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第三章

 年が明けて十日ほど経った頃、僕の病室に見舞い客があった。それはエンブリー伯爵家の執事のマックスだった。


 しっかりと防寒着を着込んでいるというのに、二か月振りに見る彼が酷く痩せ、顔もこけていることに僕は気が付いた。

 きっと僕が倒れたことでさらに父に酷使されたのだろう。僕のようになったらと不安になった。

 

 しかし彼は僕の顔を悲しげに見ながらこう呟いた。

 

「坊ちゃま。私はエンブリー伯爵家を辞めました。ドクターストップがかかりましてね。今日からこちらの病院に入院することになりました。

 

 でも心配しないで下さいね。ライエル先生の発案された点滴をして半月ほどすれば、また元気になれると先生に太鼓判を押して頂きましたから。


 でも、坊ちゃまがこんなことになるまで気付かなかったことを、どうかお許し下さい。

 まさかいくらあの旦那様でも、ご自分の息子の治療を打ち切るだなんて、夢にも思わなかったものですから。

 それに無理矢理に王都へ連れて行かれ、あまりにも仕事に忙殺されて、私は正しい判断ができなくなっていました」

 

 わかる。わかるよ。僕もそうだった。だから自分を責めないでくれ。マックスは何にも悪くないよ。

 あんなところ、辞めて良かったよ。それに倒れる前に治療が受けられることになって本当にホッとした。

 

 伯爵家の中では彼だけが僕の味方で、唯一信頼できる大切な人だったんだから。

 

「毎日見舞いに来ますからね」

 

 そう言って元エンブリー伯爵家執事のマックスは病室を出て行ったが、毎日は来なくていいいよ。まずは自分の健康回復に努めてくれ。

 

  ◇

 

 二月になった。マックスはすっかり元気になった。コケた頬も大分元に戻って、目の下のクマもなくなって、僕はホッとした。

 

 彼は宣言通りに律儀に毎日病室にやって来ては、色々と報告してくれた。

 おかげで僕は自分の体から離れられなくても、僕の周りの状況をよく把握することができていた。

 

 元執事マックスは、最初は祖父であるエレンフェスト侯爵に疎まれていたようだった。


 しかし元エンブリー伯爵家の主治医ライエル先生の説明やストークス弁護人の調査によって、彼が僕の唯一の味方であり、彼もまたエンブリー伯爵家に酷い仕打ちをされていた事実が判明した。

 その結果彼は祖父の手配によってこの病院に入院をし、退院後はエレンフェスト侯爵家で臨時で働く事になったのだという。

 

 本当に良かった。

 彼はあのどうしようもない伯爵家をたった一人で切り盛りしてきたくらい優秀なんだ。

 侯爵家でまともな職場環境を与えられれば、最高の仕事をし、祖父達も大いに助かるだろう。

 

 それにしても、こんな優秀な執事をこき使い、能力や体力を枯渇させた挙げ句に捨てるだなんて、あの父親は愚か過ぎる。

 これから一体どうする気なのだろうか? 

 自分で領地経営をするのか? それともまた誰かを雇うつもりでいるのか? 

 あんなブラックな職場にまともな執事や経理士が就くわけないのになぁ。

 命あっての物種だ。元執事のように世襲でもない限り、仕事を受ける者がいるとは到底思えない。

 

 しかも、エンブリー伯爵家の労働環境と待遇の悪さは、世間にも次第に広まりつつあるらしい。

 社交界や、経済界や、医療福祉関係者から流れてくる悪い噂もじわじわと。

 まあ、もう僕の知ったことではないが。 

 

 この一か月で知り得た情報をつらつらと考えていると、マックスが言った。

 

「そうそう。この間弁護人の先生が私のところにも見舞いに来て下さって、その時にお聞きしたのですが、私が侯爵様にお許しを貰えたのは、お二人の先生方からだけではなくて、あのティンデル侯爵家のお嬢様のおかげだったらしいのですよ。

