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不機嫌殿下の溺愛生活は期間限定!?  作者: 奏多悠香


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プロローグ 禁じられた術

 ナディアは息を呑んだ。

 彼女の目の前にいるのはタリク・イブン・アル=マリク。ナフリア王国の第二王子だ。

 黒曜石のような黒い髪、琥珀の瞳、広い胸板――でも今はそれどころじゃない。本当にそれどころじゃない。


 なぜって。


 ナディアは後ずさりながら、やっとの思いで口を開く。


「でででで殿下、と、とととりあえず、ふく、服を着ていただけますかっ!」


***


 さかのぼること数時間。

 第二王子タリクは魔術学院の廊下を足早に歩いていた。コツコツと響く足音に合わせてはためく深緑のマントは学院生の証であり、魔力を鎮める護りでもある。

 温室に着くと、フゥとため息をひとつ。鉢からはみ出しモサモサと茂る植物の陰に隠れ、口先だけで何か呟く。

 と、青年が消えた。深緑のマントがふわりと床に落ちる。そして折り重なった服の中から砂色の小さな生き物が姿を現した。

 スナネズミだ。小さな鼻をヒクヒクと動かす。


 ――北風か。椰子の匂いがする。


 タリクは小さくなった足でぎゅっと地面を踏みしめる。


 ――この姿にもだいぶ慣れてきたな。


 先ほどよりも随分と広く感じる温室を四足(しそく)で駆け抜け、人気(ひとけ)のない中庭へ。

 この温室も中庭も旧校舎のさらに奥に位置し、もう何年も使われていない。いまは最新設備の整った新しい温室と庭園が整備されているからだ。

 彼は雑草をガサガサとかき分け、中庭の青い空を見上げた。


 ――退屈だ。


 長期休暇が終わり、八年に及ぶ魔術学院での生活も残り半期のみ。このところ毎日のように中庭へやって来ている。というのも、校舎にいると落ち着かないのだ。

 最終学年の後期ともなれば、皆の関心は自ずと進路に注がれる。王立魔術団付属の魔術学院というだけあって卒業生の大半は魔術団に入るのだが、その入団試験が近いので皆が試験の準備に死に物狂いだ。そんな中にあって、タリクは数少ない例外だった。王子だからだ。

 卒業後は王太子である兄の補佐役として公務にあたる。自身の進路に選択の余地はない。

 級友たちの交わす「魔術団のどの局に入りたいか」という会話に混ざることはできないし、「いいよなぁ約束された将来がある奴は」という羨望には罪悪感めいたものを抱かされるし、「王族とのコネが欲しい」と顔に書いてある人から急に馴れ馴れしくされるのにも疲れるし、「試験に向けた魔術の練習に付き合ってくださらない?」なんて言って魔術練習室で二人きりになろうと画策してくる女性陣にもウンザリしていた。


 そういうわけで、誰にも見つからないよう砂に馴染む薄茶色のネズミになって、この中庭で時間をつぶすのだ。


 頭上のはるか上空をタリクの使い魔、鷹のサマーリがゆったりと旋回している。「自由(サマーリ)」という名のとおり悠然としたその姿を見上げて大きなため息をついたら、喉からチィと高い鳴き声が漏れた。


 ――この牢獄のような生活も、あと数ヶ月だ。


*****


 中庭から少し離れた校舎では、授業の終わりを告げる鐘が鳴っていた。


「今日の授業はここまで。来週までに各自、使い魔を用意してください」


 教授の言葉に教室がシンと静まった。

 教室の最後列に座るナディアの背も伸びる。


「魔術師にとって使い魔は、長く共に歩む相手です。皆さんもご存じの私の使い魔のシーラも――」


 しゅるり、教授のローブの胸元から小さな蛇が姿を現す。


「――学生時代からの仲です。そして繰り返しになりますが、人がそばにいるときに『使役の術』を使わないように。人間に対して『使役の術』を用いるのは禁忌です。あなた方では到底解術(かいじゅつ)できませんからね」


