猫 人間になる
01 猫、あっさりと死亡した!!
ウチ(私)が生まれて、はや5か月余りになろうか? 生まれたころの記憶はないが、その後の何日かを暗い箱の中で過ごし、前の飼い主さまから今の飼い主さまのもとにやってきた。
新しい飼い主さまの名前は、宮本大輔みやもとだいすけという。
飼い主さまはウチに、‘すず‘という名前を与えて溺愛できあいしてくださり、毎日共に食事をして、夜は同じ布団に潜り込み一緒に眠る仲である。その飼い主さまが、このたび高校2年生というものに昇進され、それはとても苦難の道のりであったということであるらしい。
飼い主さまは狩りが不得意のようで、いつも朝は何かの目玉を焼いたものに、サダラ(サラダ)、それにトースター(トースト)などというものばかりを食べている。ウチも猫年齢では立派な大人であるらしいゆえ、狩りの下手な飼い主さまのために、今宵こよいはスズメでも狩ってくることとしよう。この前、ネズミを狩ってきたときには散々と叱られたものだが、飼い主さまが鳥を好物としていることは、妹の陽菜はるな殿との会話に猫耳を立てて調査済みである。今夜のうちにスズメ共の寝床にロックオンし、日の出とともに一網打尽いちもうだじんとするのだ。ネズミなどより難易度は高いが、鳥好きな飼い主さまのためである。因みにロックオンとは、飼い主さまが、たまに四角い平らな箱と会話されているときの話し言葉で、見つける!ということであろうと理解している。ここは飼い主さまの家の近くだが、道幅が狭く、両脇には背の高い草がはえている。自動車はまず通れない私道である。たまに自転車や人が通るが、ウチを見ると近寄ってきたり抱き上げようとしたりする事があるので、飼い主さまの母殿がいつも妹殿に、知らない人についていってはいけないと言っている事を思い出し、視程内全方位の警戒は常に怠りなく行っている。ここは既すでに、スズメ共との主戦場である。
そのようなことを思考しながら歩いていると、突然の轟音とともに、黒い1つ目の怪物が眼前に現れた。その光に目がくらんだ瞬間に、すずはその怪物に跳ね飛ばされ、そのまま民家の塀に叩きつけられた。
それは大きな黒いオートバイだった。運転手はすぐに停車したが、はねたのが猫だと分かると、そのまま現場を立ち去ってしまった。喉から背中に激痛がはしり、呼吸もできなくなった。手足は動かず、そのうち痛みも感じなくなった。
ああ、飼い主さまにスズメを、スズメを、スズメを・・・、スズ・メ・・・
02 猫、御神籤を当てる!
どれだけの時間、眠っていただろうか。すずは強烈な明るい光を感じて目を覚ました。そこは大きな部屋のようであり、草原のようでもあった。天井があるのに地面に草花が生えているのである。先ほどまで激痛だった手足も、胸の痛みも消えていて、体が自由に動く。
恐る恐る立ち上がって前へ進んで行くと、眼前の小高い丘に、大きくて白い毛の長い老猫が座っていた。猫年齢にして10歳は優に超えているだろうか。
「気が付いたか?」老猫は言った。「ここは下界と天界の間、わしはこの地域を担当する猫神じゃ」
「ここは何処?ウチは、早朝にはスズメを持って飼い主さまの所へ帰るんだよ」
猫神は言った。
「それは無理じゃな。何故ならお前は昨夜のオートバイ事故で死んでいるからな」
すずは納得がいかない。
「えー、帰りたいよ、帰りたい。飼い主さまの処に帰りたいよ!」
「それがお前の願いなのじゃな、じゃが元の器には戻れぬし、前世の記憶を受け継いだまま新しい猫となっても、今まで通り飼い主に接してもらえるとは限らぬ。良いのじゃな?このまま成仏するという選択肢もあるぞ」
