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ノーヴァ帝国の皇子と皇女

ナディア・クライノートは筆を折る〜「私はこの小説のヒロイン達を愛している、三次元の女に興味は無い」と言われて婚約破棄されましたが、あの、その小説書いたの私です。

作者: 藤咲紫亜

「ナディア・クライノート、私は真実の愛を見つけた! お前との婚約を破棄させてもらう!」


 ノーヴァ帝国魔法学校の中庭での出来事だった。


 心地よい春の日差しの中、持参したサンドイッチを一人のんびり頬張っていると、婚約者であるノーヴァ帝国第三皇子ヴィラントが足早に近付いてきて、昼休みを楽しむ生徒達の面前で突然宣言したのだ。

 

(……ええ、と?)

 ぬるくなった紅茶でサンドイッチを慌てて胃に流し込むと、私はナプキンで口元を拭き拭き、身だしなみを整えて優雅に立ち上がった。


 ヴィラント皇子は整った顔に、厳しい表情を浮かべている。


 間違えてはいけない。

 ここは、これで合っているはずだ。

 胸を張り、ツン、と取り澄ました顔で皇子を見据える。


「婚約破棄? どうぞご自由に!」


 これが、流行りの台詞だ。

 『月が綺麗ですね』を受けたら、『死んでもいいわ』で返すように、お決まりの文言なのだ。


 ザワザワと周囲の生徒達が騒いだ。


(返しやすいテンプレ通りの御言葉、痛み入ります殿下)


 でもその後、興味を抑えられなかったのが、いけなかった。

 好奇心が猫を殺した。


「真実の愛と仰いましたわね。最後に、お相手がどなたかお聞きしても?」

 この言葉にヴィラントは赤くなった。


 何その純情そうな反応は。

「真実の愛ゆえ、隠すべきではないだろう! こ、これだ」

 ヴィラントは、懐からサッと一瞬だけ四角いものを見せた。


 いや隠すの速すぎて見えないし。

 見えなかったのだが、私はその品を『よく知っていた』。


 知りすぎていて悲鳴をあげそうだった。

 あれは私の黒歴史、『破滅エンドを回避させた令嬢達が僕を毎晩悩ませてくる』略してハメレイ!!


 ヴィラントは赤面したまま叫んだ。

「この可哀想な悪役令嬢マチルダが……いや、この可憐な令嬢達全員が! 私の運命の女性達だ! 悪いが、三次元の女に興味は無い!」


 やめて!

 綺麗な顔で私の黒歴史を大声で叫ばないで!