 授業の終わりを告げる鐘が響き、途端に教室が賑やかになる。

 ナディアは分厚い教科書を束ねて持ち、トントン、と机に打ち付けて端を揃えた。

 「使い魔、もう決めた?」「もちろん」「私はひと月前に飼い始めたよ」「うちは私が子供のころから両親が用意してくれてたから」「私はまだネコとフクロウで迷ってる」「早く決めちゃわないと間に合わないよ」――級友たちの声が飛び交う中、ひとり小さなため息をつく。


 ――どうしよう。


 使い魔用の動物は高価だ。

 偵察なら鷹、相手の魔法を跳ね返すなら蛇、闇にひそむならコウモリ、とそれぞれの能力に特徴があり、専門店で売られている。

 ナディアの少ない資金でも唯一買えるスナグモにしようと――見た目があまり好きになれないながらも――決めていたのだが、つい先日店の前を通りかかったときに目に飛び込んできたのは「全品値上げ」の文字。

 ナディアが買おうと思っていたスナグモすら、手の届かない価格になってしまっていた。


「ネコとフクロウ、決められないなら、とりあえずどっちも買っちゃえば?」

「それもいいんだけど、お世話がなぁー。うちの家政婦さん動物嫌いだから頼めないし」

「そっかぁ」


 次元の違う悩みをこぼす級友を尻目に教室を出た。


 ――ネコもフクロウも高価なのに、すごいなぁ。そんな財力があったらスナグモが三十匹くらい買えちゃうよ……


 良家の子女が多く通うこの学校で、ナディアは異色の存在だ。

 王都から遠く離れた田舎の小さな村に生まれ、病に伏せる母と、その妹である叔母と三人で慎ましく暮らしてきた。昨年までは地元の学校に通っていたのだが、そこの教師の推薦でこの王立魔術団付属魔法学院に七年次から編入することになった。


 奨学生なので学費と寮費は免除されているものの、書籍代や細々した学用品費は自分でなんとかしなければならない。不定期に管理人の手伝いをして稼いだお金でなんとか凌いでいる日々に「細々した」とは言い難い高額な学用品費が降りかかってきたのだ。


 ――手持ちのお金をかき集めても、どうやっても値上げ分に足りないんだよね……


 ハァァアとため息をつきながら、重い足取りで旧校舎へ向かう。

 目的地は鬱蒼と草の茂る中庭だ。なんとなく級友たちから離れたい気持ちだった。

 中庭は人の手が入らなくなって久しいのか、近くの温室からのこぼれ種らしい薬草と雑草が入り乱れて青々している。その一角、腐りかけた木の椅子にそっと腰を下ろした。そして膝に肘をつき、頬杖をつく。


 ――なんかこう……空から突然お金が降ってきたりしないかな……。


 葉を揺らす風の匂いに混じって、かすかな魔力の残り香が鼻先をくすぐった。


 ――この匂い好きだな。


 魔術の痕跡のようなものだ。

 ナディアは周囲を見回した。


 ――誰もいないみたいだけど。


 人が隠れられるほどの背丈の草はないから、たぶん先客はすでに立ち去ったのだろう。

 そんなことを考えながら生い茂った草を見渡していたら、小さくて茶色い、なにかポワポワしたものが目に入った。

 スナネズミだ。薬草の陰で体を丸め、両手両足を小さく折りたたんで眠っている。草の隙間から差す木漏れ日が、淡い毛並みに点々と落ちて班模様を描く。ときどき鼻先がひくりと小さく動くのがかわいい。

 夢でも見ているのだろうか。呼吸に合わせてゆったりと上下する小さな背中を見ていたら、先ほどまでのどうしようもない感情が少しずつ遠ざかっていった。


 ――落ち込んでたって何も解決しないもんね。与えられたもののなかで最善を尽くさないと。


 たとえばスナネズミを使い魔にするなんてどうかな、と考えてみる。

 使い魔用に育てられた動物ではないから特別な能力は期待できないけれど、小さな体を生かして偵察はできるかもしれない。少なくとも、手ぶらで次の授業に行くよりかははるかにマシだ。


