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042 歪曲異形アニマディストーション




 学園の格納庫にて発生した爆発事故。

 軍警察が機能していないものの、その音に導かれ、野次馬たちが集まってくる。

 すでにドールの複製は終わったのだ、ここに用は無い。

 セイカとディアナはドールから降り、ルプスたちとともに注目を集めてしまう前に格納庫をあとにした。


「信じられません……あんな風に、人間が爆発するなんて……」


 ボタンは、腐っても同僚であったクリフが目の前で爆ぜたことで、大きなショックを受けている。

 成り行きで行動を共にすることとなった彼女だが、その動揺度合いを見て、ルプスは眉をひそめた。


(その割には落ち着いてんな……)


 決して驚いていないわけではない。

 だが、目の前で人がいきなり爆発した割には――そう思ってしまうのは、刑事の性だろうか。


「それにしても、これからどうしましょうか。ザッシュを探そうにも手がかりが無いわ」


 ヘスティアの言葉にハデスは気だるそうに答える。


「しらみつぶしで探していくしかないのかなー」

「効率悪すぎ。適当な教団員を探してきて死なない程度にいたぶれば話してくれるんじゃない」

「ディアナは相変わらず大胆ね……」

「だがそうは甘くねえだろうよ。教団員は今や生きる爆弾だ。どれだけぶん殴ったって、死ぬ覚悟を決めてる奴には通用しねえもんだ」


 むしろ、爆発に巻き込まれる危険性がある。

 となれば、ハデスの言っていた通り、しらみつぶししか無さそうだが――


「どうやら、私たちが探し回る必要は無いようですよ」


 セイカは、送られてきたメッセージを見ながらそう言った。


「どういうこった」

「フィエナさんから連絡がありました。ザッシュの居場所がわかったかもしれない、だそうです」

「フィエナって……ラスファさんのお姉さん、よね」


 ボタンの言葉に、「ええ」と相づちをうつセイカ。


「教団を撹乱するために、ドールに乗って飛び回ってたんだよねー。どうやってザッシュの居場所を調べたんだろうねー」

「本人に聞いてみればわかるわよ、ハデス」

「……だな。早速向かうか。指定場所はどこだ?」

「アトカー邸の割と近くですね」


 一行がそちらに視線を向けると、ちょうど目的地に純白のドールが降り立つところであった。




◇◇◇




 急ぎ、シャトルに乗ってフィエナの元へと移動するルプスたち。

 フィエナはドールから降りると、彼らを迎えた。


「急に呼び立ててしまって申しわけありませんわ」

「いえいえ、囮までしてもらった上に、ザッシュの居場所まで調べてもらってたなんて、頭が上がりませんよ」

「彼のことを調べていたのはわたくしではありません」

「じゃあ、誰なんです?」


 首をかしげるセイカに、フィエナは少し気まずそうに答えた。


「父様、ですわ」


 聞いていたルプスの眉がぴくりと反応する。


「おいおい、つまりカークス・デルフィニアからもたらされた情報ってことか?」

「その人って、教団の一員なのよね」

「その通りですわ、ヘスティアさん。ですが、今回はドールや人工アニマを勝手に持ち出された被害者でもありますし、少なくともラスファが今ここで巻き込まれることに関して、父様はよく思っていないはずですから」

