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不機嫌殿下の溺愛生活は期間限定!?  作者: 奏多悠香


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25 解ける

 ナディアとタリクは王宮の廊下を歩いていた。

 手を繋いで――というのも、タリクがナディアの手を握って離さないせいで――並んで歩いている。


 ――手を繋いだまま陛下に謁見するのはさすがにまずいんじゃないかな……


 ナディアはとにかくこの状態で王宮にいるのが居心地悪くて、何度か「あの」と控えめに放してほしい旨の希望を伝えたが、タリクは首を縦に振らなかった。「君は俺を置いてひとりでハサンの元へ向かった。まだその精算が済んでない」というのが彼の言い分だった。


 ――「俺」?


 なぜ手を握ることが精算になるのかもわからない。頭に浮かんだ大量の疑問符を処理するには、ナディアはちょっと疲れすぎていた。

 だから手を繋がれたまま広間に入った。


「戻ったか、タリク」


 広間には王がいた。

 王太子もいた。

 黒衣の魔術師――王妃も立っていた。


「ナディアの母君、生きておられました」


 タリクがそう言うと、彼らは一様に深く息を吐きだした。


「疲れさせてはならないので、少しだけお話して戻ってきました」


 ナディアは彼の隣りで大きく息を吸った。何をおいてもまず、言わなければならないことがあった。

 その場で床に跪いた。


「この度は私の行動により両殿下と魔術団の方々を危険に巻き込んでしまい、本当に申し訳ございませんでした」


 魔石の暴走により皆が倒れていく中、ナディアは心の底から自分の身勝手さを呪ったのだ。


「そうだな。たしかに危険な行動だった」


 王が言う。


「だが、その行動がなければ君の母君が助からなかったかもしれないこともまた事実。何より、ルルもタリクも、自らの意志であの場に向かった。それなのに君ひとりを責めるわけにはいくまい。さぁ、顔を上げるのだ。今は反省よりも、命あることの喜びを分かち合おうではないか」


 王が腕を大きく広げる。

 タリクは王に歩み寄る。まだナディアの手は離さない。だからナディアも共に王に歩み寄った。

 王はタリクをがっちりと抱きしめた。タリクも抱きしめ返す。それでもナディアの手は放さない。

 王と、王妃と、王太子と、抱き合ってから、タリクは王妃に向かって静かに頭を下げた。


「母上。お願いが。私はもうしばらく彼女の使い魔として生活できます。ですから、先にハサンとナディアの母君の絆を切っていただけませんか」


 タリクはゆっくりと床に膝をついた。ナディアもそれに倣った。二人で床に伏して頭を下げる。


「タリク。顔を上げなさい。ナディアのお母様が使い魔にされているとわかったときから、そのつもりよ」


 タリクとナディアは揃って顔を上げた。

 王妃がニコリと微笑む。


「あなたたちが砂で覆った魔石だけど、遠からず魔術団が制御を取り戻すわ。魔石には大量の魔力が封じ込められている。その魔力を使ってハサンとお母様の絆を断つことができるはず」


 ――あぁ、やっと。


 ナディアは「ありがとうございます!」と言った。悲鳴みたいな声になった。


 ――お母さんが助かる。


 歓喜で指先が震えている。

 それを宥めるように、ぎゅ、ぎゅ、とタリクに手を握られる。


「それにしても、あの短時間で、砂での封印をよく思いついたわね、ナディア」

「殿下の研究論文を思い出しまして」

「私が研究に明け暮れた日々が役に立って嬉しいわ」


 王妃の眩しい笑顔にナディアの胸が高鳴る。


「無事にお母様が解放されたら、その後、あなたたちの解術にとりかかりましょう。この件の後処理でしばらくはバタつくでしょうから、予定より少し遅れるかもしれないけれど、問題は……なさそうね」