   ☆☆☆



 何も知らない淑女達に、ハメレイとは何かを説明したい。


 私、ナディア・クライノートが通う、王侯貴族の子女達が集う魔法学校では、毎週末、仮面舞踏会ならぬ、仮面文芸即売会がある。


 大きなステンドグラスが嵌った窓が並ぶ学校の廊下にテーブルが並べられ、仮面をつけた生徒達が自作の物語を販売するのだ。


 幼い頃から物語を愛し、自分でも趣味で物語を綴ってきた。

 自分では常に、昨日の自分を超える作品を書いているつもりだった。

 淑女達に読んでもらうには流行を押さえるのが大事。

 婚約破棄もの、悪役令嬢もの、復讐もの、異世界転生にもふもふ……あらゆるものを書いてきた。


 けれど何を書いても、私の書いた物語は淑女達に見向きもされなかった。

 一方で、有名な作者や、流行り物の中でも筆が速い作者の本は、それだけで沢山の人が手に取る。


 だから趣向を変えてみた。


 どうせ誰にも読まれないんだからと好き勝手に書いた。

 私にしては珍しく少年を主人公に据え、流行りの悪役令嬢とその周囲の令嬢達をヒロインにした、艶っぽいシーン満載のハーレム物を書いたのは、数ヶ月前のこと。

 即売会のルールギリギリを攻めた描写を詰め込んだ。


 ちょっと自棄になっていたのかもしれない。

 いや完全に血迷っていた。


『破滅エンドを回避させた令嬢達が僕を毎晩悩ませてくる』なんてタイトルで売った所、これが、男子学生達に売れた。


……男って、ちょろいな。


 その時点で、お姫様を迎えに来てくれる王子様や、一人の女性を誠実に愛する男性を夢見る自分は死んでしまっていたのかもしれない。


 これが、ハメレイが世に生まれた顛末だ。

 でもそれがまさか、こんな未来を引き寄せるなんて。


「——聞いているのか? ナディア・クライノート!」


 周りのざわめきと共に、ヴィラント皇子の睨みつけるような表情が目に飛び込んでくる。


 ああそうだった。

 まだ私が婚約破棄される場面は終わってなかった。


「私の心は、ツン要素が可愛すぎるマチルダと、そしてその他の令嬢達のものだ。恨むな、ナディア」

 恨まないから、せめて心を捧げるのは一人にしてよ。

 『その他』て。


 ヴィラントは制服のローブを翻らせ、よく通る声で告げた。

「私はマチルダ達と共に生きる。お前も達者で暮らせ」


 ヴィラントが去った後に残されたのは、本の中の令嬢達に負けたナディアと、それを同情の眼差しで見つめる学生達だった。


 私がハメレイの作者であることは、誰も知らないはず。

 それでも、ハメレイの内容を知っているのだろう男子学生達の目線は、痛かった。



  ☆☆☆



 その晩。

 いつものように自室の机でハメレイの続きを書いているが、進まない。昼間の一件が思った以上に自分の精神面に来ている。


 ヴィラントは、真面目で勤勉な第三皇子だった。

 自分相手に顔を赤らめることなどなかった元婚約者が、自分が生み出した物語の登場人物達を語る時には真っ赤になっていたのが、複雑だ。


 隙間を開けていた窓から封筒が羽ばたくように入ってきて、ナディアの前で止まった。ピリピリと封が一人でに破られ、中身の便箋が空中に広がる。

 お互い匿名で送り合える魔法の手紙だ。


『ハメレイ最新話まで一気読みしました! ずっと頑なだったマチルダが、主人公に抱きしめられて「あたくしを選んで」と切望する場面に感動。可愛い子ばっかりで続きが楽しみです! 応援してます!

  P.N.考える葦』


 窓から、また別の封筒が飛び込んでくる。

 ハメレイの感想や応援だろう。


 虚しい。

 自分の本を誰かに読んでほしいと、ずっと思っていた。

 今は沢山の人に読んでもらえているのに、寂しい。


 どうしてこうなったのか考え始めると、時は一年前に遡る。


 仮面文芸即売会の存在を知ったばかりの頃の私は、意気揚々と自分の作品を持ち込んだ。

 淑女達の流行りを知らず、また、知っても、自分は自分、と思っていた。


 テンプレ通りの作品など、つまらない。

 作品は、完全に自由でなければ世に生まれてくる価値がない。


 そんな想いは、結局私の独りよがりで……私のテーブルの前を立ち止まりもせず通り過ぎていく人々の姿を見て、あえなく砕け散った。

 テンプレでなければ、淑女達の目に留まることすらできない。


(違う)