「願い?」
「ああ、お前のような飼い主に愛されて天命を全うした猫には、1つだけ願いを叶えることができるようにしてやっておる。神というのはあんがい退屈な・・・」
すずが話を瀬切るように話しだす。
「ウチ、人になりたい..1」
「そして人の言葉で飼い主さまと話したい..2」
「飼い主さまはべんきょ(勉強)も苦手だから、すずが偉くなって教えてあげるの..3」
「あ、スズメも狩りたいな。いや人になるのであれば、人の料理が上手く作れるようになりたい..4」
「で、ね、頭の髪の毛は黒くて長いの..5」
老猫が少し呆れたように話す。「お前は今、5つの願いを言ったぞ、わしが叶えるのは1つだけじゃ。髪の毛なぞ放っておけば伸びるであろうに」
すずが猫神に縋り付く。
「飼い主さまはね、長い髪が好きなんだよ。ウチをカバンに入れて、ブンブン(コンビニ)でウチのごはん見てるとき、後ろに置いてある髪の長い人のメスの顔や体(グラビア写真集)を必ず見てるもん」
「うーむ、いくら幼い猫とはいえ、5つか? これまでも2つ、3つの願い求めるものは何万とあったが、その殆どが下界に降りて破綻しておる・・・」
少し考えて猫神は言った。
「面白い、その5つの願いを叶えてやろう。ただし特例じゃ、無条件でとはいかん」
「どうすればいいの?」
猫神がまた少し考えて話す。
「そうじゃな、ではここに神籤がある」
猫神はなにもない空中から御神籤箱を具現化して取り出した。
「この神籤の中身を当ててみ・・」
「中吉だよ」
猫神は、また呆れたように話しだす。「なぜ中吉なんじゃ?凶かもしれぬぞ」
「凶って何?中吉だよ、中吉。陽菜殿だけが小吉だったんだよ」
すずは今年の元旦に、大輔の家族4人とともに初めて初詣というものに行った。そこで御神籤を引き、妹の陽菜以外がたまたま中吉だった。そしてこの神社は前々から、御神籤箱に凶を入れないことで近隣で有名である。すずは凶など知らないのである。
「コホン、で、では箱の中から1つだけ選べ。みごと中吉なら、1つめの願いを叶えよう」
すずは大輔が依然やっていたように、箱の中を左の手(左前足)でかき回し、その中から1つを取り出した。それは空中で自ら開いて広がった。
「チっ、かき回してしまったか、これではどこに中吉があるか・・・」
実は猫神は、すずがそのまま前足を突っ込めば中吉に当たるように、予め御神籤を配置していた。不老の命を与えられた猫神自らの退屈を埋めるために、不正を行っていたのである。
「これ何て書いてあるの?」
すすがまた猫神の言葉を遮って話す。
「そうか、この猫はまだ人の字が読めんのか・・・」
猫神はわざとらしい声で、「あ、あああああ、驚いたな中吉じゃ、よかったな!」と答えた。
すずは飛び上がって喜んだ。
「やったー、中吉中吉!」
そうしている間に、いつの間にか1匹の猫がすずの後ろに現れていて、しきりにこちらを見たりしている。
「今朝はお客さんが多いな。」
猫神は自身の姿勢を正すと、すずに向かって話した。
「ほれ、1つ目の願いは叶えたぞ、次の願いを叶えてほしければ7日後の夕刻、天に向かって猫神の名を呼ぶといい」
「7日後だね?」
「ああ、7日後じゃ。忘れるんではないぞ!さあ、今は飼い主の元に帰るがいい」
すずの意識が遠くなる、そして気が付くと自身が跳ねられた場所に戻っていた。亡骸はすでになくなっていた。
猫神は嘘をついていた。御神籤は実は、中吉ではなく末吉であった。そして、すずも実は、大切な願い事をするのを忘れてしまっていたのである。
03 猫、幽霊になる!
