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007 世界にとって都合の悪いエゴイスト

 



(何が……起きたんだ……?)


 操縦席前面に映し出される空を見ながら、ザッシュは唖然とする。

 反応できなかった。

 というより、ほぼ見えなかった。

 辛うじてガラテアの背後にある魔法陣の色が赤に変わったことだけは確認できたが、それ以上のことはなにも。


(いや――落ち着け俺。仮にあいつがどんな力を使ってきたとしても、俺を倒すことなんてできるわけねえんだ。虚勢こそが真なり(リアライゼーション)を発動させる。そして“四肢が切断された”という事実をプリムラに押し付けるんだ)


 自らの能力に対する絶対的な自信。

 それが、戦場においてもザッシュが冷静さを失わない理由だった。

 そして彼はプリムラにも聞こえるよう、高らかに言い放つ。


「俺のドールは五体満足、手足をもがれたのはプリムラのドールだ!」


 その宣言により、すぐさま能力は発動する――はずだった。

 通信越しに彼の声を聞いたプリムラは、にやりと笑う。

 結局、そのままヘスティアの手足は戻ることなく、吹き飛ばされた勢いそのままに地面に叩きつけられた。


「ぐあぁぁぁあっ! な、なんだ……なんで発動しねえっ! もう一度――俺のドールは五体満足、手足をもがれたのはプリムラのドールだ!」


 虚しくザッシュの声が響く。


「くくっ……」


 笑いを堪えきれず、プリムラの喉が震えた。


「なにを笑って……うわぁっ!?」


 ヘスティアの操縦席内が激しく揺れた。

 ガラテアが、投げ出された胴体を踏みつけたのだ。

 見下ろす赤いドールは、ザッシュから見ればまさに鬼そのものである。


「くくく……あははは……っ!」

「クソッタレが、このぐらいで勝ち誇ってんじゃねえぞ! 発動しろ! 早くあいつの手足を消し飛ばせ、ヘスティアッ!」


 どれだけ彼が叫んでも、ヘスティアはうんともすんとも言わない。

 手足が無いためにわかりにくいが、それは能力に発動に限った話ではない。


「制御できてねえのか……? なんだよこんなときに! 動けっ、動きやがれヘスティアっ、この役立たずがぁっ!」

『あなたに役立たず呼ばわりされる謂れはないわ』


 どこからともなく聞こえてくる、棘のある少女の声。

 ザッシュの動きはぴたりと止まった。


「な、なんだ? 女の声……? どこだっ、どこから!?」

『すぐそこにいるわ、ここ最近はずっとね』

「わけのわかんねえことをっ! お前もプリムラの仲間か? いや、この幻聴自体がプリムラの攻撃だっていうのか!?」

『はぁ、物分りの悪いやつね』


 しびれを切らし、彼女はザッシュの前に姿を表すことにした。

 宙に浮かぶ、白い衣を纏った、茶色い髪の幼い少女。

 その外見を見てもなお、それが誰なのか、何者なのかザッシュにはわからない。


「こういう言い方も奇妙なものだけど、“はじめまして”ザッシュ」

「う……うわあぁぁぁぁっ! ゆ、幽霊? いや、やっぱり俺は攻撃を受けて――」

「幽霊じゃない。私はヘスティア、あなたと約定を結んだアニマよ」

「は……?」


 あんぐりと口を開いたまま固まるザッシュ。

 彼はそのまま首を横に振ると、ヘスティアの言葉を否定する。


「ヘスティア……だと……!? ふざけるなよ、アニマが自我を持つはずがないだろうが!」


 ザッシュの適性指数は160。

 理論上、アニマの人格が表に出てくることはない。


「でも現実として、こうして私とあなたは話しているわ」


 ヘスティアは淀みなく言い切る。

 そう、それが現実だった。

 ザッシュの指数がどれほど低かろうと、ヘスティアのアニマは完全な形でこの世に顕現した。


「プリムラ……お前がやったのか?」

「くく……さあ、どうだろうなァ。わたしがやったかもしれないし、ザッシュの秘められた力が目覚めて、指数が急上昇したのかもしれねえ」

「誤魔化すんじゃねえッ! 言えよ、なにをしやがったァ!」


 ヘスティアが現れるという現象とは別に、ザッシュは自分の体にいい知れぬ違和感を覚えていた。

 変化の存在はわかる。

 だがそれがどこに生じた変化で、どういう風に変わっているのか、まったくわからないのだ。

 プリムラは“やれやれ”といった感じで解説をはじめる。


「まあ、あえて説明してやる必要も無いが、聞かせてやるよ。まずヘスティアが姿を現した件についてだが――そうだな、ドール乗りらしく“身勝手な許容エクストラクトエゴイズム”とでも名付けておくか」