 何度目かの即売会の時に、誰にも興味を持たれないことにこっそり泣いた後、一人だけ足を止めてくれた男子学生が居た。


 彼は何か迷うような空白の後、

「面白そうだね」

 と、低い声で一言呟いて、私の本を一冊買っていってくれた。


『星の花びら、地に堕ちて』

 それは、ジェイミーと言う女の子が、地上に咲く星の花を探す話だった。


 本を手渡す時、仮面の下から覗く彼の紫色の瞳が、興味深そうに輝いていた。

 その物語の続きを必ず買っていく彼がいてくれたから、流行に頼らず、もう少し踏ん張ろうと思えた。


 そういえば。

 彼が私のテーブルに現れなくなったのは、私が淑女達の流行を意識し始めた辺りからだ。


 昼間、目の前で婚約破棄を告げたヴィラントの瞳を思い出す。

 仮面文芸即売会で出会った彼と同じ紫色だった。


 まさか、ね。

 あんなに気さくなヴィラントの声を聞いたことなど無いし、紫色の瞳の男子学生なんて他にもいる。



   ☆☆☆



 仮面文芸即売会。

 結局ハメレイの続きを書けなかった私は、出展者としてではなく一般参加者として即売会を楽しむことにした。


「今週ハメレイの新刊無いの?」

「えっ、いつもあるじゃん!」

 ハメレイを楽しみにしてくれている生徒達の声が耳に入り、心に刺さる。


 好きな物語の新刊を楽しみにする気持ちは、私にも分かる。

 刷られたばかりの本を触った時の、心が浮き立つ感覚。

 それを期待していた彼らに応えられないのが、少し申し訳ない。


 出展する時とは違う仮面を着けているから、彼らが私を見てもハメレイの作者だとはバレないはずだ。


 ブラブラと会場を歩いていると、人気作家のテーブルに目が行く。


 淑女達は引き続き、復讐物や溺愛物に惹かれている。最近はお仕事物も人気だ。

 紳士達は、田舎でのんびり暮らす話、生まれ変わってみたら何故か最強だった話が人気だ。


 みんな疲れてるのかな。

 手軽にスカッとする話が好かれるのは、生徒達が日頃からストレスを抱えているからなのかも。


 長い列ができている場所をチェックする。


 恋愛物は男女共に手堅く人気。

 でも、好まれる話の傾向は男女で大きく異なる。

 「溺愛物」という、男性にひたすら甘やかされる話を淑女が好むのに対して、紳士達は「女性の浮気や不倫からの復讐物」を好む。

 

 足を止めた。


 違うんだ。

 淑女達向けの、真実の愛を見つけた婚約者からの婚約破棄、そしてその復讐に対応しているのが、紳士達向けの、女性側の浮気・不倫からの復讐。


 結局どちらも同じストーリーラインだ。


 淑女達向けの溺愛ものに対応しているのが、多数の女性達から愛される紳士向けのハーレム物だ。


 愛されたい。

 流行りの恋愛物の傾向から伝わってくるのは、男女の、よく似た切実な感情だ。


 そんなに愛されたいのなら。

 もう、婚約破棄物を好む淑女と浮気・不倫物を好む紳士で、付き合っちゃえばいいのに。


 婚約破棄。からの『ざまぁ』と呼ばれる復讐。

(ナディア・クライノートは、どう復讐するの?)

 私の物語の読者は、何を期待している?

 

