第一章
近代寄りの近世欧州風の設定ですが、ゆるふわ設定ですので、細かいところを突っ込まないでもらえると助かります。
シマリスが登場しますが、そもそも欧州には生息していないらしいのでその点も……
(注・シマリス以外のリスは冬眠しないようです!)
突然目が覚めた僕はブルッと体を震わせた。そしてその直後、僕は情けなく悲鳴を上げた。
「エーッ! 何で? これで何度目? もう備蓄食料はないよぉ〜。
やっぱりヤマネの方を選んでおけば良かったよぉ〜!」
と……
◇
空腹に耐えかねて外へ這い出すと、そこは銀世界だった。緑の森の中が一面の雪に覆われていた。
どんぐりを埋めていた場所の目印なんて全く見当がつかない。
もちろん草や木の芽も出てやいないし……
うっ、寒い。これじゃ凍え死んじゃう。僕は慌てて巣穴に戻ろとしたが、目の前数メートル先にキタキツネがいるのが見えて、僕はコテッと倒れて気を失ったのだ。
◇◇
「侯爵閣下、マーシェル、私の息子を何処へ連れて行くのです?」
「何処だと? 王都の我が屋敷に決まっているだろう?」
「どうしてですか?」
「どうしてだと? ここにいては孫が死んでしまうからだ。真冬だというのにこんな北の土地でろくに暖房もついてない部屋で寝かされておるなんて……なんと不憫な。
おお、冷え切っておる。可哀想に。
これは虐待、あるいは介護を放棄されているとみなされますよね、先生方?」
「はい、私もそう思います。まだ学生である未成年のマーシェル様に家の仕事を無理矢理押し付け、ろくに食事や睡眠を取らせず強制労働をさせていたのですから立派な虐待ですよね。
しかも倒れてからも入院もさせず放置したんですから、これは立派な犯罪ですよね? ストークス先生」
「もちろんです、侯爵様、ライエル先生。
いや虐待だけでなく、殺人未遂とまでは行かなくても、未必の故意の殺人未遂案件ですな」
医師と弁護人、二人の先生の受け答えに、この屋敷の主であるエンブリー伯爵は青褪めた。
「未必の故意とは何ですか?」
「今のこのような状態のことを言うんですよ。
積極的に殺そうとは思っていなくても、まぁ死んでもいいか…と死ぬ可能性があるのに何もせずに放置することですよ」
「ええ、まさしく今のこの部屋の現状ですね。居間やご自分達の部屋は上着もいらないほど温めているというのに、この部屋は震え上がるほどに寒い」
弁護人と共に医師は大袈裟にブルッと体を震わせた。
やがて僕の体が侯爵の連れて来た使用人達によって担架に乗せられ、僕の部屋から運び出されそうになった瞬間、父が僕にしがみついてきてそれを阻止しようとした。
すると、母方の祖父であるエレンフェスト侯爵は、僕の父であるエンブリー伯爵にこう言った。
「今すぐ警察をここに呼んでもいいんだぞ!」
「そんな!」
「孫への仕打ちは貴族院や役所へ訴えるつもりだ。証人はお前の家の執事と医師だ。我が家の弁護人とは違ってお前の関係者だから、証人として問題は無い。覚悟しておけよ」
「待って下さい! マーシェルは私の息子です!」
「だから何だ!」
「跡取りを奪われるのは困ります」
「何を言っておる。お前にはもう一人息子がいるだろう?
容姿も頭の中身もお前にそっくりな出来損ないが!
むしろマーシェルがいなくなって、そこにいるお前の後妻も最愛の息子も大喜びだろう」
「違います。ここにいるのは妻の連れ子で、これを跡取りにするつもりはありません」
「あはは! 世間でそれを信じている者など誰もおらんわ!
あの女の元の嫁ぎ先に浮気の口止め料として高額な金を支払ったのだろう? 帳簿を見れば膨大な使途不明金があるのがわかるわ。
何故その埋め合わせを私の娘や孫がやらねばならなかったんだ?