 タリクが繋いで離さない手を見て、王妃が言う。


「使役の試験もあるでしょうし、もうしばらくは使い魔として彼女に仕えなさい。おそらく、タリクの卒業には間に合うでしょう」


 タリクが頷いた。ナディアも。

 母が解放される。それはナディアにとって、何よりも嬉しいことだった。


「タリク・イブン・アル=マリクよ」


 王が声をかける。彼が「イブン・アル=マリク(王の息子)」と呼びかけたので、大切な話だとわかった。


「はい」


 隣でタリクが背筋を伸ばす。


「よくやった」


 王の言葉を受けて、タリクは深く息を吐きだした。


「そしてナディア・アル=ヌジュームよ」

「はい」

「覚えておるかな。この場所でそなたに初めて会った日に、私が伝えた言葉を。『事は砂に刻まれ、行は星に刻まれる』――これには続きがあってな。『されど人の心に刻まれるはその志なり』と。そなたは『母を救いたい』という志をもって学業に励み、その行で見事母を救った。長く歴史に刻まれる偉業と――したいところだが、事が事ゆえ公にその功績を讃えることができぬ。それでも、その志は我が心にしかと刻まれたぞ。息子もそなたのような友を得て幸運であった」

「ありがたきお言葉にございます」


 ナディアはそう言って深々と頭を下げた。

 約半年前、同じ場所で床に頭をこすりながら頭を下げていた。

 あのときとはまるで違う。

 ナディアの胸は、誇らしい気持ちでいっぱいだった。

 母を救えた。もちろんナディアの力だけではない。それどころか、ナディアがなした役割などほんの小さなものだ。それでも、救えた。誰に誇ることもできない実績だが、そんなことはどうでもよかった。自分が生涯、この胸の中で誇り続けることができるだけで十分だ。


「ハサンの娘が王宮の医務室にいるのだが、少し前に目を覚ましたそうだ。よければ学院に戻る前に会いに行ってやってくれないか」

「はい。このあとすぐに」


 ナディアはそう答え、ゆっくりと体を起こした。

 そして立ち上がり、広間を後にしようと歩き出して「あ」と足を止めた。振り向く。


「ルル殿下。あの、ひとつお伺いしたいことがございまして」

「なぁに?」

「私にかけてくださっていた守護魔術について、私が攻撃を受けるなどして術が破られたらわかる仕組みになっていたとタリク殿下から窺いましたが、その方法というのは――」

「待ってナディア、術式について訊くつもりなら今度にして。いまは疲れて指ひとつ動かしたくないの。ハサン邸の周辺に住む人たちの魔力まで吸われていて、その回復のために処置をして回って来たところなのよ……」

「あ……申し訳ありません」


 皆の笑い声に追い立てられるように広間を後にした。

 その足で医務室に向かう。

 広い部屋のベッドにフィオレンシアが座っていた。ナディアは駆け寄った。


「ごめんなさい」


 ナディアが彼女に謝るのと同時に、彼女もナディアに謝った。


「なぜナディアが謝るの?」

「あなたのお父さんを牢獄送りにしてしまったから」

「それはナディアのせいじゃないわ。父自身がしたことよ。むしろ……私のことが憎くないの?」

「まさか」


 ナディアは本心からそう答えた。

 ハサン卿が自分の父親かもしれないと疑ったとき、自分の根幹が揺らぐような気がした。でも、すぐに思い直した。


「親が誰であるかなんて関係ない。どんな人間になるかは自分で決められる。フィオはあのとき、ハサン卿に逆らって私を助けてくれた」

「あなたが教えてくれた術でね」


 フィオレンシアがそう言ってナディアを抱きしめた。

 ナディアも抱きしめ返した。


*****


 あの夜に何があったかは隠された。それでも、王宮近くの邸宅街で大捕り物があったことはすぐに噂になったし、捕らえられたのがハサン卿であることも、彼の罪がどうやら禁忌にあたるほどの重いものであったことも、静かに広まっていった。ヒソヒソと噂され孤立するフィオレンシアの傍には、いつもナディアとタリクがいた。