 この物語が復讐劇なら、復讐する対象が一番苦しむ結末にすべきだろう。



  ☆☆☆



 風の噂に、ヴィラント皇子が寝込んだと聞いた。

 ヴィラントの体調はなかなか良くならず、一ヶ月が過ぎようとしていた。


「ハメレイの作者が、創作活動からの引退を発表したのが原因ですって」


 ヴィラントが婚約破棄を告げてきてから、『破滅エンドを回避させた令嬢達が僕を毎晩悩ませてくる』を書こうとすると筆が進まなくなった。


 特に思い入れのある婚約でも無かった。

 だからテンプレ台詞を返せた。

 それなのに、ハメレイは書けなくなった。

 その苛立ち、悔しさと共に決意した。


 ヴィラントに罰を下す。

 これが私の復讐だ。


 私はハメレイと、筆名を棄てた。

 そしてヴィラントは、それを受けて寝込んだのだ。


 いい気味だ。

 そう思えない自分が不思議だった。

 流行りの物語にありそうなカタルシス展開じゃないか。


 自室でモヤモヤしていると、コンコン、と窓から音がした。

 いつもの匿名の手紙だ。


 ハメレイの打ち切りを発表しても、そのファン達からは今もまだ、続きを熱望する手紙が届く。

『ゆっくりでもいいから、書いてください』

『いつまでも待っている』

『あの子達の未来が知りたい』


 今届いたのも同じような手紙だろうか。

 空中でペラリと便箋が開かれる。



『拝啓。ハメレイの作者様。

 私は貴女の作品の大ファンです。

 この度の突然の打ち切り発表、貴女の身に何があったのでしょうか。

 悪役令嬢のマチルダを、あれ程繊細で魅力的な人間として描ける貴女の感性です。

 私は、何かが起きたに違いないと思うのです。それを考えると夜も眠れません。

 私はマチルダに惹かれていると思い込んでいました。マチルダの心根の真っ直ぐさ、時折見せる弱さ。

 私には優秀な兄がおりますが、兄のように振る舞えない自分の不甲斐無さに挫けそうになるたび、マチルダの挫けぬ心が私を励ましてくれたのです。

 マチルダへの愛を貫くために、自分の婚約も破棄しました。

 けれど、私は大きな勘違いをしていました。貴女のことを考えて眠れなくなって、やっと気づきました。

 私が恋焦がれていたのは、マチルダ含む魅力的な令嬢達を生み出した貴女です。許されるなら、貴女と会いたい。貴女が続きを書けないのなら、それでも良い。

 ただ一度、私が感謝と敬意の気持ちを込めて、貴女の手に口付けることを許してほしい。


 ヴィラント・フォン・ノーヴァ』

 


 匿名、では、ない。

 一国の皇子が、一体何をしているのかと本気で頭を抱えてしまった。

 帝国の行く末まで心配になる。

 ヴィラントは愚かだ。

 

 愚かなまでに、私の物語を愛してくれている。


「ああもう! 寝覚めが悪い!」

 一途な人間の人生を狂わせたのが私の方なんて、復讐劇として後味が悪すぎる。

 話の流れ的に、ざまぁされるのが私になってしまう!


 引き出しから、使い慣れた紙とインクを取り出した。



   ☆☆☆



[未発表の、ハメレイの最新話です]

 声を出してはバレるから、筆談で。

 もう着けることはないと思っていた仮面を着けて、屋敷で療養中のヴィラント皇子を訪ねた。


 屋敷の客間で、ヴィラントは、ずっとこちらを潤んだ瞳で見つめている。

「初めてお会いする。私はこの帝国の第三皇子、ヴィラントだ」


 存じておりますとも!

 心の中で思い切り叫んだ。


 差し出したハメレイの最新話の原稿を見て、ヴィラントは言葉を失っていた。


 さあ、貴方が求める物を持ってきて差しあげたわ。

 これでサクッと機嫌を直して——


 原稿を握った、その手首を握られ引っ張られた。


 ——え?


 気付けばヴィラントに、きつく抱きすくめられていた。


「な、な……!」

 思わず声が漏れる。

 ヴィラントは私の髪に顔を埋めた。

「自重しようとしていたが、貴女の姿を見たら抑えが効かなかった」

 耳元で生まれるヴィラントの切なげな声。


 近い、近い近い!

 婚約者の時だってこんなことしなかったくせに!

 これほど至近距離にいたら、仮面を着けていても正体がバレてしまうのではないか。


 男子学生達を虜にする、ハメレイ。

 色っぽい描写てんこ盛りの作品の作者が、私だなんて知られたら。


「貴女が私の腕の中にいるなんて、夢のようだ」

 私の方こそ悪夢のようです!!


「ヴィラント」

 突然割って入った落ち着いた声に、ヴィラントは腕の力を緩めた。


 その隙にささっと距離を取る。

 力いっぱい抗議したいが、声を出したら致命的だ。悔しい。


「敬愛する先生に会えて感動するのは分かるが、相手はレディだ。行動を弁えなさい」

「兄上」

 兄上?

 視線をやると、ヴィラントによく似た男性が客間の入り口に立っていた。


「ヴィラントが失礼したね」

 記憶を引きずり出して驚く。

 クローヴィス皇太子殿下!

 ヴィラントの同母兄のクローヴィスは、存在だけはよく知っている。

 ヴィラントの婚約者として挨拶をしたこともあるが、彼は多忙でほとんど会話はできなかった。


 帝国臣民として、最上の敬意を示す挨拶をしなければならないと思うのに、緊張で身体がこわばる。

「ああ、楽にして。ヴィラントが伏せっていると聞いて様子を見に来たんだけど、君が来てるなんて。でも、ちょうど良かったかな」

 ちょうど良かった?


