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歴史長き、オズウィリア帝国。
この国では身分制度こそ残ってはいるものの、その貴族の権力というものは弱体化していた。特に最近では、実権を移られた皇太子により掲げられた自由競争と経済的自由権の制度により、庶民による商売や事業主になる事も許され、富を築く者も出てきた。しかしそれに反発する者によってのクーデターも危惧されるようになってきた。
一方で、さらに王帝制度を廃止する声も上がっている。この国にも、他国からやってきた資本主義の波が押し寄せていた。
そんなオズウィリアには、国の治安と平和を守る為、秘密裏に設立されている《ギフト》を持つ者達だけで形成されている秘密特殊部隊がある。その実態や存在は公にされておらず、一般には隠されている。そして、ローレンスはその組織のメンバーの一人であった。ちなみに先程の古書店の店主は、任務を伝える仲介屋。情報屋としても大事な構成員の一人である。街の中には他にもこのような形で協力者が潜んでいる。
普段はその姿を隠し、伯爵家の娘として普通に過ごしているローレンス。しかし伯爵家の娘といっても、ローレンスは養子だった。よって伯爵家と血筋は繋がらない。
貧民街のスラムで彷徨い、身寄りのない彼女を引取ってくれたのがローレンス伯爵だった。妻は若くして他界、その後息子も事故で亡くし、長く独り身だった。跡を継ぐものもおらず寂しく一人過ごしていた伯爵が、どこの馬の骨ともわからない孤児を養子に迎えるなんて普通は考えられる事ではなかったが、彼は親代わりのようにローレンスを育ててくれた。そしてローレンスも、彼を実の家族のように思っていた。
ドレッサーに用意していたイヤリングを摘み、鏡を見ながら慣れた手つきで耳につける。ついでにその隣に置いておいたハンドナイフを、ドレスをたくし上げて顕になった白い左太ももへ括りつける。
本日の夜会の準備をすませ、比較的肩回りに自由のきくオフショルダータイプのドレスを身に纏う。足回りも足軽にフリルの少ないデザインの控えめなフレアタイプにした。色も夜に溶け込むような目立つことのない落ち着いたダークグリーン。鏡を今一度確認し、家を出ようと玄関の戸を押した時、伯爵がローレンスへ近づいてきた。眉間に皺を寄せ、その顔はいつも以上に渋く険しい。
「ローレンス。無茶だけはするなよ」
……脚に忍ばせたナイフに気付いているのだろう。全く目の鋭い人だ。多くは語らないが、聡明で敏い。彼の尊敬する所だけれど。ローレンスにとって時にそれは厄介だ。彼は彼女が特殊部隊員である事を知っているが、具体的に今何の任務についているかは知らない。家族にも言えない機密事項だからだ。
「わかってるわお祖父様」
そう言って、家のドアを閉めた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
今回の夜会はバレンス侯爵主催の夜会。彼から招待され、かなりの貴族が参列していた。ローレンスも令嬢達と他愛なく会話に入りながらそれなりに過ごしていると、夜会の中でざわりと周囲がざわついた。
「エドワーズ公爵。ようこそ来てくださいました」
「バレンス候、招待感謝する」
バレンス侯爵が挨拶にやってくる。本日の大物が到着したようだ。相手はカイル・エドワーズ公爵。身分、実力共に申し分ないこの国の数少ない権力者の一人である。その姿に会場の女性達は釘付けだ。
月夜に溶け込む漆黒の艷やかな髪。ハンサムで美丈夫。その上聡明で剣術の腕も立つ。その麗しく完璧な彼は社交界で絶大な人気を誇っていた。
しかし治安部隊を総括する国の治安捜査局長でもあるエドワーズ公爵は、ローレンスにとって厄介で近づきたくない相手だった。しかし彼の近くにいておいて挨拶をしないのは礼儀として免れない。仕方なくローレンスはカーテシーを行う。
「公爵様、ごきげんよう。ローレンス・アローンでございます」
「ああ」
他の令嬢に混ざり、適当に挨拶を交わす。その短い挨拶は、記憶にも残らないだろう。
