宇宙で一番小さな…… 6
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〝灯火〟。文字通り、灯した火の事である。イメージとしてすぐに浮かぶのは、蝋燭の明かりだろう。暗い場所をぼんやりと照らす、小さな火。
自分の苗字ながら、変わった苗字だと思う。
「春彦ー。ごはんー」
母の声が聞こえて、春彦は自室を出た。
昼間の公園の事が、ずっと頭の中をぐるぐるしていた。三時間くらい寝たが、夢も見ずに目を覚ました。スケッチブックは机に置いたまま、家では開いていない。
「お茶碗とお箸出して。ご飯はよそっちゃって」
料理の載った皿をテーブルに並べながら、母の春恵が言った。灯火春恵。市外にある大学の職員。具体的にどういう仕事かはよく知らない。
ついでにいうと、父親の名前は邦彦で、『春彦』という名前は二人の名前から一文字ずつ取ってつけたのだという。
「いただきます」
「いただきます」
トンカツだった。何だか久しぶりな気がした。ひと口食べると、口の中の怪我した箇所に衣が少し触れた。痛かったが、気にしないようにして食べた。
テレビには夜のニュースが流れている。各地で進んでいる復興。メジャーリーグの試合速報。などなど。大半は、いやニュースのほとんど全てが、春彦には直接関りがない。あの不良連中が捕まったというニュースもなければ、あの逃げた女子高生が見つかったというニュースもない。
「てか、ごめん。トンカツにしちゃったんだけど。口の中痛いよね?」
食事がちょっと進んだあたりで、様子を伺うように母が言った。
「あ……いや、大丈夫だよ。ちょっと痛いけど、美味しいし」
今さら、と答えるのは、何だか気が引けた。
「怪我、まだ痛い?」
「え。そりゃ……まあ、ね」
「はあ。たく、慣れない事するから」
キャベツをもしゃもしゃ食べながら、母がため息をついた。
「あんたが怪我してまでする事じゃないでしょう。何が返ってくるわけでもないんだし」
「別に……何かがお返ししてほしくてやったわけじゃないよ。ただ、あの時は僕が行かなきゃって思っただけで……」
「ほんとに? 助けたら御礼がしてもらえるーとか何とか、考えなかった?」
「考えてないよ! 目の前で女の子が不良に絡まれている時に、そんな事考えている余裕ない」
「そぉー? あたしだったら考えちゃうけどなー」
「意外と俗っぽいね。母さん……」
「労働の対価よ。危険手当でもいいけど」
春彦は何と言っていいかわからないまま、トンカツをひと口食べた。
「いや、母さんもさ。あんたがそうやって我が身を顧みず人助けしたのは偉かったと思ってるよ。でもそれで、あんたが怪我してたら意味ないでしょとも思うわけ」
「……何で? 人を助けるためじゃん」
「やり方を考えなさいよ。大声出すとか、ほかの人呼ぶとか、警察に電話するとか。何で不良三人に一人で突っ込んでいくわけ? 当たり所が悪けりゃ、あんた死んでたかもしれないのよ」
自分で話を始めておきながら、母はだんだん興奮してきたようだった。
「……今回は大丈夫だったし。相手もそこまでするわけ」
「そんなのわかるわけないでしょ。いい? もし人助けがしたいなら、まずは身体を鍛える事よ。運動もできるようになるがいいわね。そのうえで、適切な判断力を身に着ける事。無茶せず、むざむざ危険を冒さず、きっちりと人を助けられる方法を思いつけるようにする事。これが大事よ」
まーあんたは運動するタイプじゃないわね、と母は付け加える。
そんな事言ったって……。土壇場でそんなに頭が働けば苦労はないだろう。それに母さん。僕は今日、まさに危険を冒して行う人助けに勧誘されたんだ。
言おうか。いっそ。
いや、言えるわけがない。
「……でも、もしどうしても戦わなきゃいけなかったら?」
それとなく、遠回しに春彦は訊く。
「戦いは子どもの仕事じゃない」
母はぴしゃりと言った。
「春彦、あんたはまだ高校生なのよ。受験だってあるし、楽しいい事だってこの先たくさんある。立派なのはいいけど、危険な事をするのはやめて。それこそあんたは、戦隊でも何でもないんだから」
――昼間の宇宙人との会話が頭を過ぎる。別に戦いたいわけじゃない。けれど今日唐突に戦隊に勧誘されたように、戦いは、危機は、結局、こちらのタイミングなど考えもせずに、突然襲ってくるものじゃないのか?
スマホが鳴って、母が席を外す。「えー?」という声が聞こえた。不満そうな母の声がしばらく続き、それから本人が戻ってきた。
「ごめん。ちょっと仕事で出てくる。帰り遅くなると思うから、戸締りしておいて。電気とガスと水道もよろしく」
そこまで言って、母は思い出したように、
「あ、コンビニ行くなら。お母さんの分もデザート買っておいて。マロン系がいいな。あれば」
ついさっきまでシリアスな話をしていたと思ったが、母は自由だ。
「オッケー。母さん」
春彦は頷いた。トンカツがまだ皿の上に残っている。口の中は痛いが、そんなに時間をかけずに食べ終えるだろう。
「気を付けて行ってきてね」
玄関まで行って、母を送り出す。
珍しい事じゃない。職場が近所なぶん、何かあるとこんなふうに呼び出されるのだ。あの様子では、帰るのは夜遅くになるだろう。
――母が嫌がるなら、何も返ってこないなら。そもそも、自分の役目じゃないなら。
戦隊になんてなる必要はないし、誰かを助ける義務もない。
食事を済ませて、後片付けをする。時計を見る。まだ二十時にもなっていない。お風呂に入る前に、ふらっとコンビニに行くにはいい時間だ。
『だが、もし君が戦ってくれるなら――』
スマホケースに入れておいた名刺を取り出す。竜巻優一郎。地球防衛連合爆新戦隊総司令。
思いがけず、一人の時間ができた。名刺には、竜巻優一郎の連絡先が書いてあり、今ここで電話をかけても、聞き耳を立てる者はいない。
ここで何もしなければ、何も変わらずに済む。でも、この先の人生で、また同じ事が起きたら? また、誰かが危ない目に遭う場面に遭遇したら? それが母さんだったら? その時、自分以外に誰もいなかったら?
電話のボタンを押して、キーパッドを開く。
灯火。一体何のために燃える?