すずは少し歩いてみた。だが、何だか変である。体がほぼ透明であり、自分の右手が左手を通り抜ける。そしてこの体の寒さは何だろう。
「あ、人になったんだから後ろ足だけで歩いてみよう」
そろりと立ち上がると、そこに体重は感じられず、そして何だか、ちっこいのだ。
「これ絶対おかしいよ!ウチは髪の長い、ないすばでいな人のメスになるはずだったんだよ?ねえ猫神さまぁ!」
大輔と同い年くらいの人間にしてほしかったのに、猫神は猫の年齢のまま人にしてしまった。もちろん猫神からの返事はない。
「そうか、7日後の朝、ここに来て猫神さまの名を呼べばいいんだね。猫神さま」
兎も角、飼い主の元に帰ることにしたが、少し歩くと前から二人の女子中学生がやってきた。大輔の妹の同級生の、メガネに丸顔で黒髪を後ろ二か所で三つ編みにした背の小さいスレンダーなほうが日下美弘と、背が高く、茶髪の右ワンサイドアップを耳の上あたりでシュシュで束ねた体格の良いほうが桑原千春である。
「おーい、みひろ、ちはるー」
すずは2人に縋り付こうとしたが、そのまま2人の体を通り抜けてしまった。戻って来て後ろから縋り付いたが、やはり通り抜けた。何度か繰り返したが駄目である。
日下美弘が何かの気配を感じたかのように言った。
「ねえ桑っち、今、何かとすれ違った?」
「え?すれ違わないよ何にも。んんーもしかして、すずちゃんの幽霊がそのへんに居るとかかな?」
冗談半分で千春が適当な所を軽く指さしながら言ったが、それは偶然にも、すずの顔面を位置を直撃していた。すずが2人の体の中を往復しながら叫び始めた。
[ほら、見えてるんでしょ?影が薄いけどここに居るよ、ウチだよ!]
美弘がすずの方を見ながら話す。
「そんなんじゃなくて、もっと大きな、子供くらいの...」
「えーやめてよ、朝からホラーとか」
桑原千春には、すずがまったく認識できていないようだ。2人はすずの中を通り抜けて行ってしまったが、すずにはそれを見送ることしか出来なかった。
「大輔さまの元に帰らねば・・・」
気を取り直して歩き始めたが、それは何だか空中に浮いているような感覚だった。
玄関先までたどり着くと、大輔の名前を大声で呼んでみた。いつもならそうやって家の中の誰かにドアを開けてもらうが、返事がない。それどころか玄関のドアも通り抜けてしまった。中で大輔たちの話し声がしている。玄関の中からその声のするリビングまでの廊下をゆっくりと進むと、大輔の母親が悲しそうな声で勝手口のほうを見ながら話している。
「可哀想にねえ・・せっかくうちにも慣れてきていたところだったのにね・・・」
父親が少し忙しそうな声で、
「それじゃ俺、会社行ってくるから、9時にペットの葬儀屋が取りに来るから火葬にしてやろう。中林さん(元の飼い主)が親は血統書付きだって言ってたのに残念なことしたなあ」
「それじゃ私も友達と約束あるから!」陽菜がショートカットの赤い前髪を気にするように右手でさわりながら続いて廊下に出てきて、まず父親がすずの体の中を通過する。後ろから来た陽菜が同じように通り抜けたとき、
「え?」
小さな声を出して立ち止まった。
「なんか居た!?」
陽菜が後ろを振り返る。
「行ってきす!」
父親だけが靴を履いて玄関から出て行った。
「えっ、えっ、人?」
陽菜の声に、すずは少し驚いて急いでリビングに入り込むと、大輔を探して抱き着いたが、勿論通り抜ける。
続けて入ってきた陽菜が大輔のほうを指さして、
「大ちゃん(陽菜は兄のことをそう呼ぶ)それ何?何だろう?人、人だよね、やっぱり!小学生くらいの髪の長い、何か半透明な」
大輔が足元を見まわしながら、
「え、何もいないけど!」
「飼い主さまああああ!」
その言葉に、すずは大声で泣き出したが、その言葉は大輔には聞こえない。涙が溢れてきて頬をつたうが、その涙は途中で蒸発するように空中へと消えていった。