「名前なんてどうでもいいからとっとと説明しやがれ!」

「ふっ、要するにアニマの器をわたしからお前に一時的に分け与えたんだ」

「アニマの……器を……? んなことできるわけがねえ。人に分けられるほどお前の指数は高くなかったはずだ!」

「その値は、信じるに足るものか? 仮にわたしに、操者としてとてつもない才能があったとして――わたしを消したがる連中が、その結果を残しておくとは思えないよなぁ?」


 嘘なんて、いくらでもあった。

 それこそ事件のときからずっと、プリムラの周囲は彼女に都合の悪い嘘で溢れていた。


「本当は最初から……優秀な操者だったってことか……?」

「まあ、そういうこった。でだ、別にわたしはザッシュとヘスティアのおしゃべりが見たくてこんなことをしたんじゃねえ。なあヘスティア、ちょっと聞きたいことがあるんだが――」

「なによ」


 ぶっきらぼうに答えるヘスティア。

 不機嫌というより、彼女は普段からそういう喋り方なのだろう。


「ザッシュのこと、どう思ってる?」

「嫌い」

「ふっくくく……即答かよ。どうしてそんな嫌ってるんだ?」

「こいつがしたこと、今までずっと見てきたから。自然と嫌いにもなるわよ」


 学園に入学し、彼のアニマになってから一年弱――その間、プリムラに対してだけではなく、ザッシュはあらゆる弱者に悪意を振りまいてきた。

 正確には彼自身ではなく、彼の手下とでも呼ぶべき取り巻きだが、自分が罪を背負わなくていいように立ち回るその卑劣な姿は、ヘスティアに嫌悪感を抱かせるには十分だったのだろう。


「そうかい、なら一応確認しておくが――」

「ガラテアのことも嫌い。というか、あいつのこと好きなやつなんていないと思うわ」

「あはははは! やっぱりそうか、そうなるよなぁ」

「ねえプリムラ、こっちからも聞いていい?」

「どうぞ」

「あなたはガラテア? それともプリムラ・シフォーディ?」


 その問いに、プリムラは少しだけフリーズした。

 なるほど、確かにそれは周囲からしてみれば疑問かもしれない。

 口調も変わり、性格も変わった。

 今まで彼女を虐げてきたザッシュを逆に追い詰める様は、もはや別人と言っても過言ではないだろう。

 だからプリムラは、きっぱり言い切る。


「わたしはプリムラだ、それ以外の何者でもない」


 さらにそれだけでは不十分だと思ったのか、彼女は言葉を続けた。


「わたしはあいつほど無意味に外道になるつもりはないんだよ。ただ、自分の目的を果たすために、ガラテアの一部を利用させてもらっているだけだからな」

「……そう」


 ヘスティアは少しだけ考えてから、結論を出した。


「なら、乗るわ(・・・)

「乗る……?」


 当事者であるはずの自分を置き去りにして進んでいく会話に、焦りを覚えるザッシュ。

 まったく意味はわからなかったが、良くないことが起きようとしてる――それだけははっきりとわかった。


「あなたが私をこの姿にしたのは、そういう目的(・・・・・・)でしょう?」

「まあな」

「お、おい待てよ、俺を放置して勝手に話を進めんじゃねえ!」


 どんなに大きな声をあげても、プリムラはもはや答えることはなかった。

 もはや――というより最初から、ザッシュが抵抗しようが激怒しようが悲嘆しようが、どうでもいいのだ。

 結果は、今日までの積み重ねによりすでに決定している。


「ならば始めようか。少々強引な術式になるが、安心しろ、痛みは無い」


 ガラテアは見せつけるように、胸の前で手のひらを開く。


「スペルキャスター、補助術式設定――三重増幅(トリプルゲイン)