「スペアの臓器に死なれちゃ困るってことかよ」

「姉もだけど、あの父親も死んだほうがいい」


 ディアナの容赦ない言葉に、フィエナは唇を噛む。

 不穏な空気が広がる中、それを払拭するように、セイカは大きめの声で会話に割り込んだ。


「今はそんなこといいじゃないですか! とにかく、この屋敷にザッシュがいるんですね?」

「大量のオリハルコンが、デルフィニアインダストリーから秘密裏に流されていることがわかったそうです」

「ドールじゃないんだねぇ。つまりー、屋敷の地下で、一からザッシュ用のドールを作って組み立てたってことぉ?」

「目で見て確かめりゃわかることだ。早速だが行くぞ」


 ルプスは門の鍵に銃口を向けた。

 しかしフィエナがそっと手を添えてそれを止める。


「んだよ、こっちのが手っ取り早いだろ」

「その必要はありませんわ。はい、これを」


 フィエナはルプスにカードを手渡した。


「こりゃあ……何だ?」

「父様から渡されたものですが、デルフィニアインダストリー製のロックなら全て解除できる魔法のカードですわ」

「……そんなもん作っていいのかよ」

「非常事態ですので。わたくしは、外でアルテミスに乗って待機してますわね。内部でドールを発見したら連絡をください。矢で撃ち抜いて、破壊してみせますので」


 フィエナがドールに乗って待機するのなら、外部から例の人工アニマや、マリオネット・プロトコルに侵された何者かが襲ってきても対処できるだろう。

 ルプスは安心してカードをかざし、開いた門から内部へと侵入する。

 セイカ、ヘスティア、ハデス、ディアナが彼に続き、最後に残されたボタンも、戸惑いながらも屋敷に足を踏み入れた。




◇◇◇




 玄関をすぎると、ルプスはその場で足を止める。

 セイカも同様の違和感を覚え、彼の後ろで立ち止まった。


「……人の気配がしませんね」

「ああ、それに嫌な臭いがしやがる。ここに住んでる議員が教団絡みの人間ってことは間違いない――つうことは、命を粗末にできる馬鹿野郎ってこった」


 ルプスは怒りを隠しもせずに、そう吐き捨てる。

 そして銃を構えたまま再び前進して、廊下の先にある扉を開いた。

 先にあるのは広いリビングだ。

 天井は高く、家具や家電も上等なものが揃っている。

 掃除も行き渡っており、本来ならこんな生臭い匂いがするはずのない空間だろう。


「ひっ……」


 ボタンが引きつった声をあげる。


「殉教者って言うんですかね、こういうの」

「違うだろ、ただの阿呆だ」


 セイカとルプスの視線の先にあったのは、議員とその妻と思われる死体だった。

 二人は自らの頭を銃で撃ち抜き、倒れ込んでいる。

 血の色はまだ新しく、おそらくはルプスたちがここに踏み込む直前に命を絶ったものと思われる。


「おいフィエナとやら」


 ルプスはネットワーク通信で、外にいるフィエナに話しかける。


『どうしましたか』

「あんたの父親が情報を流したこと、あっちも気づいてるぞ」