 滑るような所作で近づいて来たクローヴィスは、綺麗で柔らかな微笑みと共に告げた。

「私は、君の作品の続きを楽しみにしていてね?」

 頭をハンマーで殴られたような衝撃が走る。


 貴方も血迷ったのか。

 私が書いていたのは、とてもじゃないけど公衆の面前で口に出せないような、いかがわしいハーレム小説だ。


 ヴィラントだけでなく、クローヴィスもまた、それが好きだと言うのか。

 こういう小説は、好きだとしても、こっそり楽しむ物じゃないのか。

 誰も彼もオープンすぎて眩暈がする。

 

「兄上もお好きなのですか! やはり、マチルダの素晴らしさには兄上も」

「いや」

 ヴィラントの声をやんわり遮り、クローヴィスは笑みを深くする。


 ヴィラントと同じ、紫色の瞳がきらめいた。

「私が好きなのは、『星の花びら、地に堕ちて』という話だよ」


 それは。

「星の、花びら……? ハメレイの前の作品でしょうか?」

 ヴィラントの声が遠く聞こえる。

 それは、ジェイミーという名前の女の子の物語。


——面白そうだね。


 流行を意識せずに、物語を自由に書いていた時期。

 誰からも見向きもされない私の本を手に取り、買ってくれる男子学生が一人だけいた。


 膝から力が抜けてしまう。

 日の当たらない私の作品を見ていてくれた彼は、クローヴィスだった。


「君はいつ、続きを書いてくれる? それとも、ヴィラントから解放された今なら書けるのかな?」


 ずっと前に書くのをやめてしまった話の続きを待ってくれているの? 今も?

 頭はぼんやりしているが、正体不明の不安を背中に感じた。


 ヴィラントから、解放。

 それが意味すること。

 彼は。


 へたり込んだ私の前に、クローヴィスが片膝をつき、手を差し出してくれる。


 その手を取れずにいると、クローヴィスは駆け寄ろうとするヴィラントを片手で制し、刺すように厳しく告げた。

「お前も何故気付かないんだ」

「あ……兄上、何に、ですか……? 私から解放?」


 鼓動の音が、さっきからうるさい。

 呼吸が浅くなる。

 耳の中でごうごうと音がする。


 クローヴィスは私の髪に触る。

 いけない!

 焦ってその手を払おうとした。


「隠さないで、ナディア」

 仮面文芸即売会で聞いた声。

 優しげなのに抗えない不思議な力を持つ声。

 赤い仮面が取り払われ、床に落ちた。


「ナディア……?」

 ヴィラントが、信じられない物を見る目でこちらを見ていた。

 