 関わった教授たちも皆学院での授業を再開し、一部延期となっていた魔術団の入団試験も行われた。

 フィオレンシアは入団試験を受けなかった。


「お父様が『魔術団にあらねば人にあらず』と言うので絶対に入らなければとずっと思い続けてきたけれど、私にはきっと向いてないと思うの」


 そう言ってフィオレンシアは微笑んだ。


「自分の人生についてゆっくり考えてみるわ。主人不在の屋敷の管理も考えていかなければならないしね」


 ナディアは進級試験を受けた。

 使役の試験もあった。使い魔と指定時間離れて過ごす、使い魔に指示通りの動きをさせる、という二項目だった。もちろんナディアとタリクは余裕で合格した。

 いつかのグループ課題で一緒だった学生たちから「あの授業の単位を落としてしまったので、他の授業で失敗できない。勉強を教えて欲しい」と頼まれたが、ナディアは「ごめんなさい。私『説明が得意ってタイプでもない』から、そういうのは『得意な人がやるのが一番』かと。誰か得意な人が見つかるといいね」と返し、ナディアの後ろで睨みを利かせていたタリクとフィオレンシアから喝采を浴びた。


 あの日タリクとの間に起きた不思議な現象は今も続いていて、ナディアとタリクは魔術を使ってもまったく消耗することがない。おまけに、絆が強くなったおかげなのか、長時間離れていても問題なく過ごせるようになった。

 王妃によると「はっきりしたことは不明だけど、やはりあの詩のとおり、互いに魔力を与え合うことが必要なようね。人間同士でなくとも発動するのか……他に条件があるのか……調べる価値がありそう」とのことだった。ナディアはいずれ魔術団に入ったら使い魔に関する研究をしたいと思っている。母のような人を二度と生まないよう防止策や対応を検討するためだ。


 そしてナディアの試験がほとんど終わった頃に、母が使役の術から解放された。

 あまりにも長い期間魔力を吸われ続けたために消耗はしているものの、少しずつ回復するだろうとのことだった。叔母の手紙によると、起きている時間が日に日に長くなっているらしい。


 そして嬉しいことに、母は回復したら王都で暮らすことになった。母と叔母の父――つまりナディアの祖父――は自分の意に沿わなかった母と叔母に激怒し、二人が相続するはずだった財産を王家にそっくり寄付していた。が、王曰く「実はその遺言に不備があってな。うっかり今の今まで見落としていたのだが」とかで、母と叔母にその財産が戻ることになったのだ。


「それから、もうひとつ。ハサンが魔術団で得た報酬は当然没収となる。禁忌を犯して得た財産を保持させるのは道理が通らんからな。没収した財産は、君の母君への補償に充てられる」


 それを聞いてナディアはすぐに「フィオは」と心配になった。お金のない大変さはよく知っている。彼女をそんな目に遭わせたくはない。


「代々守ってきた財産があるから、心配ない」


 そう言われて、ナディアはようやく喜ぶことができた。奪われた時が戻ることはないが、少しでも母の慰めになればいい。


「お父君のことは……時間が経ちすぎているので明らかにすることは難しいかもしれない。ハサンの語ることをどこまで信じるべきかも悩ましい。だが同じ子を持つ父として……お父上が今の君の姿を見たら誇りに思うであろう」


 ナディアは頷いた。

 そうだといい。そうなれたらいい。

 叔母はナディアの恩師であるヌール先生とともに、これからもヌジュームで暮らすという。

 そしてナディアとタリクはもう少しの間、使い手と使い魔としてこれまでと同じ生活を送る――


 ――はずだったんだけどなぁ。


 ナディアは寮の自室で小さなため息をついた。

 あの夜以降、タリクは忙しそうだ。

 ここ半年、彼はナディアの使い魔として学院に縛られていた。その間の公務はほとんど兄である王太子に肩代わりしてもらっていたという。それを取り戻すべく公務に励んでいる。

 加えてハサンの一件の後処理にも関わっているらしく、あまり学院で姿を見かけなくなった。

 図書館でたまに顔を合わせれば変わらず近くに座るし、彼が学院にいる日は食事も一緒にとっている。


 ――考えすぎかなぁ。


 ナディアは机に突っ伏して「あぁぁぁ」と声を上げた。

 変わっていないはずなのに、何かが変わった気がする。いや、確実に変わった。

 ナディアは「んんんんん」と唸りながら昨日のことを思い出していた。

 図書館でいつもの席に並んで座り、いつもどおり本を読んでいた。ふとした拍子にナディアが顔を上げると、タリクと目が合った。そのときに、彼がふいと視線をそらしたのだ。

 驚いたナディアはしばらく彼の横顔を見つめていたが、視線が戻ってくることはなかった。

 食堂でも似たようなことがあった。向かいに座る彼と話しながら、ナディアが「そういえば先日の試験で——」と言って身を乗り出したら、タリクがガタッと椅子を後ろに引いたのだ。まるで近づかれるのを嫌がっているような反応だった。

 ナディアの胸がじくじくと痛む。


 ――う。思い出したらダメージが……。嫌がられてるとしたら、原因は……やっぱり、あの件かな……?


