僕っ娘？
現実味の無い悪夢、そんな光景が今、俺の目の前で起こっていた。
朝の通学途中の電車の中、いつもと変わらぬ日常が、非日常へと一変した。
電車内に現れたフードを被った異様な男。
そいつが突然、俺の向かい側に座っていた外国人の親子を、懐から取り出したナイフで襲いかかった。
電車内に飛び交う悲鳴。
母親らしき女性は血の海に倒れ、男は次の標的へ向き直る。
隣に座っていた、帽子を被った外国人の男の子に……。
向かいに座る俺は、この地獄絵図の様な状況の中で何もできず愕然としていた。
逃げればいい。
この子を囮にして、その場から脱兎の如く。
今なら逃げれる。
だけど……無理だった、俺には逃げるなんてできない。
正義感？ いや違う。
困った人を放っておけない、爺ちゃん譲りの損な性格。
不意に、フードを目深く被った男が、持っていたナイフを振り上げる。
瞬間、俺は手を伸ばす。
どこに？
男が持っているナイフにだ！
俺は席から立ち上がり、ナイフ目掛けて飛び掛かった。
だが、フードから僅かに覗き見る男の鋭い目と、一瞬目が合った。
即座にナイフが軌道を変え、鈍く光る刃先は俺へと向きを変えた。
「嘘だろ……！？」
次の瞬間。
激痛、悲鳴、眩暈。
同時に起こった様々な感覚に、俺の頭の中は真っ黒に塗り替えられてゆく。
薄れ行く意識の中で最後に見たのは、悲痛に泣き叫び、俺にとびつく男の子の顔だった。
綺麗な顔だと俺は思った。
男の子にしておくには勿体無い。
こんな時に、そんなアホな事をふと思いながら昏倒していく。
そして、ゆっくりとスローモーションの様に、世界は一変するのだった。
「痛っ……！？」
余りの激痛に、俺は顔をしかめながら目を覚ました。
痛いのは右胸辺り。 思わず手で押さえる。
違和感を感じた。
服を着ていない？
いや、正確には包帯が巻かれていた。
しかも見知らぬベッドの中で、俺は横になっていた。
「包……帯？」
「目が覚めたんですね、良かった！」
「え？」
声のほうに振り向くと、そこには何やら見覚えのある顔が……。
ベッドの脇に腰掛け、俺の顔を心配そうに覗き込む人物。
あの時の少年だ。
何で？じゃあまだここは電車の中！？
「お、落ち着いて！ここはあの電車とか言う乗り物の中じゃありません！」
「えっ？ 痛たたたっ！」
右胸がやばいくらいに痛い。 過去に骨折の経験はあるがそれとも違う、焼け付くような痺れ。
男の子はベッドから起き上がろうとした俺を制止すると、懇願する様な顔で、
「まだダメです！」
と、必死に訴える。
本当に可愛い顔をしている。
可憐な少女の様な……ん？少女？
いや、この子は男の子じゃ？
途端に頭が混乱してきた。
ふと、周囲に違和感を感じた。
助けようとした男の子は今目の前にいる。
なのに……ここは見たことも無い場所。
少なくとも病院じゃないのは確かだ。
木造の建物。
電灯はない。
代わりにあるのは、部屋を暖かく包むような明りを灯す、年期の入ったランプだ。
部屋の内装は洋風。しかも近代的ではない。
むしろ年季を感じる暖炉らしきものまであった。
「安静にしてないとダメですよ？ 今から食事を用意しますから」
そう言って男の子は立ち上がると、スカートの裾を軽く持ち上げ、俺に向かって会釈した。
ん？スカート？
「えっ？お、女の子！？」
「はい？」
そう言って男の子？は、小首を傾げて不思議そうな顔。
キョトン、とした顔がすごく可愛らしい。
「え、えと、僕の事ですか？」
「僕？ あ、やっぱり男の──」
「はい？ぼ、僕は……女の子……ですけど」
「ええっ僕っ娘！？」
お、女の子だったのか。
いや、でも確かに、声も低くないし普通に考えれば……いやでも、ほら、外国人の男の子って凄く綺麗な顔した子とかいるし……。
「ご、ごめん！髪も短かったし、帽子被ってたから……ふ、服装も男の子っぽかったからからつい……。あっ、でも顔は可愛いし迷いはしたんだよ、本当に、は、はは……」
苦笑いで言い訳をする俺に、少女は気恥しそうに、くすりと小さく笑みをこぼした。
可愛らしい、小さな花が咲いたかのような笑みだった。
思わず見とれそうになる。
確かによく見れば女の子だ。
藍色がかったショートカットの髪に、宝石みたいに愛くるしい大きな瞳。
見た目は幼さそうに見えるけど、柔らかそうな薄いピンクの唇は、どこか大人びて見え……。
「あの、僕の顔に何かついてます？」
「うおわおっ！？」
気が付くと少女の顔が目と鼻の先にあった。
高校二年生、自慢じゃないが彼女いない暦＝生きてきた人生に比例する。
よってこういうシチェーションに余り耐性はない。
いや皆無だ。
「いやその、可愛い子だなと……あいや別に深い意味じゃ！」
何を言ってるんだ俺は。
慌てて言い訳をしてしまったが後の祭りだ。
「そ、そんな……あの、私食事をお持ちしますね、お、お話はまた後で」
少女はそう言うと頬をほんのりと赤く染め、恥ずかしそうに小走りで部屋を出て行った。
ん？何だ今の反応は？
呆れられると思いきやあの反応では、俺も少し恥ずかしくなる。
痛む右胸をさすりながら、俺はしばしベッドの中に潜り込み、忘れていた痛みと戦いながら、悶々と考え込んだ。