このような涙自体が、すずにとっては初めての経験であったが、今はそれどころではない。食器を洗っていた母親が手を止めて、大輔のほうを見ている。
「私にはお人形さんのように見えるけど」
「母さんまで何を言うんだよ?何にもいないだろ!」
すずが大輔の後ろで手をばたばたさせている。
「あら、動いてる。お人形さんじゃないわね」
母親がすずのほうに近寄って言った。
「4月1日にはまだ早いぞ!」
大輔は少しムッとした様子でリビングを出て行った。すずがそのあとを追う。
「大ちゃん、なんか憑いてったよ!」
どうやら見える者と見えない者がいるらしい。大輔は2階の自分の部屋に入るとドアを閉め、中古のゲーム機を引っ張り出して電源を入れた。映画のBlu-rayなどを再生できる機能があったので、ネットオークションで落札したものだが、それに中古のゲームが7本付いていた。すずが四角い箱と言っていたのはこれである。
大輔はしばらくそのゲーム機で遊んでいたが、その間もすずは体を通り抜けたり、膝の上に座ろうとしたりしてみる。
「母さんちょっと買い物に行って来るから、外出するときは大輔も鍵をかけてね」2階の廊下で母親の声がする。陽菜は既に外出してしまったようだ。そもそも友達と図書館に行くなどと言っていた。
「行ってら―」
大輔はゲームをやめると無造作にベッドに倒れこんだ。その上から覆いかぶさるように、すずがダイブした。その体が半分ほど、大輔の体に入り込む。いつものようなベッドの弾力も感じられない。
「へへ、これなら飼い主さまに潰される事もないや。でも何だかスースーするし、この体だとちょっと狭いな!」
疲れていたせいもあってか、直ぐにすずも大輔の隣りで眠り込んでしまった。
「ただいまー!」
しばらくして玄関の鍵が開き、陽菜が帰ってきた。そして玄関が何だか騒がしい。
「友達を連れてきたな?頼むからこっちには来ないでくれよ!」
大輔の心の声が口に出ている。
「母さん買い物かぁ?さあ、上がって上がって。まだ居るかもしれない」
「居るって、あ、そうか?」
大輔は察するように回りを見回しながら話す。
「その、何だか分からんの!もし本当に居るのならどこか見えないところに隠れておいてくれないか。やつ等が来るとこっちも少し面倒だ」
「うん、隠れるよ!大輔さま」
すずが大輔のベッドの下に入り込む。
階段を上がる足音が聞こえ、まず妹の部屋のドアを開ける音がする。そして更にもう一度ドアの開閉音がすると、廊下が静かになった。
「部屋の中に入ったのか?」大輔が少し安心したその瞬間である。
「大ちゃん、部屋見せて!」
いきなり陽菜がドアを開け飛び込んで来た。その後ろから桑原千春と日下美弘がそろりと大輔の部屋に入ってくる。
「あ・・お兄さん、おはようございます・・・」
千春は大輔に小さな声で挨拶すると、シュシュで束ねた、自分の髪の毛の先のあたりを指で触り始める。これは少し恥ずかしい時の千春の癖である。
「おはようと言っても、もう午前11時前なんだけどね。それからあまり周りのものを見ないでくれないか」
大輔が少し恥ずかしそうに視線を横に反らし、千春と喋っていたところで、すずが堪り兼ねたようにベッドの下から飛び出してきた。
「ちはるー!みひろー!」
「居たあ!!」
陽菜が大輔の部屋の机を押しのけるようにして大輔のほうに向かってくると、すずは隠れ直すように大輔の後ろに下がりベッドの上に立ち、じーっと陽菜の方向を見つめ始めた。
「何処にもいないから、多分ここだと思ったのよ。こいつさっき大ちゃんについて行ってたし」
陽菜は少し興奮した口調で、
「あれ、人だよね?あれ、幽霊?地縛霊?座敷童?、ねえ!」
日下美弘がスマートフォンを取り出すと、いきなり大輔のほうをカメラで撮り始めた。
「ちょっと、撮らないでくれないか!」