 

 私が坊ちゃまにとってエンブリー伯爵家で唯一信頼できる人間で、本当の父親のように思っていたのだと、お嬢様が口添えして下さったそうなんですよ。

 坊ちゃまが私のことをそのように思って下さっていたと知り、私は嬉しいと思うと同時に、自分の不甲斐なさに泣けました。

 

 坊ちゃま、これから私はもっと強くなって、侯爵様や先生方と共に戦います。ですから、坊ちゃまも早く目を覚まして下さいね。

 みんなが、いいえ、お嬢様がずっと坊ちゃまをお待ち下さっておいでですからね。

 淑女を待たせるなんて、紳士として恥ずべきことなんですから……」

 

 元執事は泣き笑いの表情をして、僕の冷たい手をこすった。一月近く、毎日彼はそうしてくれていた。

 

 それにしてもティンデル侯爵家のお嬢様ってエミリィーのことだよな。

 

 ありがとう、エミリィー。

 

 君は格上で名門侯爵家の令嬢だから、斜陽の伯爵家の自分とは釣り合わない。僕はずっと自分の気持ちを封印していた。

 そして家のためだと、父親の命令通りに気持ちの通じない女性との婚約でも我慢しなければと思った。

 でも、もっと抵抗すれば良かった。貴族の役目だと簡単に諦めずに、もっともがけば良かった。

 

 もしこの体で、人として目覚めることができたら、今度こそ家のためだけではなく、自分のために努力をしたい。

 理不尽な人生にただ流されるのではなく、今度は必死に抗って、エミリィーと共に歩む生き方を模索してみたい。

 

  ◇

 

 三月の半ばになった。

 病室の中も大分寒さが和らいできた気がする。窓が開けられると春の気配が感じられるようになった。

 春を告げる野鳥の声が聞こえてくるし、花の香りもわずかに漂ってくる。

 いやこの花の香りは花瓶に生けられた花の香りか…

 

 小児病棟の子供達が時々森で摘んできた花を持って来てくれるのだ。

 何でも森で知り合った綺麗なおねえさんから頼まれるのだそうだ。

 

「病棟一階の一番東の病室に眠りの王子様がいるので、お花を摘んだら、時々少しでいいから、持っていて生けてあげてくれないかしら?

 眠っていても匂いはわかるというから、きっと喜ぶと思うの」

 

 って。うん、ちゃんとわかるよ。

 

 その綺麗なおねえさんは子供達に本を読んでくれたり、文字や歌を教えてくれたり、いつも一緒に遊んでくれるらしい。

 子供達はみな彼女が好きだったので、彼女の頼みをきいて花を届けくれるらしい。

 

「あのおねえさん、きっとこの眠りの王子様のことが好きなのよ」

 

「それならあのおねえさんが王子様にキスをすればいいのにね。そうすれば王子様は目を覚ますんじゃない?」

 

「それ絵本のお話だろう? キスくらいでは目を覚まさないだろう? それにあのおねえさん、とっても綺麗だけれどお姫さまじゃないだろう?」

 

「そうかぁ」

 

 いやいや。彼女は僕にとってはお姫様で間違いないんだよ! 

 でもね、淑女たるもの婚約者でも恋人でもないのに異性にキスはできないんだよぉ〜、子供達ぃ〜

 

 そんなことを思っていたらグラッと頭の中が揺れた。僕は思わず目を瞑った。

 

 

  ◇◇

 

 

 目を覚ますとそこは真っ暗だったけど、地下の食料庫だということはわかった。

 脱穀した麦の香りと、大量のじゃが芋の土っぽい匂いがプンプンしていたから。

 

 そうだ。ここはディンデル侯爵家だ。

 お腹がすいた。

 

 モグモグ、モグモグ……

 

 僕は籠の中の木の実を手探りで取って、皮を除いて口の中に放り込んだ。

 

 パカッ、カリッ……

 パカッ、カリッ……

 パカッ、カリッ……

 

 冬眠もそろそろ終わりにしてもいいのかな? まだ三月の半ばだけれど。

 もう一眠りする必要はないよな?