 ハサンを手にかけようとしたナディアを止めてくれた。あのときナディアは涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔をしていたと思う。ひどい姿を見せてしまったし、あんなこと(キス)までさせてしまった。

 ナディアは机に頬をつけてハァとため息をついた。


「嫌……だったんだろうなぁ……そりゃそうだよね……」


 ナディアを止めるために他に手段がなくて、仕方なくキスをした。彼からすれば事故みたいなものだろう。

 申し訳ない。

 そう思っている。

 ちゃんと思っている。

 のに。

 あのときの彼の真剣な眼差しを思い出すと、胸がドドドドと音を立てる。


 ――ちがう、あれはドキドキするようなできごとじゃないんだってば……止まれ……止まれー


 胸を押さえて机に額を押しつけた。


 たぶん彼のことを考えすぎていたせいだろう。

 その晩、夢を見た。


『ナディア。君の瞳の輝きは砂漠の夜空に瞬く星より美しい。その輝きを私だけのものにしたい』


 星空の下、タリクがナディアの頬に触れる。

 その瞳が熱を帯びていて、声も甘い。まるで耳元でささやかれているようだ。ナディアの胸が痛いほど高鳴る。

 『え……ご、ご冗談を……』と口ごもったところで目が覚めた。

 部屋の天井を見上げ、ナディアはしばし呆然とした。


 ――夢……?


 そして「はは」と小さな笑いがこぼれる。


 ――そりゃそうだよね、殿下があんなこと言うはずないもの。


 それにしても鮮明な夢だった。

 ナディアは布団に顔を押しつけて、枕をバンバン叩く。耳にはまだタリクの声が残っていて、消えてくれそうもない。

 ナディアはもう、認めざるを得なかった。

 目を逸らされたくらいで胸が痛むのも、こんな夢を見て泣き出したい気持ちになるのも。


 ――私……殿下のことが好きなんだ。人としてだけじゃなく、異性として。


 ゆっくりと体を起こし、窓を見る。

 少し前まで、すぐそこにいた人のことを考える。


 ――いつからだろう?


 わからない。

 もしかしたら、ずっと前からかもしれない。

 胸の鼓動が速すぎて痛くて、眠れないまま朝を迎えた。

 図書館で本を開いたが、まったく頭に入ってこない。タリクの笑顔、不機嫌な顔、怒った顔、真剣な顔が次々に頭に浮かんできて息が苦しくなる。それを頭から追い出そうとして無意識に「あぁあああ」と声を上げてしまい、周囲の学生から「シーッ」と叱られる始末だ。恥ずかしくなって本を抱えて図書館をとびだしながら、もう一つ致命的なことに気が付いてしまった。

 使い魔と使い手は時折互いの夢を共有する。


 ――もし殿下にあの夢を見られてたら……? 恥ずかしいどころじゃないよ……


 こんなときにタリクの唇の感触を思い出してしまって、ナディアは廊下にしゃがみ込んだ。


 ――違う、あれは私を止めようとしてくれただけで、それ以上の意味はない。なのに何度も思い出しちゃうなんて、絶対に知られたくない。


*****


 雑念のせいで四苦八苦しながらも何とかすべての試験を終え、来期も引き続き奨学金を受け取れるという報せを受け取った日に、使役の術は解かれた。

 タリクは刻印の消えた手首をじっと見つめていた。

 彼は何も言わない。

 ナディアも何も言えない。

 絆が切れた。もう彼の感情のかけらは届かない。

 機嫌がよいときのぬるい温もりも、集中しているときの静けさも、何かに苛立っているときのとげとげしさも。

 元に戻っただけだ。それなのに、片耳だけ栓をされたような違和感があった。

 ナディアは刻印の消えた自分の腕をそっと撫でた。


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