『父もそうだろうとは言っていましたわ。ネットワークを経由する以上、彼女(・・)からは逃げられない、と。その彼女が誰かまでは教えてもらえませんでしたが』

「サクラだ」

『どなたなのですか、それは』

「プリムラのオリジナルらしい。ネットワーク上で、ラートゥスとティプロゥの娘として生み出された存在だとさ」

『データチャイルド……』

「んだよ、知ってたのか」

『いえ、父様の会社で研究されていた形跡があったものですから』

「やっぱデルフィニアインダストリーが絡んでんだな」

『ええ、ですが……おそらく、そのサクラという人物を除いて、成功例は存在しません』

「研究そのものが凍結されたんだから当然だろ」

『いえ――近年まで研究は続いていたんです。それはあくまで、企業としての研究ですが。人工アニマを生み出すためのアプローチの一環だったようです』

「……ん? 最初にサクラを生み出したのは、あんたのとこの会社なんだろ? だってのに、その後はうまくいかなかった……?」

『わたくしはそれ以上のことは知りませんが。後日、父様に聞いたほうがいいかもしれませんわ』

「だな……今はザッシュを探さねえと」


 気になることはあまりに多いが、ルプスは屋敷の探索を再開する。


「私とハデス、ディアナは二階に向かうわね」


 万が一、罠にかかっても死ぬことがないアニマたちは、三人で別行動を始める。

 ルプス、セイカ、ボタンは警戒しながら、一階に隠し部屋が無いか、細かく調べていった。


「ザッシュが能力を使ってプリムラさんたちをどこかに飛ばした以上、ドールに乗ってるのは間違いないわけですし……どこかに広い空間があるわけですよね」

「事情は知らないけど……そういうことだったのね。だったら、シェルターはどうかしら? あの場所なら比較的他の部屋より広いはずよ」

「金持ちの家にはどこにでもあるんだったな。よし、見てみるか」


 ボタンの提案で、シェルターの場所を探す三人。

 すると階段の横、トイレか物置の入り口だと思っていた扉の向こうに、シェルターの入り口があった。

 ルビーローズ邸にもあったものと同型だ。

 これもデルフィニアインダストリーの商品らしく、ロックは例のカードで簡単に解除できた。


「ここだけで俺ん家と同じぐらい広いぞ……やってらんねえな」


 無機質、かつ清潔な空間に入るなり、ルプスはそう愚痴る。

 居住スペースは一般的なアパートメントと変わらぬ広さで、シャワーやトイレまで完備している。

 食料や水の備蓄は大量で、小型プラントまで設置されているため、数年はここで暮らせるだろう。


「自殺するような人にはもったないシェルターですね。ですが――」

「ドールはどこにも無さそうねえ」


 見渡しても、どこかに繋がる隠し扉も無い。

 するとルプスはおもむろに、足の裏で床を叩き始めた。


「ルプス……さん? 何をなさっているんですか?」


 ボタンは怪訝そうな顔でそう尋ねる。

 ルプスは動きを止めずに、ガンガンと床を蹴りながら答える。

 

