その5
「課長、まさか判子を失くしたんですか」
「とぼけるな、私が判子を捺さないと思って盗って勝手に捺すつもりだろう」
「課長は捺さないつもりなんですか、私がなぜ課長が捺さないと思うんです。負けそうなコンペだったのに、起死回生の手段が見つかったんですよ。確実に勝てそうなんです、課長が捺さないなんて思いませんよ」
「しかし現に……」
そう返事しながらジャケットのポケットに手をいれると、触れるものがある。取り出してみると、印鑑ケースに入った判子であった。
そのまま固まる課長に、千秋ら3人がじっとみる。ばつ悪げに課長は黙って自分の席に戻っていき、今朝と同じように机にうつ伏せになり、両腕で頭をおおった。
その動きをひととおり見たあと、3人は目を合わせ頷きあう。
タネを明かせば課長が千秋に集中している間に、後ろから一色がそっと近づきポケットに戻したのだった。
一色はさっきのお返しとばかりに、千秋にウインクする。それを受けた千秋は小さく投げキッスを返した。
午後3時の休憩になると、いつものように一色がコーヒーを全員の分を淹れようとするが、課長はそれを断り外出する。
「うまくいきましたね」
「なかなかの手際だったわよ、仕事の方はどう」
休憩時間なのに手が止まらない塚本を見る。定時で帰る塚本のタイムリミットまで、あと2時間をきっていた。
「少し時間が足りなさそうですね」
顔色から察した一色は小声で千秋に耳打ちする。
それが聴こえたのか、塚本のモニターに新しいウインドウが現れ、そこに書かれた文字を2人は読む。
“大丈夫です、少しだけ残業します。それで出来ます”
一色が驚愕する。
「えええ、塚本さんが残業!!」
「塚本さん、無理しなくていいのよ」
“大丈夫です、やりたいんです”
返答を打ちながらも書類作りの手も止めない。
鬼気迫るような没頭状態になったので、2人は見守ることにした。
その時、千秋のスマホが震えた。課長が動いたらしい。2人はまずそちらに集中することにした。
やはり課長は、千秋の行動予定と安値の理由を、キジマに伝えていた。しばらくの沈黙のあと、キジマはあとで連絡すると言って通話を切った。千秋もアプリをとじる。
「これでこっちの役割は終わりましたね。あとは探偵さんしだいですね」
「頼むわよノブ」