大輔が両手で顔を隠すその後ろで、すずがぽーっと浮かぶように立っている。
「ほら、これ!」
美弘がスマホの液晶画面を見せると、そこには部屋の背景と大輔の姿だけが映り込んでいた。
「ちょっと、お兄さんに失礼でしょ」
千春が慌てて美弘のスマホのレンズを床に向けながらも、自分も画面を覗いてみる。陽菜、大輔が代わる代わるその画面を覗き込む。すずまでもがやって来て画面を覗く。
「写ってないね」
その言葉に、すずがかなりへこむ。
「だから何が写ってないんだよ?」
「だから何が写ってないのよ?」
大輔と千春がほぼ同時に同じ言葉を発した。
「だからって、ほら目の前にいるじゃない!ねえ、これ幻覚?、蜃気楼?、ミー散乱?」
陽菜には納得がいかないようだ。
「分かったから出て行ってくれないか?オレはゆっくりしたいんだ。いいか?全員、全員だぞ!」
「もうやめとこうよ?・・・」
千春の言葉に、納得のいかない陽菜と女子2人が出ていく。
「あの、お騒がせして申し訳ありません」
千春がぺこりと頭を下げると大輔の部屋のドアを閉めた。
その後、陽菜の部屋のドアを開く音がして、今度は本当に部屋の中に入ったようである。
「まだ居るのか?」
大輔はベッドに寝転がると、何もない天井に向かって呟くように話してみたが、そのとき既に、すずもどこかに消えてしまっていた。
隣の陽菜の部屋から3人の話し声が聞こえる。それにしても女子が3人居るだけで、何故こうもよく絶え間なく会話が続くものだ。男子なら中に10人は居ると思われても不思議じゃない。
大輔がそんな事を考え始めると、いつの間にか大輔の元にすずが帰ってきていて、胡坐をかくように横から座り込み、肘を就いて大輔の顔を覗き込んでいる。
「大輔さま」
大輔の体に沿うように体の中に潜り込むと、小さな声で話す。
「大輔さまはやっぱり温かいな。ウチ、この体だと何だかスースーしてて、お腹もすかないんだけど、前の体より何だかとても寒いんだよ。ああ、ここはやはり、あったかいなあ」
大輔の母も既に買い物から帰っていて、家事をする音がすずの耳に聞こえる。陽菜たちの階段を下りる足音がして、玄関のあたりで母殿と話しているらしい。
「お邪魔しました」
美弘たちの声だ。
「あら、これからお昼の支度しようと思ってたのに」
「またねー」
陽菜が見送り、2人は玄関から出て行った。
すずはできるだけ大輔から離れないようにくっついていたが、夕方になると体から離れて事故現場へと出て行った。7日後といっても、実はよく分からなかったのである。
そして、このころから大輔の家の近所で、小さな髪の長い子供の幽霊が出ると噂されるようになった。
04 猫、勝負に参加する!
それから数日がたった。すずはできるだけ大輔の中にいて気配を感じさせないようにして、夕方になるとその体を離れて事故現場へと向かった。そして朝になると凍えたような体で帰ってきて、また大輔の体に潜り込んだ。春とはいえ、まだ朝晩はかなり寒い。雨はすずの体を透過したが、晴れの日の寒さはきつかった。そして7日目の夕刻、すずがいつものように空に向かって猫神の名を呼ぶと、空から返事がある。
「おお、待っておったぞ」
すずの意識が遠くなり、気が付くと、また7日前の草原のようなところにいて、体は猫に戻っていた。
そこには円卓が据えられており、2匹の猫が椅子に座って、その上に置かれた四角い板を睨んでいるが、小さなすずにはそれが何なのか見えない。近づいていくと、2匹のうちの1匹の真っ黒な猫が、すずの方に向かって言った。
「何か、ちっこいのが来たぞ」
.もう1匹のクリーム色の、毛の長い猫もすずの方に振り向いて、
「あら、かわいいのが来たわね、でもこの子に将棋が分かるのかしら?」
と言った。
「バカにするな!ウチももう立派な大人なんだぞ。」
そう思いながら、すずは円卓のほうに近づいた。
