自体により決まるのではない。起きたことをどのようにとらえ、何を為したかにより決まるのだ。して、タリクよ」
「はい」
「そなたには、王の息子を名乗るものとして恥じない行を期待しているぞ」
「……はい」
王は今一度ナディアに向き合った。
「特別奨学生ナディア・アル=ヌジューム。話せて光栄であった。これからも勉学に励めよ。そして、しばし我が息子を頼んだ」
ナディアは深々と一礼した。
王と王妃の足音が聞こえなくなるまで、ずっとそうしていた。