 よく見てみれば、ガラテアの右腕は、前腕が半透明になっていた。

 そしてプリムラの宣言と同時に、その内側に三つの魔法陣が浮かび上がる。


 例えば攻撃魔術を発動するとして、対フォークロア、あるいは対ドールの場合、相手が大きいため、相応の魔力を注ぐ必要が出てくる。

 賢者を名乗るだけあり、ガラテアの魔力量は相当なものだが、それでも出来る限り使用量は抑えたいもの。

 そのためにガラテアの右腕に搭載されたのが、この“スペルキャスター“だった。


 魔術発動における最大のネックは、複雑かつ繊細な魔法陣の生成。

 今のプリムラにとっては容易ではあるが、しかしこの手順を省くことができれば、さらなる魔術の威力向上が望める。

 そのために彼女は、シナプスネットワーク上に魔法陣を前もってアップロードしておいたのだ。

 それを呼び出し、魔力を注げば、魔術が発動する。

 もちろん、ただそれだけではなく魔術への理解が必要となるが、しかし神話の時代における魔術に比べてかなりの手順を省略できる。

 いわばこれは、“現代魔術”とでも呼ぶべき革命であった。


 腕の中に浮かび上がる三つの魔法陣は、“魔力増幅”の効果を持つものだ。

 その分だけ安定性は損なわれ、ノイズも増えるが、それは魔法陣の生成を省いた分、浮いた思考のリソースを魔力の安定に注げばいいだけのこと。


「この魔術は、互いの了承があってはじめて成立する。ヘスティア、お前はわたしの提案を受け入れるか?」

「もちろん。こんな奴の中で暮らすのはもうまっぴらだわ。あなたなら……まあ、まともではないけど、少しはマシになるでしょ」


 まともではない――その言葉に、プリムラは「ふっ」とかすかに笑った。

 嬉しかったのだ。

 そうありたいと望んで、他人から見てもそう振る舞えている自分が。

 劇薬(ガラテアの人格)を取り込んでよかった、と心から思う。


「条件は揃った。契約の書き換え(リライト・プロトコル)を実行する」


 右掌の前に、白い魔法陣が浮かび上がる。

 腕の中で光る“増幅(ゲイン)”の魔法陣とは複雑さが段違いだ。

 これを、魔法陣が記された魔導書も無しに即興で描こうとすれば、かなりの集中力が必要となるだろう。

 しかし今は、シナプスネットワークより呼び出すだけだ。


「書き換え……? まさか、プリムラお前っ!? やめろ、それだけはやめてくれっ、負けでいい! 俺の負けでいいからっ!」


 ザッシュはようやくプリムラの意図に気づいたようだが、もう遅い。


「誰かっ! 艦長、アリウム、ボタンちゃんっ! 他の奴でもいい、こいつを止めろ! 決闘は終わりだ! 俺の負けだあぁぁぁぁああっ!」


 彼は叫ぶ。

 プライドもへったくれもなく、無様に、ただただ無様に。

 プリムラは最高の気分だった。

 それが見たかったのだ。

 自分を虐げて苦しむ姿を見て笑ってきた連中が、自分と同じ――いや、それ以上に苦しんでくれる姿が。

 口角は釣り上がり、噛み合わせた歯がギリ……と音を鳴らす。


 復讐など無意味だとか、なにも生まないという綺麗事をよく聞くが、プリムラは『そんなものは間違いだ』と断ずる。

 これが過ちだというのなら、味わってみろ。

 親が殺人鬼になる悲劇を。

 犯人が死んだからといって全ての罪を押し付けられる苦しみを。

 大切な人から裏切られる辛さを。

 味方なんて誰もいない世界で窒息しそうになりながら生きなければならない地獄を。


 お前は虫入りの弁当を食わされた覚えはあるか?

 授業中に髪を剃られて(・・・・)生徒どころか教師にもゲラゲラ笑われた記憶は?

 裸にされて笑われた挙げ句にひたすら蹴られたことは?

 左腕を持ち上げられて、そのまま潰されたことは?