「ぱはっ、見えたっ!」椅子に上って円卓の上に前足をかけて顔を出すと、正面奥に猫神の顔が見える。両脇で2匹の猫が笑っている。
「ひどいよ猫神さま、ウチの飼い主さまにはウチのことが全くみえないんだよ?」
少し間をおいて猫神が話す。
「ほう、見えないとな」
「そうだよ、人になっても見えないんじゃ意味ないよ?それに何だかちっこいし・・・」
両脇の猫たちは腹を抱えて笑っている。
「その、人、は果たしてお前の飼い主なのかな?」
「飼い主さまは飼い主さまだよ!宮本大輔さまだよ?」
すずはかなり不機嫌である。
「まあいい、今夜の勝負に勝てば、恐らく見えるようになるわい」
「でもよう神様、こいつに将棋が分かるのかい?、オレは主の膝の上で、いつも主が将棋を打ってるのを見てたんだぜ」
黒猫が自慢そうに話す。
クリーム色の猫も負けじと、
「私の主人も、将棋やチェスをよく嗜んでおりましたわ。必ず今夜の勝負に勝って同じ猫となり、主人の元に戻るのですわ」
「誰が本将棋をすると言った!それでは将棋の得意なものが有利であろう?」
「じゃあ何を?詰将棋ですかい」黒猫が聞く。
「わしがやりたいのはな、これじゃ!!」猫神は将棋盤の上に駒の入った箱を被せた。そしてゆっくりと箱を持ち上げると、将棋盤の上に駒の山が出来上がった。
「なんだ、将棋崩しですかい?」黒猫が少し不満足そうだ。
「将棋崩し?」すずには何方にしろ意味が分からない。
「こすいですわ、これでは前足の小さなそこの猫が有利ですわ!」クリーム色の猫も不満そうだ。
「もう一度言う。勝負を諦め、このままここで成仏するという方法もあるが、皆、勝負に挑むのじゃな!それではルールを説明する」猫神は、他の2匹には構わず、決まり事などを話し始めた。「駒を音を立てずに盤の外へ引いてきて、外に落とす。音がしたり、まわりの駒を崩したら、そこで終わり、見事盤の下に落としたらそれは自分の駒となり、次の駒をとる事ができる。とらずにやめてもよい。最後に持ち駒のいちばん多いものが勝ちじゃ!」
黒猫が名乗る。「俺の名前はクロ、宜しくな!まあ二度と会うことはないだろうがね」
「私の名前はクリムですわ」
「ウチの名前はすず。すずだよ」
「さあ、誰から始めるかな?」猫神は何だか上機嫌だ。
「じゃあ俺からいくぜ。右回りだから次はちっこいのだぜ」クロが自分の正面下の駒を右前足で音を立てずに引いてきて、将棋盤の下に落とした。
「どうしよっかなあ?まあやめとくぜ」クロは1駒とって様子を見ている。 次はすずの番である。すずもその小さな前足で1駒引いてきて、盤の外に落とした。クロと同じことをすればいいと思ったようである。
クリムが1駒引いてきて盤の下に落とすが、途中、他の駒を崩してしまった。
「キーっ!やはりこの小さな猫が有利ですわ。私の太い前足では、狭いところに届きませんし、他の駒を崩してしまいます」
「そうとも言えんだろう。小さな前足は確かに狭いところに入るが、駒を引いてこれるかどうかは別問題。むしろ大きな前足は安定していて有利であろう?」
そうしている間にクロがまた一つ引いてきて、盤の外に落とした。
「おい、やめとけ、そりゃ無理だぜ!」クロが忠告する中、クリムが崩した駒のあたりから、すずが駒を引き出して小さな左前足で手前に引いてきている。そこには倒れた玉将の上に、桂馬と歩兵が一つずつ、縦に乗かっている。
「んんんん・・・」唸るような声をあげながら、それを崩さずに将棋盤の外に落とした。
「終了、終了!」5巡目が終わった後、猫神が突然、勝負の終わりを告げた。勝負の結果は、すず6駒、クロ5駒、クリム3駒であった。
「今宵の勝負はすずの勝利。次は1週間後じゃ!わしも忙しいんでの!」
クリムが猫神に異議を申し立てている中、すずの意識が遠くなる。そしてまたあの事故現場に戻っていた。
05 猫、学校に行く!