 

 僕が暗闇の中で思案していたら、ギギッという音と共に光が中に差し込んだ。

 

「あれ、リスっ子が起きてる。まあ、今年は春が早いからな。

 でも悪さはしてないな。よしよし、偉いぞ。

 すぐに外へ出してやるからな」

 

 料理人の見習いだろうか? 白い服に白いエプロン姿の若い男が、ヒョイと僕を籠ごと持ち上げた。

 突然のことに、リスである僕は垂直に立ち上がったまま固まった。

 そして逃げ出すこともできずに、籠に入ったまま勝手口から外へと出されてしまった。

 

「森へ帰って元気で暮らせよ」

 

 勝手口の扉がしまってから、僕はようやく我に返った。

 おーい! 僕はエミリィーにもリーズさんにもまだお礼も別れの挨拶もしていないんだよ。

 

 ぼくは小さな手で必死に扉を叩いたが、厚みのある頑強な扉では物音一つ立てられなかった。

 そこで次に爪で引っ掻いてみたら、その音が不快だったのだろう。番犬に吠えられて、僕はびっくりして駆け出した。

 

 そして屋敷の正面に向かおうとした僕は、今度は猫に追っかけられて、慌てて傍にあった木に駆け上った。

 ところが猫も僕の後に続いて上ってきた。

 ああ、猫も木に上れたっけね。つい、うっかりしていた。

 ぼくは木の一番高いところまで上り、わざと一番細い枝を選んで先端に向かった。

 

 ハイになっていた猫は、僕にロックオンした後は周りの状況が見えなくなったらしく、細い枝に前足を置いたところで後ろ足を滑らして宙ぶらりんとなった。

 そこで僕は軽くジャンプをして揺らしてやった。すると小枝が折れて僕は猫と共に落下した。

 もちろん僕はすぐ下の木の枝の上に無事着地したけどね。

 

 回転しながら落下して無事に着地した猫は、興奮したまま勢いよくどこかへ走って行ってしまった。

 

 暫く木の上から様子を伺っていたが、猫が戻ってくる様子もない。もうそろいいかなと、木から降りようとした時だった。


「まあ、マーシ君ったら、もう冬眠から目が覚めたの? それにしても挨拶なしに森に帰ろうだなんて、なんて薄情な子でしょう。

 キタキツネからお嬢様が必死にお助けしたというのに……」

 

 リーズが木の上の僕に気が付いてこう嘆くのが聞こえた。

 マーシ君? 僕そう呼ばれてるの? 恥ずかしいのですが……

 

 いやいや、何故僕がそのシマリスの『マーシ』だってわかったんだろう? そんなに特徴的なシマリスなのかな? 自分ではわからないけど……

 

 いやいや重要なのはそこじゃない。僕は決して恩知らずでお礼や別れの挨拶をしない人間、いやシマリスではありません。

 料理人見習い君にお屋敷から強制的に追い出されただけです。

 

 僕は大急ぎで枝から幹へと走り、垂直に真っ逆さまに根元まで駆け降りた。そして、そのままのスピードでリーズの足元へ走って彼女の肩までよじ登った。

 

「キャ~かわいい!」

 

 とリーズは顔をデレっとさせた。そしてその時である。

 

「エミリィー、ここにいるんでしょ! 居留守を使ってもわかっていているのよ。

 誰でもいいから早く開けて!

 私よ、アネッサよ」

 

 という大きな女性の声が正面玄関の方から聞こえてきた。

 

 アネッサって、まさかあの僕の元婚約者のアネッサか? どうしてこの屋敷に?

 僕がそう思った時、リーズが舌打ちした。

 

「まさかここまで追って来るなんて、なんてしつこくて図太いの?」

 


 読んで下さってありがとうございました!



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