彼はあっという間に女性たちに囲まれる。ローレンスはその場を離れ、遠巻きでその彼らの雑談を聞く。彼は先の事件について令嬢達へ注意をしているようだ。
「最近王都で若い女性が襲われる事件が多発しています。皆さんも気をつけてください」
「でもエドワーズ様達が捜査してくださっているんでしょう? それなら私達も安心だわ」
「ええ、私達が責任を持って必ず捕まえる所存なので」
そんなことを言って、犠牲者は増える一方だ。とにかく死の連鎖を止めなくてはならない。公爵の有能さはわかってはいるが、一向に犯人の痕跡もわからず解決の至らない事件に歯痒い気持ちになる。
しかし《こちら》の手負いになったのだ。これで堂々と手が出せる。この国に影を落とす事件を早急に解決せねば。
このまま夜会の終わりを待とうと、風に当たりながら彼女はテラスから街を望んでいた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
夜会も無事終了し、出席者達は各々厳重な警護の中馬車等で帰っていった。夜の明かりも消えた街に一人待つローレンスは、夜会で飾ってあった花瓶から一輪拝借して、それで器用に髪を適当に束ねた。
そして一際高いビルの屋上から、街を見渡す。
件の殺人事件により、真夜中に出歩く者はいなくなっていた。昼はあれほどまで栄えて賑わっていた街が人っ子ひとりおらずこんなにも静まり返っていると少し気味が悪い。しかしローレンスには好都合だ。
「――ッキャァ!?」
女性の叫び声が聞こえた。少し遠い。南西方向だ。
彼女がオレンジ色の半透明な箱に囲まれたと思うと、またその姿を消す。しかし叫び声が聞こえた辺りの建物の屋根に再びオレンジ色の半透明な箱が出現したと同時に、そこへローレンスが現れる。彼女が視界に捉えた先に、ドレス姿の恐らく夜会帰りの令嬢らしき女性がぐったりと倒れ込んでいた。女性の周囲は血溜まりで、恐らくもう助からないだろう。その傍らに立ち尽くす人物と目があった。
「!――」
「っ待ちなさい!」
そのローブを深く被った男はローレンスと目が合うと、走り出す。その判断は早く、足もかなり速い。ローレンスは着ていたドレスの裾を大胆にもビリビリビリっと破った。
「……っ逃がすか」
空中にオレンジ色の半透明の正方形の箱が浮かび上がる。その箱状のものの上を飛び渡りながら、その先にもどんどんと空中へ箱を浮かび上がらせては宙を渡り走る。彼女は上空から犯人を追った。
ローレンスの能力は《ボックス》。空間上に彼女が生み出した半透明のオレンジ色のボックスは結界のように外部からの接触や攻撃から耐え得る。またその箱の中の空間は別次元で、別の場所に作った箱の中へ自由に物の行き来も可能。これによりできるのが物体移動である。また、そのボックスは形状変化も可能で、長方形や円錐、球状にも作り出すことができ、彼女の力量により伸縮も自在。固く、結界や移動手段としても使えれば、落下時などにクッション材として使うことも可能と、非常に応用のきく高いスペックを持つ。
空中で引き続き男を追い続けながら、銃口に見立てた指でパンと撃つ仕草をした。すると、その指から銃弾のようなものが放たれ、男の肩を掠める。これも能力の一つの応用として、銃弾ほどまで小さく球状に作り出し、狙いを定めて超高速で撃ち出したものだ。
その後もパンパンと連続して狙い打つ。その一つが男の足にヒットする。バランスを崩しながら走る男は手負いだ。
ローレンスは地面へと降り、男を追いかけながらその足をかけるようにボックスを生み出そうとした。しかし、完全体になる前にボックスが消える。
「?!――」
ならばいっそ拘束してしまおうと、男自体をボックスで囲おうとするも、今度はギフトが発動しない。
「《ボックス》!――っ」
どんなに力を込めても発動しない。ローレンスの能力が使えなくなっていた。
――ギフトが無効化されている
それに気づいたローレンスは素早く足に忍ばせておいたナイフを取り出し投げつけるも、咄嗟に避けた男には当たらずカランカランと地面に転がる。
そして裏路地へ入った男はその姿を消していた。