「隠し部屋を探してんだよ。この中にあるとは限らねえが、広いスペースなら地下にある可能性が高い」

「なるほど、シェルターのさらに奥にあるかもしれないと。では私は壁を調べてみますね」


 セイカもコンコンと壁のノックを始めた。

 手持ち無沙汰になったボタンも、その作業を手伝う。

 客観的に見るとかなり怪しい集団だが――


「ん?」


 ルプスは一箇所だけ、音の違う場所を見つける。

 そこだけ妙に薄く、かつ音が遠くまで響いているのだ。

 彼はすぐさま銃を取り出すと、その場所に向けて複数発放った。

 するとあっさりと穴が開く。

 しゃがみ込み、穴に目を近づけるルプス。

 その奥には、さらに下に続く階段らしき空間が存在していた。


「ッしゃあ! ビンゴだ!」

「見つかったんですか!? じゃあ私、穴を広げられるものを探してきますねっ」


 セイカは慌ただしくシェルターを出ていく。


「俺はここにあるもので広げられないか試してみる。ボタン、あんたはヘスティアたちを呼んできてもらっていいか?」

「は、はい、わかりましたっ」


 それからほどなくして、セイカが倉庫から見つけたハンマーとバールを持って戻ってきた。

 彼女とルプスは、二人で協力しながら穴を広げる。

 その作業を開始するのとほぼ同時に、ボタンに連れられてアニマたちもシェルターに集合する。


「こんな場所に隠し部屋があったなんて……」

「出入り口が無いねえー」

「出る必要が無いってことんでしょう。気持ち悪い」


 プリムラたちを殺すという役目を果たせば、ザッシュ自身が生き残る必要などないということだろうか。

 肉の体を捨てるつもりならば、それでも構わないのだろう。

 それはあくまで、殉教者の価値観でしかないし、まともな神経をしていれば、ディアナのように『気持ち悪い』と思ってしまうのも当然だが。


「こんな嬢ちゃんに負けると、ちと凹むな……」

「操者じゃないの、ルプスさんもよくやったほうだと思いますよ」

「偉そうに言いやがって」


 ルプスとセイカの協力で、穴は人が通れるサイズにまで広がった。

 彼がぼやいていたように、その大半はセイカが振り回すハンマーのおかげだったが。


「こっから先は……ボタンは行かない方がいいな」

「そうですね。先生はここで、ディアナさんと一緒に待っててください」

「……何で私が残るの?」


 ディアナは不機嫌さを隠しもせずに、セイカを睨みつけた。


「いや、別にハデスさんでもいいですけど、因縁があるヘスティアさんは向かったほうがいいわけですし」

「そうね、私も多少は責任を感じているから」

「私はー、単純な興味で、どうなってるのか見てみたいかなぁ。ディアナも興味あるのぉ?」

「別に私は……」

「じゃあ何で嫌がったのぉ?」

「他人に命令されて、それに簡単に従うのって、何か負けた気がするから」

「ひねくれてますねえ、ディアナさん」

「うるさいっ!」


 ディアナも姉絡みで色々あったのだ。

 だが、何だかんだ言ってセイカの提案を飲んでくれたらしく、地下に向かうのは、ルプス、セイカ、ヘスティア、そしてハデスの四人になった。

 彼女たちは開いた穴をくぐり抜け、先にある階段を降りていく。


 階段に明かりは無いため、明かりはルプスの銃に取り付けられたライトだけだ。

 足元の階段は、急いで作られたものなのか、造りが雑だ。

 傾斜もまばらで、油断すると足を滑らせそうである。

 だがどうにか最奥までたどり着くと、そこにはシェルターとよく似た、頑丈そうな金属の扉があった。

 ルプスはフィエナから渡されたカードをかざしてみたが、反応は無い。


「チッ、ここだけデルフィニアインダストリー製じゃねえのかよ」

「うーん、おかしいですねえ。この手のシェルターを作ってるのって、コロニーだと一社だけだったはずなんですが」

「フィエナの話によると、社内にも社長の言うことを聞かない人間がいたんでしょう? そういう人間が、勝手に作ったものなんじゃないかしら」

「街で暴れてた人工アニマもぉ、社員が勝手にやったような雰囲気だったもんねー」

「教団なんざに手を貸すから内部分裂なんて起こすんだ。しっかし……どうすっか。フィエナに頼んで、扉ごとふっ飛ばしてもらうか?」


 座標さえわかれば、優しき死よ、来たれ(アガナ・ベレア)で扉を貫くことは可能だろう。

 だが、この空間もろとも破壊してしまう可能性もある。

 奥に何があるかわからない以上、あまり派手に壊すのも考えものだ。


「なら、私が中に向かってみるわ」


 ふいに、ヘスティアがそんなことを言い出す。


「ですが、その体では扉を抜けることはできないのでは?」

「ちょうどプリムラがこのあたりにいるみたいなのよ。今ならこの体を捨てて、奥に行けるわ。中に入ったら、私が内側からロックを解除する」

「魂の状態に戻るってことだろ? どうやってロックを解くんだよ」

「中には生のオリハルコンがあるって言ってたじゃない。それを使って、新しく体を作ればいいのよ。そういうわけで、行ってくるわね」


 時間をかけると、プリムラがまた移動してしまうかもしれない。

 『ここにいてほしい』と伝えればいいだけなのだが、それもそれで手間だ。

 ヘスティアは早々に体を捨てると、扉の先へと向かった。

 ルプスたちの足元には、ひしゃげた塊になったオリハルコンだけが残る。


「ただの金属だってわかってても、何か受け入れらんねえな」

「大丈夫だよぉ、私たちも気持ち悪いと思ってるからー」

「そうだったのか」

「アニマだって元は人間ですからね、割り切ってるだけだと思いますよ」


 アニマと人間の人格面での違いは、ざっくりと言えば、今を生きたか昔を生きたかの違いでしかない。

 現代の人間からは“魔術師”という概念は、どこか現実離れしたファンタジー的なものに思えるが、逆に魔術師たちにしてみれば、現代の“操者”のほうがよっぽどファンタジーだ。