 そうと決まれば、行動あるのみ。


 フンッという鼻息とともに勢いをつけて立ち上がったときだった。

 上空を舞う影に気づいた。大きな鳥だ。逆光でよく見えないが、鉤状のくちばしと爪の形から、おそらく鷹だろう。風を捉えて空中に留まり、こちらを見下ろしている。

 一瞬「あの鷹を使い魔にするのはどうか」と考えたものの、はるか上空を飛ぶ鷹を捕縛して使い魔にするのはかなり骨が折れそうだからと諦めた。

 それにしても、鷹はナディアのちょうど真上のあたりから動かない。


 ――あ、もしかして、このスナネズミを狩ろうとしてる?


 そう気づいたら、迷っている暇はなかった。

 鷹の狩りの速さはよく知られている。あの大きさの鷹に襲われたら、小さなネズミなどひとたまりもないだろう。


 ナディアは魔術で見えない屋根を張り、スナネズミを手で掬うように抱え上げた。屋根に行く手を阻まれた鷹がピィーと不満げな声を上げている。

 屋根のような、空間に対する魔術は難易度が高く、魔力の消耗も激しい。時間がない。

 ナディアは手の中で目を覚ましたばかりのスナネズミを見つめた。

 慣れない術だからと、片手で印を結び、きちんと呪文を唱えて使役の術をかけた。


「汝、仕えよ」


 術はうまくかかったらしい。スナネズミの尾が一瞬ピンと伸び、すぐに元通りになった。そして手の中でこちらを見上げてくる。濃い黄色だが、外側にほんの少し青い部分のある特徴的な瞳だ。ナディアがこれまでに見たスナネズミの瞳はみんな黒かったから、珍しい種か、突然変異による色素異常だろうか。

 ナディアは鷹の鳴き声に追い立てられるように、スナネズミを抱えて中庭を後にした。


 寮の部屋に戻ったナディアは、スナネズミをそっとベッドの上に置いた。

 チィチィと鳴いている。

 絆が深まれば互いの感情もある程度理解できるようになるというが、現時点では何もわからない。そっと持ち上げて後ろ足の間を確認し、オスだということはわかった。

 そうしているうちに、ずっしりと体が重くなってくるのを感じ、自分もベッドに乗り上げてスナネズミの横に座る。


 ――なるほど、これが使役の術の重み……。


 七年生までこの魔術を使わせてもらえない理由がよくわかった。しばらく動けないほどの消耗だ。


「スナネズミって何を食べるんだろう……虫?」


 あとで図書館へ行って調べてみよう。そんなことを考えながら体を横たえたら、あっという間に眠りに落ちた。


 カリカリという音で目が覚めたときには、窓の外は暗くなっていた。

 数時間眠っていたらしい。ゆっくりと上体を起こして部屋を見回す。スナネズミは窓のところにいて、しきりに木の枠をひっかいている。さきほど聞こえたのはこの音らしい。


「外に出たいの?」


 そう声をかけると、スナネズミが振り向いた。

 そして首を上下に振る。まるで頷いているみたいだ。使役の魔術をかけたばかりの使い魔が人間の言葉を理解するはずがないのに。


「また鷹に狙われたら困るし、使い魔は使い手のそばを離れられないの。だから今外には出してあげられないけど――」


 自分の都合で野生の動物を使い魔にしてしまったことへの罪悪感があった。


「――もうすぐ夕食だから、そのあとで一緒にお散歩しようか」


 食堂へ向かう準備をしようと立ち上がったら、廊下から大きな声が響いてきた。


「生徒は各自の部屋で待機してください。待機が解除されるまで決して部屋を出ないでください。繰り返します――」


 魔法で拡張された寮監の声だ。

 寮に住み始めて半年ほどだが、待機せよと指示されるのは初めてのことだ。

 何事かはわからないが、おそらく何か重大なことが起きているのだろう。

 どうせ部屋を出られないならと、明日の授業の予習に取り掛かることにした。教科書を広げ、「第三章 護符について」という項目を読み始める。しばらくすると、窓の下で何やら声が聞こえた。ヒソヒソ話している。その声が気になって窓の傍に寄った。


