第2.2話 : 光の向こうにいるもの
遺跡の中の空気は違っていた。重く、冷たく、まるで古代の何かがいまだ息をしているようだった。
壁一面にはねじれた文様が刻まれ、淡く光を放っている。忘れられた言語が、今もなおここで囁いているかのように。
足元の砂がざりと音を立て、三人の足音が広い通路にこだました。
ジェンは外套の内側から折り畳まれた地図を取り出し、薄暗い光の中で目を細めた。
「急ぐわよ。時間がない。“整列”がもうすぐ始まる。」
彼女の声には、遺跡そのものを挑発するような決意が宿っていた。
指先をひと振りすると、掌に小さな光の球が生まれる。
淡い黄色の光が彼女の前を漂い、刻まれた石壁と、不気味な顔をした彫像を照らした。
シュウはその後ろを落ち着かない様子でついていく。影が長く伸び、まるで意思を持つようにうごめくたびに肩を震わせた。
「……ほんとにこっちで合ってるの?」
声には怯えと疑いが混じっていた。
「当たり前でしょ、バカ。」
ジェンは振り返りもせずに言い捨てる。
「この地図は本物よ。高かったんだから。」
リースが低く笑う。その声は遺跡の奥でこだまするように響いた。
「“買った”ねぇ。……結界を突破した時の鍵も“買った”んだっけ?」
嘲るような口調だった。
ジェンは肩をすくめ、少しだけ顔を赤らめた。
「……借りたの。永遠に、ね。でも今はそんな話してる場合じゃないでしょ!」
彼女は地図を握りしめ、前を睨むように進んだ。
シュウは腕を抱えながら、小さく呟いた。
「……こんな重要な遺跡なら、罠とか、番人とか、いるんじゃないの? 侵入者を止めるための。」
一瞬、通路が沈黙に包まれた。
光球だけが低く唸り、通路の奥を照らしていく。壁に刻まれた“眼”の模様が、じっと彼らを見つめていた。
リースの笑みがわずかに薄れる。
「もし罠があっても、俺たちが頭で勝てばいい。それが俺の仕事だ。」
ポケットの金属がかすかに鳴る。
ジェンの口元に、またあの挑発的な笑みが戻った。
「そうよ。そしてもし番人がいるなら――後悔させてあげる。」
光球が一瞬だけ強く輝いた。まるで彼女の言葉に応えるように。
だが、シュウにはどうしても嫌な感覚があった。
壁が――耳を澄ませている。まるで遺跡そのものが、彼らの言葉を聞いたかのように。
***
光球がふっと揺らめいた。
明るくなったり暗くなったり、まるでろうそくの炎が息を詰まらせているようだ。
ジェンは舌打ちし、光を安定させようと魔力を注ぎ込む。
「……なんなのよ、これ。」
額に汗が滲む。
だが、シュウは光を見ていなかった。
彼の視線は、その先の闇に釘付けになっていた。
光が点いては消え、また点く――その瞬間ごとに、“何か”が見えたり消えたりしていた。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、見えた。
顔。
歪み、ねじれ、瞳が異様な光を宿した――“顔”。
光が消える。闇。
光が点く。
それは、近づいていた。
シュウの足が震えた。喉が乾く。
「も、も、も、も……!」
「うるさい! 集中できないでしょ!!」
ジェンが怒鳴る。
だが、その直後――
リースの顔から笑みが完全に消えた。
「……ジェン、光の向こう……見ろ……」
「はぁ!? 何よ――」
振り向いたジェンの瞳が凍りつく。
光が消えた。
闇がすべてを飲み込む。
再び、光がともる。
そこに“それ”がいた。
石のような肌、歪んだ口、動かないのに笑っているような顔。
人の形をしていない“何か”が、光が戻るたびに、少しずつ近づいてきていた。
ジェンの喉が鳴る。
「……遺跡の一部じゃ、ない……。」
光が再び揺らぐ。
「リース!」
ジェンが叫ぶ。「あんたの自慢の“光球装置”、今こそ出番よ!」
リースは震える手で鞄を探る。
「わ、わかってる! 今やる!」
小さな銀色の球体を取り出し、空中に放り投げた。
“シュウィィィン”という音とともに、球体が白い光を放ち、部屋中を照らす。
明るさが広がる。
そして――それが、見えた。
通路の中央に立つ巨大な影。
石と肉が混ざったような身体。苔が肩にこびりつき、目は空洞のまま淡く光っている。
シュウが叫ぶ。
「に、逃げようよ!!」
その“怪物”が胸を膨らませ、地鳴りのような咆哮を上げた。
天井から砂がぱらぱらと落ちる。
リースが後ずさりし、両手を上げた。
「す、すみませんねぇ! ちょっと通るだけなんで!!」
「ジェン、逃げ――!」
「黙って!」ジェンが叫ぶ。「私は逃げない!」
両手を突き出し、金色の光弾を放つ。
次々と閃光が怪物の体にぶつかり、煙が立ちこめた。
しかし――怪物はほとんど傷ついていなかった。
「……タフね。」ジェンが歯を食いしばる。
「じゃあ、これはどう!」
両手を合わせ、掌の間に眩い光の球を生み出す。
それを渾身の力で放つと、轟音と共に光線が怪物を吹き飛ばした。
一瞬、静寂。
倒したかに思えた。
しかし、怪物は立ち上がる。
咆哮。壁がひび割れる。
「嘘でしょ……まだ立つの!?」
ジェンは息を荒げながらも、最後の魔力を絞り出した。
光が爆ぜ、部屋中を白く染める。
怪物が苦痛の咆哮を上げ、目を覆うようにのたうった。
「今よ! 走って!!」
ジェンの声に、リースがシュウを引きずるようにして走り出す。
三人は曲がりくねった通路を全力で駆け抜けた。
「ジェン、すごいよ!」
「知ってるわ!」息を切らしながらも、彼女は笑う。
背後では、怪物の咆哮が遺跡全体を震わせていた。
***
その頃、遺跡の外。
入口の見張り兵がその音に身を固くした。
「今の……“守護獣”の咆哮だ。」
「ってことは――侵入者がいるな。」
二人は互いに目を交わし、すぐに走り出した。
遺跡の空気が重くなる。
――波乱の始まりを告げるかのように。