 それから三分ほど経った頃、扉からカチャッと音がした。

 ルプスが押してみると、扉はギギギと重そうな音を立てながら開く。


「そこそこ手間取ってしまったわ」


 ヘスティアは浮かない表情でそう言った。


「いやいや、十分に早かったですよ。それで、奥はどうなってましたか?」

「うーん……実を言うと、あの(・・)オリハルコンを自分の体として使うのは気が引けたんだけど……とにかく、見てもらったほうが早いわ」

「嫌な予感しかしねえな」

「そう思っておいてもらったほうがいいわね」


 ヘスティアのその返しに、ルプスはさらに嫌な予感がした。

 扉の向こうは、洞窟のようなむき出しの壁に、いくつかの明かりが取り付けられただけの、やはり雑な作りだった。

 部屋らしきものもなく、あるものは、少し長めの通路と、その奥にある広間だけ。

 広間に到着したルプスたちは、それ(・・)と対面して顔をしかめた。


「何だこりゃ……」

「まさか、これがドール……なんですか?」

「昆虫の巣みたいだねぇ」


 そこにあったのは、地面や壁、天井に粘液のように張り付くオリハルコンだった。

 当然、人の形はしておらず、ディアナが言ったように、蜘蛛の巣か、あるいは昆虫の卵のような形状をしている。

 それは不規則に脈動を続けており、動きに合わせてギギッ、ギギッと、金属が軋む不気味な音を鳴らしていた。


「中心にある繭みてえなのが怪しいな」


 ルプスはそう言って、銃を構える。


「これがドールなら、さしずめあの球体はコクピットということでしょうか」

「つまり、中にザッシュがいるかもしれないのね」

「本人ごと吹き飛ばしちまうかもしれねえが……操者が死ねばドールは機能を失うんだ、構いやしねえだろ」


 ためらわずに、引き金を引くルプス。

 放たれた銃弾は繭の中心に命中し、それはまるでガラスのように粉々に砕けた。

 そして中から、少年の体が落ちてくる。


「やっぱり居たか……ザッシュ・エディアン」


 ザッシュはぐったりと横たわったまま、動こうとはしない。


「死んじゃったんですかね」


 セイカの言葉に、ハデスが首を横に振った。


「違う、とっくに死んでる」

「あ……本当だ」


 ザッシュの体はすっかり青ざめており、血液が溜まった脚部は赤黒く変色している。

 すでに腐敗も進行しているのか、地面に体が叩きつけられた衝撃で、目や鼻、耳から赤い血液が流れ出た。

 また、しばらく時間が経つと、ルプスたちの場所まで腐敗臭が漂ってくる。


「死後数日は経ってるみてえだな……」

「でも、ザッシュさんの自宅で、人形越しに会話したはずですよね?」

「あの時点で肉体は死んでたのよ。そういうことよね、ザッシュ」


 ヘスティアがそう言い放つと、“ドール”の表面がボコボコと泡立ち、そこに人の顔が浮かび上がる。

 ()は口元を歪め、歯をむき出しにしながら笑った。


『よお、久しぶりだなヘスティア』


 ヘスティアはかつての主を、憐れむように、目を細めながら見つめた。


「ええ、久しぶりザッシュ。少し見ないうちにずいぶんと醜くなったものね」

『ひひひひっ! 肉の外見に囚われてるうちは、本当の美しさなんてわかんねえもんさ!』

「それ、本当に大事なものを見失ってるっていうのよ。親御さん、心配してたわよ」

『へへっ、なら同じ場所に連れてくるだけさ。サクラ様に頼めばさあ、それぐらいやってくれるって!』


 果たして複製された人格は、本人と同一のものなのか。

 ヘスティアは、その答えがここにあるような気がした。

 確かにデータ化した人格は自由で、望む世界で生きられるのかもしれない。

 だが一方で、脆弱さもある。

 少なくとも、データ上で生まれ、誰よりも自由に電脳の世界を動き回れるサクラには、絶対に逆らえない。

 彼女ならば権限など無視して、あらゆるものを自由に改変できるのだから。

 例えば、このザッシュのように――サクラ“様”などと、本来の彼なら絶対にありえない呼び方をさせてみたり。


『それにさぁー、俺、もう別に親とかいらねえし。ほら見てくれよ、この姿。この体! すっげえ優しいんだ! 優しいものが俺を包み込んで、俺の中に入ってきて、誰よりも俺を認めてくれる! これだよ! これが俺が求めていたもの! これこそが、本当にヘスティアなんだよおぉ……!』

「そう……このドールを形作っているのは、私の複製品なのね」


 いくら科学が進歩したと言っても、ゼロから魂を作り出すことは難しい。

 つまりデルフィニアインダストリーが生み出した人工アニマとは、“魂のクローン”であった。


『複製品じゃねえ。本物だ。こっちが真のヘスティアだぁ! まぁ、サクラ様はヘスティア・ディストーションって言ってたけどよお。別に歪んでようが何だろうが……ああ、いや、むしろ歪んでたほうがいいっ! だってせっかく電子の体になったんだから、自由に変えなきゃ損だもんなあ!』