 無いのだ。

 プリムラと同じ経験をしたことがある人間で、なおかつ生きてる(・・・・)人間なんて、そうそう存在しない。

 そこまで行くと、周囲の人はなかったことにして封殺するし、被害者も絶望して自殺して何年後かにはなかったことになっている。

 そんなものだ。

 それぐらいしか感じない人間が――善人面して『復讐の過ち』を指摘する。


 今だってそうだ。

 ロクス・アモエヌス、艦橋――ザッシュの叫びを聞いた艦長は、通信でプリムラに呼びかける。


「試合終了だ! 勝者はプリムラ・シフォーディ! 両者、ただちに戦闘行為を終了せよ!」


 一年生でクラスCまで上り詰めた将来優秀な金の卵を失うわけにはいかない。

 なにより彼からしてみれば、プリムラが生きてコロニーに戻ることなどあってはならないことに違いない。

 だから艦長は、いつになく必死だった。


「プリムラ・シフォーディ、聞いているのか? 決闘外でのドール同士の戦闘は明確な違法行為だぞ!?」

「そう言われても、一度発動した魔術は止まらないんだ」

「ザッシュくん……」


 ボタンにとっては、ザッシュも自分の生徒だ。

 彼女は不安げに胸の前で両手を握る。


「くっ……アリウム・ルビーローズ、あのドールを止めろ!」

「無理です……もう、間に合いません」


 アリウムとて、助けられるなら助けたかった。

 なにせ彼女は正義の人だ、手足をもがれた時点で試合は終わっているのに、追い打ちをかけようとするプリムラを止めないはずがない。

 だからアリウムがそう言うということは、もはやどうにもならないということだった。


 腕に注がれた魔力が増幅(ゲイン)する、増幅(ゲイン)する、増幅(ゲイン)する――

 契約の書き換え(リライト・プロトコル)は、あらゆる“契約”を力ずくで改変するという、魔術による現実改変の極致である。

 無論、消費する魔力も膨大だ。

 いくらガラテアの魂を得たと言っても、それだけの魔力を用意するのは容易ではない。

 そのために増幅が必要だったのである。


 そして魔法陣から、輝く腕が伸びる。

 それはヘスティアの装甲を通り抜け、直接ザッシュに触れた。

 ずぶずぶと沈み込んでいく指。

 肉体に触れているのではなく、そこに刻まれた情報を探っている。


「お……おぉ……おごっ……」


 確かにプリムラの言ったとおり、痛みは無かった。

 だが、内臓をかき回されているような気持ちの悪い感覚が、延々と続く。

 たっぷり数秒かけてザッシュの中を探ったそれは、ついになにかを見つけ、つまみ上げる。

 ズルゥッ――と引き上げられたのは、一枚の紙だった。

 “契約書”である。

 浮かび上がるその書類に向かって、魔術により生み出された腕は人差し指を伸ばし、なにかを書き換えた。


 直後、ザッシュのドールに変化が生じた。

 色は灰色から白へと。

 女神ヘスティアを象徴するような外見は、のっぺりとした地味な姿に変わっていく。

 最後に残ったのは、紛れもなく――ブランクドールであった。


「あ……あぁ……俺のドールが……ブランクに……嘘だ……嘘だぁ……嘘だあぁぁぁああああっ!」


 悲痛な叫びが響く。

 艦橋やテミスの操縦席でその様子を見ていた者たちは、言葉を失う。

 一方でプリムラにとってそれは、心地の良いBGMのようなものだ。


「よろしくな、ヘスティア」


 上機嫌のまま、彼女は自分のもとにやってきたヘスティアに声をかける。

 対するヘスティアは、少し不満げだ。

 いくら嫌いな相手とはいえ、ああも絶望されると気分はあまり良くないらしい。


「……中にあのガラテアがいるっていうのが引っかかるけど、よろしくプリムラ」

「ガラテアのこと知ってるのか?」

「同じ時代に生きてたんだもの。ところでその口調、似合ってないと思うからやめたほうがいいんじゃない?」


 歯に衣着せぬ物言いに、頭をかくプリムラ。


「そうしたいのはやまやまなんだが、ドールで戦ったりしてると勝手に口調が変わるんだよ……ねぇ」


 彼女は不評だったことを気にしてか、意識して、強引に元の口調に戻した。

 それでもヘスティアは怪訝そうな表情でプリムラを観察していたが――もう契約は書き換えられてしまったのだ、今更気にしてもしょうがない、と考えたのか、それ以上は追及しなかった。


「嘘だ……嘘だ……俺のドールがブランクに……? そんなわけねえ、これは夢だ……悪い夢だ……ヘスティアっ……あれを使うぞ、虚勢こそが真なり(リアライゼーション)だ! さあ、発動しろぉおお!」