取り逃がした――ローレンスはグッと拳を握りしめる。しかしその直後背後から人の気配を感じて、彼女はハッと振り返る。その人物に、思わず息を呑んだ。
――闇夜に溶ける艷やかな漆黒の髪。射抜かれるような真っ直ぐとした魅力的な深い青い瞳。酷く整った造形美のような男らしい顔立ち。そしてスタイル良くスラリと長い足にガッシリとした体つき。
「ローレンス嬢……?」
驚きで固まり、目を疑ったようにこちらを見つめるエドワーズ公爵。――不味った。ローレンスは内心焦っていた。
こんな状況でなければロマンチックと頬でも染まらせ、そのへんの令嬢たちならときめきを覚えていただろう。あの憧れの公爵様が目の前に、しかも月の浮かぶロマンチックな真夜中、二人っきりでいるのだ。しかし生憎、ローレンスはそのような感性を持ち合わせていない。
「……ここで何を……まぁ、言わなくとも予測はだいたいつくが……」
顎に手を当て、ローレンスを上から下まで眺め見る。彼女は裂けて乱れ、ヒールを履く脚が太ももの方まで顕になった足元のドレスを直す。
そもそもなぜエドワーズ公爵が直々にこんな所にいるのだろうか。通常この早さに到着するのは管轄している現場の治安部隊員だけであるだろうに。
「私を覚えてらしたのですね。驚きですわ」
動揺を見せぬようローレンスは笑みさえ浮かべて言う。
「ああ。俺に全く興味を示さない令嬢だったからな」
「……公爵ってそんな性格でしたのね」
自分の容姿に意外にも自信を持っているタイプだったらしい。いやここまで顔が良ければ多少傲慢にもなるし自信も持つか。そんな事を思っていると、彼は口を開く。
「君はギフト持ちだったんだな」
……やはり、バレていた。奴を追っていたところから見られていたのだろうか。
「――どうして、あの犯人を追っていた?」
「……」
口調はゆったりとしているが、鋭く冷たい視線がローレンスに向けられる。秘密部隊については決して口外厳禁。たとえ国家の治安維持の要である警備局長だとしても、その存在は明かされてはならない。国家機密組織だ。
「……あの男は連続殺人犯でしょう」
「ああ」
「私のギフトがあれば捕まえられる。そう思ったんです」
「ほう……一介のご令嬢が、か?」
「ええ、ただの貴族の令嬢が、出過ぎた真似をしてすみませんでした」
そう頭を下げる。しかし公爵はふっと笑った。
「そんな言い訳で通じると思ったのか?」
「言い訳ではないです。どうやら私は自分の能力を過信しすぎていたようです」
「面白いな、令嬢は」
何を言ってるんだこの男。何故か彼女に笑みを浮かべる姿に不愉快になる。いっそ組織のギフト持ちメンバーに頼んで記憶を消してもらおうか。一方頭の片隅でどう逃げようかと考え巡らすローレンスはぎりっと奥歯を噛む。
互いに視線が交差する。その時、ある声が響く。
「そこまで」
黒い羽がはらりと舞い、鴉が一羽、飛んでくる。ファサリと大きく翼を広げ、電灯の上へと着地した。電灯の上に留まった鴉は真っ黒な目でじっとこちらを見つめる。闇夜に溶けるその姿は少し不気味だ。しかしローレンスは気づいていた。組織の遣いだ。
「……なんだ、この鴉は」
公爵は怪訝な顔で睨みつける。しかしその反対にローレンスは膝をつき頭を垂れていた。その姿に公爵は目を見張る。
「申し訳ございません」
「もうよい」
鴉はローレンスへそう答える。
「……これはどういう事だ」
公爵は鴉を睨みつけたまま凄む。
「エドワーズ公、悪かった。そなたの持ち場を荒らしてしまってな」
「お前達は何者だ」
「少なからず敵ではない。目指す志は共に同じといったところだ」
その答えに顔をより一層顰める公爵はより詳しい説明をしろと社交界では見たことのないような冷たく怒気を孕んだ表情を見せる。
「マスター」
「これ以上隠す事もできまい」
口を開きかけたローレンスを止めるように鴉は言う。そして公爵を見つめた。
「『ファクルタース』へ招待しよう」
鴉がそう告げると、ローレンスと公爵の足元に文字が現れ光る。その光に包まれ、二人は一瞬にして姿を消したのだった。
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