 ルプスもセイカも、そしてハデスまでも、どこか冷めた様子で、ザッシュの言葉を聞いていた。

 少し前にフィエナが言っていたことだが――人工アニマは通常にアニマと異なり、適応の低い一般人にも、本人の魂が入れられた“器”にアニマの魂を上書き(・・・)することで、ドールの操縦を可能にできる。

 おそらく今のザッシュも、そういう状態にあるのだろう。

 データ化された人格に、データによって作られた人工アニマを融合させるのは、現実世界の人間に対して行うよりも、難しくないはずだ。


『あー……そうだ。ひひっ、あひははははっ! そうだ、そうだった! さっきさあ、そこのおっさんが俺のこと撃ってたよなあ? 頼みがあるんだが、また撃ってくれねえか? バーン! って、さっきみたいにド派手にさあ! そんで俺に痛みを感じさせてくれよぉ!』


 ルプスは無言で、挑発してくるザッシュの眉間に銃弾を叩き込んだ。


『あひぃっ』


 わざとらしく声をあげながら、額に弾丸を埋め、ぶるぶると顔を震わせるザッシュ。

 するとその顔はボコボコと泡立ち、膨張を始め、やがて破裂してしまった。

 だがすぐに別の場所に顔が生まれる。

 しかも、今度は二つだ。


『くっひゃああぁぁっ! あは、ひはっ、ひあはははっ! 痛くねええぇぇぇえ! 全然痛くねえ、しかも吹き飛ばねえ! むしろ増えちゃいまーす! うへ、うえへへへっ。な、すげーだろ? すげーだろ俺の体ぁ! 肉体捨てたらこんなに気持ちいいなんてとっとと死んどきゃよかったあぁぁあ! 楽園ッ! 最ッ高ぉぉおお!』


 会話は成立しているようで、していない。

 ザッシュはザッシュの世界に浸っているだけで、周囲のことなんて見えていなかった。

 もはや、話すだけ無駄なのである。


『へへへ、いいだろぉ? 羨ましいだろぉ? でもダメェー! お前らはサクラ様に逆らったからこっちには来れませぇーん! そっちの偽りの世界でせいぜい地べた這いつくばりながら苦しんで生きとけよぉおお! いややっぱ死んで? 死んどこ? 今日、今、ここで、俺に殺されてさよぉぉぉらなあぁぁぁああっ!』


 ザッシュは、ドールを形成するオリハルコンの一部を尖らせ、ルプスとセイカに差し向けた。

 だが二人は動かずに、じっとその様子を見つめている。

 

優しき死よ、来たれ(アガナ・ベレア)


 屋敷の外で、アルテミスが矢を放つ。

 一秒後、ザッシュがルプスとセイカを貫くより先に――


『ぎゃふっ!?』


 ゴパァッ! と、その肉体の一部が弾け飛んだ。


『いつの……まに……』

「てめえの戯言を突っ立って聞いとくだけなわけねえだろ」


 すでにルプスはフィエナに支援を要請していた。

 というより、最初からそのつもりだったのだ。


優しき死よ、来たれ(アガナ・ベレア)


 フィエナは容赦なく、繰り返し弓を引く。


『ぷぎゃっ!? ふぎっ、ぐぎゃあぁっ!』


 痛みなど感じないと言っていたザッシュは、幾度となく体を貫かれ、弾け飛び、細切れにされていく。


『ふひ……ふへへへっ……』


 それでもなお、彼は笑った。


『肉体に意味なんてねえんだよ……ぐぎっ……ねえんだよ……ねえんだよ……存在は曖昧で、広がる霧みてえにバラバラで、俺は粒子になったんだ。世界を散らばる、光みたいなキラキラにぃっ! あっはははははひぃっ! ひいいぃぃいひっひっひっひっひっひ!』