 その間も、ザッシュは嘆き続けた。

 自分がプリムラと同じ、アニマ無しになったことを信じたくないのだろう。

 そんな彼の乗るブランクドールに、ガラテアは手を伸ばした。

 するとロクス・アモエヌスから艦長が警告する。


「プリムラ・シフォーディ、それ以上の接近を禁じる」

「心神喪失状態のため、ザッシュ・エディアンをドール内より回収します」

「信用できんな、とにかくそのまま待機しろ。回収はアリウム・ルビーローズに任せ……ん、なんだ……ノイズが……っ!」


 急に映像と音声が乱れだす。

 ガラテアの背後にある魔法陣は、黄色に変わっていた。


「ネットワーク障害発生、ガラテアとの通信が途切れます!」

「目視できる距離だぞ、そのようなことがありえるはずがない! テミスとの通信はどうだ!?」

「こちらも障害で繋がらないようです」

「くっ……ロクス・アモエヌス、緊急着陸だ! あの女がザッシュ・エディアンになにをするかわからん!」


 巨大戦艦は急降下を始める。

 これが杞憂であればよかったのだが――艦長の嫌な予感は的中していた。

 ガラテアはブランクドールの装甲を力ずくで外し、生身のザッシュと対面する。


「プリ……ムラ……」

「よう、ザッシュ」


 プリムラは、笑っている。

 まだやるべきことは終わっちゃいない。

 確かにアニマは奪ったが、それだけなのだ。

 彼にはまだ自分が味わってきた苦痛の1%だって理解していないのである。

 このまま解放すれば、なんだかんだでまた似たような過ちを犯すだろう。

 だからこれは――必要な修正(・・)だった。


「前は逆の立場だったよな。あのとき、わたしはザッシュに左腕を潰された。とにかく痛くて痛くて、アニマの力を手に入れた今もずっとじくじく痛むんだよ。たぶんこれが治らないのは、精神的な影響もあると思うんだよ」


 気分が高揚しているせいか、プリムラは荒い口調に戻っている。


「この傷は、お前を同じ目に合わせることでしか癒えない」

「や……やめろ」

「わたしがやめろって言ってやめてくれたっけ? あぁ大丈夫、殺したりはしないから。ザッシュは、戦いの途中で偶然にも腕を負傷した、ただそれだけのこと」

「そんなもんが通ると思ってんのか!?」

「そりゃあお前……どう証言するか次第だよな」


 暗に、『ここで起きたことは言うな』と強制する。

 これまでプリムラの言葉を誰も受け入れなかったように、彼にも“悔しいけれど飲み込む”という経験をして欲しい――そんな彼女の優しさ(・・・)である。

 そう、彼女はザッシュを、少しでもまともな真人間にしたいと思っているのだ。


「いや、まあ、腕だけじゃなくてさ、もっと苦しめることもできるし、学園に戻ったあとだって今のわたしがアニマ無しのザッシュに負けるわけがない。だから、どうとでもなる(・・・・・・・)

