その3
「そうだ、今日はもう仕事は終わりだろう。今から香港に行こう、100万ドルの夜景ってヤツを観ながらディナーといこうじゃないか。もちろん泊まりだぞ」
「でも時間が ……、わかりました用意します」
秘書としての仕事意識で、護邸の服の汚れを取り口元の紅をふき取りながら加納は返事をする。
そして自分の席に行き、自分のスマホで飛行機とホテルの予約を取ると護邸に伝え、部屋から出ていこうとするが、護邸が呼びとめる。
「紅を直しておきなよ、加納くん」
加納は真っ赤になり口元を隠しながら出ていった。
新居となった調査資料部はあらかた片付いて、総務の人達は戻っていき、千秋と町屋塩尻の3人は拭き掃除をして、もうひと息で終わるというところだった。
「あ、加納さんお帰りなさい。……どうしたの、顔が真っ赤だけど」
「どうでもいいでしょ、そんなこと。それより引っ越しは終わったの」
「だいたいね。あとは各自の私物を移すくらいかな」
「そう。じゃあ私は失礼するからね。明日からよろしく」
そう言うと加納は足早に去って行く。
「なんか浮き足だってなかったかい」
「デートなんじゃないですか、モテそうですから」
町屋塩尻は口々にそう言いながら時間を見る。
「部長さん、我々もそろそろ帰りますね。明日からよろしくお願いいたします」
こちらこそと応えて千秋は2人を見送った。
誰も居なくなった部屋で千秋は窓からの外を観る。景色がまるで違う。場所が変わったからではなく、自分の心が変わったからだろう。
「なにか目標を持ちなさい」
昨夜の蛍の言葉が思い出される。本当にそうだな、ライフワークっていうのかな、それが有る無しでこんなにも人生が変わるんだなと千秋は感じていた。
その時、内線が鳴った。
千秋が受話器を取ると、町屋からだった。
「ああ部長さん、まだ居て良かった。一色さんと塚本さんでしたっけ、お二人が資料室に来てます」
「ああそうか、引っ越ししたこと知らないんだった。迎えに行くからそこで待ってて、と伝えてください」
町屋は了解すると通話を切った。千秋は資料室まで行くと廊下で待っている2人に声をかける。
「ごめんね、引っ越しが急に決まっちゃってね。新しい場所に案内するわね」
新居に向かう途中、そういえば経理の仕事はどうなったのと千秋が訊くと、
「ほぼほぼ終わったところで、もと部長の1課長が塚本さんに残業するように言い出しまして、ちょっと揉めたんです」