本来お前と後妻とその息子でやるべきだろう? 自分達の不始末なのだから。
それなのに、兄だから家の為に働くのが当たり前だと? いつ、年下の方が兄という呼び方になったんだ?」
祖父がニヤッと笑った。
父と継母が真っ青になった。
「あなたは侯爵様のお嬢様が亡くなる前に、その隠し子と養子縁組をしていましたね。妻の同意も無しに。これは無効ですね。
しかも、そもそもそちらの息子さんの出生届けは、一年近くも出生日をごまかした書類ですよね。これも公文書偽造ですよ。
婚約中の不貞行為を誤魔化そうとしたのでしょうが、証拠は揃っています。
たとえあなたの奥様が既に亡くなられていても、婚約のための契約は奥様ではなく侯爵家と伯爵家がなさったことですから、違約金を支払って頂きますよ。
あと、今までエンブリー伯爵家に融資していた分も早々にご返金願います」
侯爵家の弁護人の言葉に伯爵とその後妻、そして伯爵に瓜二つのイケメンと評判の義弟(実は兄らしい…)は膝から崩れ落ちた。
しかし、恐らく祖父もわかっていて言っているのだと思う。父と継母は、僕を廃嫡して弟を後継者にしようとしていたわけではないと。
祖父が言うように、義弟は伯爵当主になれる器じゃないことはわかっているから。
彼らは本当に僕を当主にするつもりだったのだろう。そしてずっと僕に集ろうとしていたんだ。それなのに、僕には関心がなく、僕に何の配慮もせずに蔑ろにした。その結果がこれだ。
本当に馬鹿な奴らだ。そして貴族の義務だと、そんな奴らの言いなりになっていた自分も……
その後僕の体は馬車で二十分ほどの病院へと運ばれた。さすがに意識不明で、しかも氷のように冷え切った僕を、王都へ連れて行くには無理があったからだ。
しかしそれは、僕にとっては幸運だった。
僕の本体と乗り移っている仮の体の距離が離れ過ぎるのは問題だろう。僕の意識は両方を行ったり来たりしてるから。
つまりこの病院は伯爵家とは森を挟んでその反対側にある。言い換えれば、僕がシマリスとして暮らしている森と接しているのだ。
そして初恋の少女の家とも近いのだ。まあ、今それは関係ないけど……
いや、あった。
◇◇
再びシマリスとしての僕の意識が覚醒した。今度はとても温かかった。
僕は籐で編んだ籠の中で身を丸くして寝ていた。しかし目を開けると、そこには僕の初恋の少女であるエミリィーの顔があった。酷く心配そうな顔だ。
四年振りの再会だ。彼女は昔の面影を残しつつも、大分大人の女性になっていた。愛らしさを残しつつも、とても美しい淑女になっていたのだ。
フワフワ綿毛のようだった金色のエミリィーの髪は、まとまった緩やかなウェーブヘアになっていた。しかし明るい緑色の瞳は昔のままで、じっと僕を見つめていた。
「良かったですね、お嬢様。死んでいるのかと思いましたよ」
エミリィーの後ろにいた妙齢の女性がホッとしたような声を出した。
僕らが十二歳の頃にエミリィー付きになった侍女だ。そう、確か名前はリーズといったかな。
とても明るくて元気で優しい人で、僕のこともかわいがってくれていた。
こんな姉がいたらいいなといつも思っていた。僕はあの頃は一人っ子だったから。
そして実母が亡くなった後、たまに帰る伯爵家の使用人は執事以外は継母が雇った者達に入れ替わり、伯爵家にはあまり相応しくない者達ばかりだった。そして、僕には皆冷たかった。
だからこそ、エミリィーのことを考える時、いつも対のようにリーズのことも思い出していた。
「でもどうしましょう。春まではまだ三か月もあるのだからまだ冬眠していなければ駄目よね?
餌をあげて、ここよりもっと室温が低くて……尚且氷点下にならない場所へ連れて行った方がいいわよね?
しかも暗いところ……」
「地下の食料庫がいいんじゃないですか?」
「でも、料理長が許してはくれないでしょう?」
「大丈夫ですよ。
籠の中に木の実を山ほど置いておけば、途中でまた起きたとしても、きっと食料庫の食材には手を出さないですよ」
◇
あ~あ。とここでまた僕はため息をついた。
僕だって巣の中には山ほどの木の実の備蓄食料を準備していたんだ。それなのに眠りが浅くて、ちょくちょく目がさめちゃって……
働き過ぎでずっと睡眠不足が続いているうちに、僕は眠りたいのに眠れない状態になっていた。
そしてとうとう半年前に僕は、領地の執務室で倒れてしまった。
でもまさか、シマリスの体に乗り移ってまで、眠りが浅いままだなんて思わなかったよ〜
◇◇
「貴方の体を回復させるにはかなり時間がかかるから、それまで別の生き物に乗り移っててよ〜
何がいい? あっ、ただし、人間以外だよ。
犬でも猫でも牛でも馬でも鳥でもカエルでもトカゲでも……」
「エーッ、あなたはだれですか? 神様ですか?」
「答える時間はないの。早くしないと貴方の命の灯が消えそうだから」
「エーッ、そ、それじゃ、ヤマネかシマリスがいいです」
「どっち?」
「それじゃ、シマリスでお願いします」
「わかった、シマリスね!