「どうと、でも……」

「そう、お前たちがこれまでわたしにそうしてきたように」


 そう言って、ガラテアはザッシュの左腕をつまみ、持ち上げた。

 ただそれだけでも、自分の体重全てが左腕にかかるのだ、それなりに痛いはず。

 彼の目に涙が浮かび、手足をばたつかせる。


「あ……ああぁっ……ひ、ひいぃっ、やめっやめえぇぇぇっ……!」

「ははっ、“やめーっ”ってなんだよ女の子みたいな声出しやがって」


 プリムラはしばらくその状態のまま、泣きわめくザッシュを観察した。


「うわ、ズボン濡れてきたし。わたしだって漏らしたりはしなかったけどなぁ」

「も、もう……十分だろう。ゆるしっ、ゆるしへっ……」

「やなこった」


 冷たく言い放ち、ザッシュの体を軽く揺らす。

 それはドールにとっては“軽く”だったかもしれないが、人間にとっては大きな揺れ。

 しかも全ての重みが左腕にかかるのだ。

 ぶちっ、ごりゅっ、と嫌な音が体内から響いた。


「はっ、ぎゃあぁぁああああああああああ!」

「あはははははははははは! 楽しいなあ! ずるいよザッシュ、今までずっとこんな楽しいことを一方的にやってきたなんてぇ!」


 荒野に、ザッシュの叫び声とプリムラの笑い声が轟く。

 ヘスティアはいたたまれなくなり、目を背けた。


「プリムラ、なにをしてる。やめろ、プリムラ!」


 ガラテアにテミスから通信が入る。

 これまで傍観していたアリウムは、プリムラに呼びかけながら高速で接近してきた。


「アリウムちゃん、ザッシュを助けるの?」


 アリウム相手だから、意識的に口調を戻すプリムラ。


「当然だろう!」

「わたしのことは見捨てたくせに」

「そ、それは……」


 アリウムはうろたえ、テミスは足を止める。

 それは彼女にとってのトラウマだった。

 もっとも――プリムラのほうが、よっぽど辛い思いをしたのだが。


「あと半端に手出ししたら、間違えて殺すかもしれないから大人しく見ててくれよ」

「あ……あひ……もう……もう、じゅうぶ……」


 持ち上げられたザッシュは、息も絶え絶えだ。

 だがプリムラはここでやめたりはしない。


「は、十分? なに言ってんだよお前。お前がわたしにやったのって、体を揺らすだけか? 違うよなぁ? 腕は潰すし、何年も何年も、わたしの体や心に、絶対に消えない傷を負わせてきた。これさ、殺しても足りないぐらいの罪だと思うんだよ」

「ちがう……そこまでじゃ……」

「わたしもずっとそう言ってきたはずだよな。でも、誰も許してくれなかった。だったらわたしがお前を許す道理なんてねえよ」


 ぶちゅっ――左腕が潰れ、骨まで砕ける。


「あ……がっ、か、ひぎいいいいぃいいいいっ!」


 ひときわ酷い叫びが響いた。


「自業自得だ、ザッシュ」


 だからプリムラは今度は右腕を掴んで、そのまま潰した。


「ぐっ、ぎっ、ぎひいいぃいぃ!!」

「あっはははははは! どうだ、少しはわたしの気持ちがわかったか? わかったならとりあえずさ、“ごめんなさい”って言っとけよ。そしたら今日は(・・・)許してやるから」

「っ……ぐううぅ、、だずげっ……だれが、だず……っ!」

「言えって言ってんだよ!」


 もう潰すべき腕はない。

 だから今度は足をつまんで――と動いたところで、プリムラは大きな衝撃を感じた。


「ぐぅ……っ!」


 傾くガラテア。

 テミスが体当たりしてきたのだ。


「プリムラ、そこまでだ!」


 バランスを崩すついで(・・・)に、ガラテアはザッシュの体を雑に投げ捨てた。

 高さは五メートルほどだろうか。

 地面に着地すると、彼の足はありえない方向にぐにゃりと曲がり、そして顔面から荒れた大地に激突する。


「あーあ」

「ザッシュ!?」

「アリウムちゃんのせいで、傷が増えちゃったね。あははっ」


 笑うプリムラ。

 その口調は紛れもなく彼女のものだ。

 だが同一人物とは思えない“悪意”が込められていた。


「お……お前は……本当にプリムラなのか……?」

「なにそれ。自分にとって都合の悪い存在だと急にわたしはプリムラじゃなくなるの? ばっかじゃないの」


 プリムラは心底軽蔑しながら吐き捨てる。


「そうだよ、これがわたしだよ。わがままになるって決めたわたし。別に急に変わったわけじゃなくて、今までずっと奥に押し込めてきたものを表に出しただけ」

「プリムラ……」

「なにその悲しそうな声、やめてよ気色悪いから」

「私の……私の知っているプリムラは……!」

「ねえアリウムちゃん、さっきからわたしと親しいですよー、みたいな雰囲気で喋ってるけどさ」


 表情から、薄ら笑いすら消える。

 そしてプリムラは、聞くだけで寒気がするほど冷めた声で、嘘偽りない本心をアリウムに伝えた。


「わたし、誰よりもアリウムちゃんのことを一番に恨んでるから」


 アリウムは――心のどこかで、『今もプリムラが自分を親友だと思っているんじゃないか』と考えていた。

 もちろん心の隅の隅にある小さな破片ではあるが、しかし、それにすがっていた部分もあったのだ。

 誰よりも大事な従姉妹で、親友だから許される。

 だがそんな甘えは、プリムラの言葉で完全に砕け散った。

 無力感に立ち尽くすテミスの横を、ガラテアが通り過ぎていく。

 肩を掠めるほど近くにいても、その距離は誰より離れているように感じられた。




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