すずが勝負に勝った4月6日朝、それは丁度、大輔の始業式の日だった。
事故現場に戻ったすずは、早朝の寒さに耐えきれず、早々に大輔の家に向かった。
「寒いよ、主さま、大輔さま」玄関のドアを通り向けると、すぐさま2階の大輔の部屋に向かった。リビングには、母親、そして父親がいたが、廊下に出かけた陽菜だけがその影に気付いた。大輔の部屋に入ったすずは、着替えをしていた大輔に抱き着いたが、やはり体を通り抜けた。が、今朝は今までと何か違っていた。
「あれ、何か小さな人影のようなものが俺の体にぶつかってきたような・・・気のせいかな?」後ろを振り返った大輔の目に、ぼんやりと小さな人影が写っている。
「あっ!何かいる」
「すずだよ?」
「もしかして」
「すずだよ?」
「これが近所で噂になっている幽霊・・とかか?」
「すずだよおおお」
すずが泣き叫んでいる所へ、陽菜がドアを蹴破るように入ってきた。
「おい、着替え中に入ってくるなよ」
「大ちゃん、この声が聞こえないの?」
「声ってなんだよ」
大輔にはすずの声が聞こえない。
「この子、すずって言った」
「陽菜殿ぉ」
すずは陽菜に抱きついて来た。陽菜も両手を下に伸ばして受け止めようとしたが、通り抜ける。
「陽菜も今日から授業だろ、遅れるぞ」
大輔は着ていたカッターシャツに紺のネクタイを引っ掛け、緑色のチェックのブレザーの上着を羽織ると階段を下りていく。
「この子、前より影が濃くなってる、そうだ母さんなら・・・いい、あんたは家から出ちゃダメよ」
「主さまあ、大輔さまあ!」
すずが大輔の後を追って階段に向かう。
「母さん、捕まえて、え?ええ?なんで大ちゃんが主?大輔様?」
陽菜は食事で制服に染みが付くのを恐れて、普段から寝間着のパジャマのまま朝食を食べている。それが裏目に出てしまい、大輔を追えない。
すずは大輔に追いつくと、後ろから大輔にくっついて歩き始めた。
「大輔さま、ウチ、人になったんだよ」
大輔は、足元に纏わりついてくる小さな影にちょっとした恐怖すら感じてしまい、腰のあたりを右手で持った通学カバンと左手を使ってで祓いながら歩く。
「おい、ついてくるなよ!俺は今から学校に行くんだぞ」
「がっこお?」
だが、その声は大輔には聞こえない。
「おはよ!」
そのとき大輔は、後ろからいきなり肩をポンと叩かれた。
「ひ!」
「ひ!って何だよ、どうした虫でも飛んでたのか?」
後ろから挨拶したのは、大輔の中学時代からの友人の山崎勉だ。
「あ、ああちょっとでっかい引っ付き虫がな」
「ほお、何処にいる?」
山崎には、この半透明な人影のようなものが見えていないようだ。そういえば始業式とあって幾人かの生徒が周りを登校しているが、だれもこの影を気にしない。すこしホッとした大輔だったが、後ろから、ある女子の熱い視線を浴びてることにまだ気付いていなかった。
学校につくと校門の前には更に多くの生徒が登校していて、教師も立っているが、やはり誰もこちらを気にしない。
「ここががっこお?」
すずは始めて目にする校舎にすこしワクワクしている。
それぞれ各教室に入るが、大輔の通う県立高校には年度ごとのクラス分けがない。1年から3年まで、ずっと担任も同じだ。
「主さま、ここがきょうしつ?」
「そお、ここが教室だよお」
耳元で突然、聞きなれた声がする。声をかけたのは、近所に住む同じクラスの大原玲子である。
「お前、これが見えるのか?」
「見えるし聞こえるよ、これが今、近所でウワサの幽霊ちゃんかな?」
大原は、すずのほうに向かってしゃがみ込むと、外側に向かってややカールした薄茶色のセミロングの髪の毛を、自分の目が隠れないようにか右手でかき上げながら話す。
「実はこの子が毎朝毎晩、大くんの家に出入りしてるのを知ってたんだ、捕まえようとしたこともあるんだけども潜り抜けちゃってね。ねえねえキミは大くんの家に住んでるの?」
「あ、玲子殿!匂いがしなかったので分からなかったよ」
「何故にキミは私の名前を知っているのかな?親族関係でキミくらいの子が亡くなったという話は聞かないのだけれどもね」
「ウチはすずだよ?」
「すずちゃんっていうの」
06 猫、まっしろけ!