キタキツネやクマ、オコジョ、ヘビ、それと、猛禽類には注意してね! 貴方はよくわかっているだろうけど。
もしシマリスのまま死んじゃったら、貴方に体を貸してくれたシマリスも、そして貴方自身も元に戻れないからね〜」
軽い調子で神様らしき人物にそう言われた瞬間、僕は気を失った。
そして気が付いたら子供の頃から遊んでいた森の中だったんだ。
それにしても何故シマリスを選んだのかなぁ〜。
自分でも不思議だよ。
何故か、冬眠する生き物にしようと瞬間的に思っちゃったんだよな。
僕、疲れてたんだよ。本当に。
長男だから、跡取りなんだから勉強に励めと父に言われ、十三歳で学園に入ってから僕はとにかく勉強した。もっとも学園の勉強ばかりしていた訳でもないが、ずっと首席で飛び級までした。
でもそれがまずかったんだよな。最終学年まで後一年になったところで、僕は領地に連れて行かれた。
飛び級をしているのだから、一年休学しても問題はないだろうと。
エンブリー伯爵家の財政が思わしくなく、父上だけではどうにもならなくなって手伝えというのだ。
でも実際は僕と執事のマックスの二人でやる羽目になった。父親は領地経営において全く無能だったから。
こんな状態で今までどうやってきたのかと不思議に思っていたら、生存中は母が、そして母の死後はほとんど執事が一人やっていたという。
執事のマックスに申し訳なくて、僕は必死に仕事をした。
その間無能な親父とその後妻はパーティーだ、趣味の狩猟だ、買い物だと遊び回り、義弟(実は腹違いの兄)は学園でろくに勉強もせずに女の子と遊び回っていたらしい。
マックスには休むように何度も言われたが、このままでは破産してしまうと必死だった。
それに、マックスにこれ以上負担をかけたくなくて、休もうにも休めなかった。
後で考えれば伯爵家が破産しようが困らなかった。自分は平民になっても職につける自信があった。
困るのは父親達だけだ。
だけど、使用人や領民のことを考えるとそんな自分本位なことはできないと頑なに思っていた。
しかし国に領地を返せば新しい領主が治めてくれるのだから心配いらなかったんだよな。
マックスは優秀だから再雇用も可能だったろうし、他の使用人達のことはどうなろうが知ったことではないし。
でも疲弊し、睡眠不足の頭では何も考えられなくなっていたんだ。
とにかく目の前の書類の山をどうにか減らしたい……それだけしか。
そんな朦朧とした頭であの選択を迫られたのだ。
とにかく冬眠する生き物がいい。
まずクマを思い浮かべたが、冬眠する前に皮下脂肪を増やすためにとにかく餌を食べなければならない。
あの体格だ。かなり捕食しなければならないことを考えただけでうんざりした。
それに、途中で目を覚まして餌を探し求める姿がふと思い浮かんで、僕はげんなりした。
森の中では餌を見つけられずに人里に出て、もし猟銃で打ち殺されてしまったら、転移させてくれたクマに申し訳ない。
それで次に思い浮かべたのがヤマネとシマリスだった。
そしてすぐに選べと急かされて、思わずシマリスと言ってしまった。
ヤマネは雑食で面倒だなぁ〜なんて思ってしまったからだ。
しかし、ヤマネならクマと同じで皮下脂肪を蓄えて眠り、春まで目覚めることなくぐっすり眠っていたに違いない。
ウウッ…… 後悔先に立たずだ。
……全ては疲労困憊していたせいだ。そして不眠症になっていたからだ……
主人公が仕事をさせられていたのは領地で、父と継母は王都の屋敷、義弟は学園の寮か王都の屋敷にいます。
ただ祖父の侯爵が孫を引き取りに来た時は、冬休みということで、珍しく他の家族も領地の屋敷に来ていました。