 顔を両手で覆い、動揺を隠して考える。

 落ち着いて。

 息をして。

 物語のヒロイン達は、ここで泣いたり逃げたりしない。


 彼女達は鮮やかに、ピンチを切り返す。


 口元に笑みを浮かべ、ドレスの裾を捌いて立ち上がった。


「ヴィラント様に気付いていただけず、残念ですわ」

 ここぞと言う時に使う勝負笑顔を浮かべて、言い切った。


「作者が私だとご存知なら、まだ私達は婚約者どうしでしたかしら?」


 ヴィラントは驚愕の表情を浮かべ、ヨロヨロと後退った。

「即売会には、従者を行かせていた……だから、私は今日まで……!」


 ヴィラントは頭の処理が追いつかない様子で、そのまま長椅子にぶつかり倒れるように座ると、目を見開いたまま何も言わなくなった。


「どうやら、ショックが大きいようだ」

 クローヴィスは一人冷静だ。


 根性で強気キャラを保ち、クローヴィスに問いかける。

「いつから私の正体にお気付きでしたの?」

「ん? 君が弟の婚約者として挨拶しに来てくれた後、最初に即売会で見かけた時からだよ。一瞬仮面を取ったろ?」


 クローヴィスと即売会で会う直前、涙を拭こうとして仮面を取ったことを思い出す。


 では。

 胸の中に風穴が空いたような、少し寂しい気持ちになる。


「作者が私だから、私の本に興味を持ってくださったんですか?」

 クローヴィスは、軽く息を吐いた。

「最初はね」


 それは有名作家の作品が、有名だからと言うだけで買われ読まれるのと同じだ。

 純粋に中身を評価された訳ではない。

 ただの、作者買いだ。


「こら、君の良くない癖だ」

 クローヴィスは床に落ちた仮面を拾い、私の手を取った。手のひらの上に仮面が載せられる。


「正体が君だったと言うのは、きっかけに過ぎない。流行の枠にとらわれない、君にしか書けない物語が、私は好きだよ。私の気持ちを信じてほしい」


 そうだ。

 流行に乗った物語を書き始めてから、クローヴィスは私のテーブルに来なくなった。

 彼は、流行りに流されない作品を好んでいた。


 私はずっと、誰にも見向きされないテーブルで待ち続けていたのかもしれない。

 私が自由に書いた作品を、好きと言ってくれる人を。



   ☆☆☆



 今日も第三皇子のヴィラントは、お昼時にやってきた。


「ナディア・クライノート! 私と改めて婚約してほしい!」

「ですから、もう終わった話だと申し上げてます!」


 正気を取り戻したヴィラントは、私がハメレイの作者だと知った上で、熱心に求婚し始めた。

 婚約してた時は私に全く興味を持たなかったのに、現金な男め。


「貴女はまさに、私のマチルダ! あの客間での笑みを忘れることなどできない!」

「どんな話か知った上で仰ってるんですよね!?」

「どうか『あたくしを選んで』と言ってください! あの笑みで!」


 セクハラで訴えますと言いたいが、そもそもそんな台詞を書いたのは自分だ。

 何であんな本書いたんだ自分!


「私は諦めません、貴女が受け入れてくださるまで!」

「受け入れませんし、これ以上付きまとうなら」

 ヴィラントのローブを引っ張り、その耳元で小声で告げた。


「マチルダを主人公のライバルと結婚させて完結させます」


 この言葉に、ヴィラントは凍りついた。

「そ、それは禁じ手のネト……!」

 そう、NTRとも呼ばれる、男性達に人気のストーリーだ。


「しかも、その二人をめいっぱい幸せにします」

 裏切られた主人公に復讐などさせるか。

 失意の底で永遠に悶え苦しむがいい!


「どうぞお引き取りを!」


 ナディアの強い声に、ヴィラントは言葉を失い、放心状態で帰っていく。

 今のはだいぶ効いたようだ。

 まさか自分が生み出した物語のヒロインの貞操を脅しに使う日が来るとは……。


 仮面文芸即売会には、あの後しばらくして、ちゃっかり復帰した。

 