「本当にこの辺りに?」

「空を見てみな。殿下の使い魔の鷹、サマーリだ。この真上を旋回してる。奴は殿下の傍を離れない」

「あ、本当だ」

「確実に近くにいらっしゃるぞ、探せ」


 ガサガサと木が揺れ、王立魔術団の制服を着た人が外を通り過ぎてゆく。

 先ほどの会話からすると、どうやら王子が行方不明になっているらしい。


 ――王子って……タリク王子のことだよね、たぶん。


 第二王子タリクはナディアのひとつ上の八年生だが、接点と言えば食堂で見かけるくらいのものだ。いつもゾロゾロとたくさんの人に囲まれている上に、彼がその空間に存在するだけで女子学生が浮足立つので、彼が近くにいるとすぐにわかる。

 もちろん話したことはないけど、綺麗な琥珀色の瞳が遠目にも印象的だった。

 相変わらずスナネズミは窓枠の上でチィチィと鳴いている。

 その隣に頬杖をついて外を眺める。


「王子様がいなくなっちゃったみたい。どこ行っちゃったんだろうね」


 返事がないのはわかりつつ、スナネズミに話しかけた。


「いつも注目されて、どこに行ってもキャアキャア言われて……鼻もほじれないしお尻もかけない生活だろうから、『たまにはひとりになりたいと思ったりしないのかな』って不思議だったんだ。どこかでリフレッシュしてるんだといいけど」


 外では変わらずガサガサと植え込みを探る音がする。


「探索の術に引っかからないな」

「そうか、お前はまだ知らないか。殿下は探索避けが得意だ」

「追尾は?」

「撒かれる」


 ガサガサ。


「とにかくあの人を魔術で探すのは至難の業なんだ」

「それで、こんな人海戦術みたいなことを?」

「そういうこった」


 ゴソゴソ。


「いないな。この辺りにこれ以上隠れる場所もないと思うが」

「小さな生き物に変身していたら厄介だな」

「授業外での変身は校則違反だから、それはないんじゃないか」

「殿下が校則に忠実ならな」


 窓の外の会話は続いている。

 そうか、王子は最高学年だからもう変身の術も使えるのか。

 チーチーと騒ぐスナネズミを見ながら、「たしかに君みたいに小さいと見つけにく――」と言いかけて言葉を切った。


 すぐ上空を旋回する王子の使い魔。

 小さな生き物に変身しているかもしれない王子。

 スナネズミには珍しい色の瞳。


 ――ん? んん? んんんんん?


 ナディアは目の前のスナネズミを見つめた。


 ――いやまさか、そんなことは、そんなまさか。


 ごくりと唾を飲む。


『人間に対して『使役の術』を用いるのは禁忌です。あなた方では到底解術できませんからね』


 先生の声がこだまする。

 人を使い魔にしようと目論んだ人々や使い魔になった人々の悲しい末路を、今日の授業で学んだばかりだ。剥がす呪文の難易度は使い魔の魔力構成によって変わる。人間の魔力構成は特殊で、魔法使い側と使い魔側との魔力が複雑に絡み合ってしまう。だから無理に剥がすと命を落としかねない、という話だった。


「も、もしかして、あなたは――」


 ナディアはスナネズミを持ち上げた。

 ネズミは「チチチチチチチ」とひときわ大きな声を上げる。

 変身術はまだ習っていない、が、理論はわかる。変身するよりもそれを解く方が容易いはず。ナディアは慎重に両手で印を組んで姿を戻す術をかけた。普通のスナネズミならば、なんの害もなくそのままの姿でいるはずだ。


 果たして。


 ポン、と何かが弾けるような音とともに目の前に現れたのは、黒髪に琥珀色の瞳の男性、タリク・イブン・アル=マリク。ナフリア王国の第二王子である。

 かくしてナディアは素っ頓狂な声をあげることになったのである。


「でででで殿下、と、とととりあえず、ふく、服を着ていただけますかっ!」

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