 ハメレイを捨て、仮面を変え、筆名を変え、ゼロからの再出発をした。

 昔書いていた、『星の花びら、地に堕ちて』シリーズだけを置いた私のテーブルには、やはり誰も来ない。


 誰も来ないは言いすぎた。


「今日は新刊ある?」

 多忙な皇太子の立場で、彼は顔を出す。

「ありますよ」

「本当? 待ってたよ。ジェイミーが次に出会う花は、どんな花だろう」


 彼は即売会に現れる時、いつも私に一輪の花を差し出す。

 多くの人が見向きするような話じゃなくても、たった一人、届けたい人に届いている。

 だから書き続けられる。


 本を差し出す手を、そっと握られる。

 私にだけ聞こえる声で、彼は言った。


「ヴィラントから強引に君を奪ってしまおうか、悩んだ時期もあった。けれど君は手折って飾るより、伸びやかに咲く姿を愛でたい花だね」


「え」


「次の物語も楽しみにしてるよ、私のジェイミー」

 嬉しそうに囁かれる。

 彼の『私のジェイミー』という声は、魔法の呪文のようだ。胸がくすぐったくなって困る。


 夜、机の上に飾られた花瓶の花。

 クローヴィスから渡された青い花が、甘い香りを放っている。

 ナディアは静かにペンを執った。


 後日、私は『星の花びら、地に堕ちて』の続きを手に、魔法学校の寮にあるクローヴィスの部屋を訪ねた。


 地上の花を集めたジェイミーが、星の世界に飛び立つ話。

 彼女は自分に常に優しい光を届けてくれていた『彼』と出会う。


「ずっと、みんなに私を選んでほしいと思っていました。マチルダの『あたくしを選んで』は、『誰でも良いから私の作品を選んで』という私自身の気持ち」


 沢山いるヒロイン達の中から自分を選んでほしいと愛を乞うマチルダは、自分が生み出した物語を誰かに読んでほしかった私そのもの。


「でも、きっとそれじゃダメだった。ジェイミーは、そんなこと言わない」

 本を渡して、クローヴィスに告げた。


「私は、クローヴィス様を選びます」


 クローヴィスは、綺麗な紫色の瞳を丸くした。


 貴方は、私が探し続けた星。


 マチルダなのか、ジェイミーなのか。

 どちらにしろ、私は私だ。

 私は私が描きたい物語を書いていく。



  ☆☆☆



 数年後。


 ノーヴァ帝国魔法学校の冬休み。

 寮で暮らす子女たちが自分の屋敷へ帰る季節でもある。


「姫様、その本は?」

 黒髪で美しい顔立ちの少年が、自分の主である少女が読んでいる本に目を留めた。


「ああ、エミール」

 少女の金色のまつ毛が揺れ、紫水晶のような瞳が自分を見つめ返してくる。

「クローヴィス兄様の書斎にあったの。星の花を探す女の子の話よ」


 クローヴィスは主人であるアンネリーゼの同母兄だ。沢山いる兄弟達の中で、妹皇女のアンネリーゼを可愛がり、アンネリーゼと良好な関係を築いている数少ない存在でもある。


 しかしアンネリーゼと仲が良い姿をわざと見せつけてくる彼を、エミールは好きになれない。


「ヴィラント兄様の書斎にも同じ作者の本があったんだけど、何故かそっちの方はクローヴィス兄様に読むのを止められたわ」


 この言葉を受けて、エミールは眉をひそめた。

 ヴィラントもまたアンネリーゼの同母兄だが、真面目すぎるきらいがあり、どこか神経質で危うい。


 こっそり、透視魔法を使ってヴィラントの部屋の本を読んでみた。

(破滅エンドを回避……?)

 長すぎるタイトルに違和感を感じる。


「…………………」

「エミール?」

 ばち、と、自分の顔を無邪気に覗き込んでいたアンネリーゼと目が合う。

「ダメだ、お前は読むな!!」


 とっさに出てしまった大きな声に、目の前のアンネリーゼはびっくりした表情を浮かべた。

「何よ」

「……は……失礼しました、アンネリーゼ様」


 エミールは、仕方なくクローヴィスと共同戦線を張ることにした。

 この内容をアンネリーゼの目に触れさせてはいけない。

 初っ端からあまりに大人向けな描写で、らしくもなく取り乱してしまった。


「どうしたのエミール。顔が赤いわ」

「少し、当てられました」

「? 何に?」


 窓の外には雪がちらついていた。

最後までお読みいただきありがとうございます!

少しでも面白いと思っていただけましたら、ブックマークや☆の花で教えてくださると、即売会のテーブルに一人座っていた時のナディアのような作者の心が救われます。


さて、実はノーヴァ帝国魔法学校を舞台にした、ナディア達の物語とは雰囲気が異なる物語がございます。

主人公は、最後に出てきたクローヴィスとヴィラントの妹姫、アンネリーゼとその従者エミールです。


『憎まれ皇女アンネリーゼのやんごとなき護衛〜敵国王子を拾って育てたら最強の魔法使いになりました。』


アンネリーゼ(攻め入った帝国の皇女)と、その従者エミール(滅ぼされた国の元王子)が、恋と命の駆け引きをします。

焦がれる想いが切なくすれ違う、甘くて危険な珠玉の恋物語。

クローヴィスが纏う大人の余裕とはまた違う、エミールが放つ色気に、貴方も囚われてみませんか?

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