 意味不明な言葉をばら撒きながら、全身を穴だらけにされて、なおも笑う。

 まあ、事実として――もはや人ですらないザッシュは、この歪んだ肉体を失ったところで痛くも痒くもないのだろう。

 だが、ドールの能力がプリムラたちを閉じ込めている以上、この肉体が失われれば、彼女たちも解放されてしまう。

 “完全なる機能停止”にたどり着く前に、脱出の必要があった。


『うひっ、ヘスティアぁ……虚無より生み出されるリ・リアライゼーションだ』


 ヘスティア・ディストーションの能力が発動する。

 かつてザッシュが搭乗するヘスティアは、虚勢こそが真なり(リアライゼーション)という能力を保持していた。

 直前に起きた出来事を無かったことにする、現実改変の力だ。

 そして現在の能力は、それと似ているようで、どこまでも非なるもの。

 (起きた出来事)(無かったこと)にするのではない。

 (虚無)より、(事象)を生み出すのである。

 自分にとって都合のいい世界を、何も無い場所に。


 そして能力の発動により、ザッシュは自らの作り出した世界へと逃げ込んだ。

 ルプスたちの目の前から、あの気持ちの悪いオリハルコン体は、綺麗サッパリ消え失せる。


「フィエナさん、ストップです。もうザッシュは逃げました」


 セイカがフィエナに伝えると、アルテミスは動作を止める。


「そんな予感はしてたが、やっぱ逃げやがったな」

「プリムラたちを飛ばしたんだから、自分が飛べない道理はないわよね」

「でもこれでー、プリムラはザッシュと戦えるわけだよねぇ」

「ええ、あとはプリムラさんたちに任せるしかありません」


 こちらでやれることはやり尽くした。


「プリムラ……どうか無事に戻ってきてね……」

 

 ヘスティアは両手を重ねて、主の無事を祈る。




◇◇◇




 マーブル色の空が歪んだ。

 プリムラは天を仰ぎ、怪物たちを踏み潰す三人に伝える。


「来たみたい」


 アリウム、ラスファ、そしてフォルミィは足を止めて、プリムラ同様に空を見上げた。

 歪んだ空間から、銀色のオリハルコン塊が降りてくる。

 それは地上に近づくほどに、少しずつ形を変えて、ようやくドールらしい“人の姿”に近づいていった。

 だが、他のドールとは、方向性が少し異なる。

 それは女神だった。

 人に近い顔や手足を持ち、体はローブで包まれた、母性を感じさせる優しき女神。

 そして女神が自らの胸の前で、まるで何かを抱きしめるように腕を交差させると――その内側に、人の頭部らしき物体が現れる。

 ザッシュの頭だ。

 彼はヘスティア・ディストーションの胸に抱きしめられ、安らかに眠っている。

 そして、彼の瞳が開かれると――見ていて懐かしさすら感じる、悪意に満ちた表情でプリムラたちを見下し、尊大に言い放った。


『しぶとかったなぁ、お前ら。ジジイとババアは殺せたけど、四人も生き残るは想定外だった。仕方ねえから、俺が直々に殺して――』


 その言葉を、家族を失ったばかりのアリウムが許容できるはずがない。


「ザッシュ、お前だけはぁぁぁぁああああああああッ!」


 喉をからして叫んだ。

 正義と、その正義を通すための力を手に、地面を蹴り、大地を焼くほど強く噴き出すバーニアに射出され、一直線にザッシュのドールに向かって飛翔し――ランスを、突き刺した。

 貫通。そして、ザッシュの不快な声も同時に止まる。

 だが、なおもアリウムの怒りは止まらない。


「おぉぉぉおおおおおおおおおおおおッ!」


 角度を変え、再度のバーニア噴射。

 今度は地上めがけて突進する。

 まるで流星のように空を切り裂くテミス。

 そのまま速度を緩めることなく、ザッシュは隕石のように地面に叩きつけられた。


「まだまだあぁぁぁああああッ!」


 なおもアリウムは手を緩めない。

 地面に衝突し、ぐったりと動かないドールに対し、回転するランスで繰り返し突き刺す。


「よくもッ! お祖父様をぉッ! お祖母様をぉぉおおおッ!」


 何度も、何度も、原型が無くなるまで――否、無くなっても止まらない。


「死ねえっ! 二人分の死よりも苦しみ抜いてから無様に死ねえぇぇぇえええッ!」


 刺突だけでは足りなくなったのか、次は盾を使って殴りだす。

 もはやザッシュはズタズタで、女神も、彼の頭部も、どこにあったかわからないほどの有様だ。


「うわぁぁぁぁあああああああああああああああッ!」


 悲痛な叫び声が、異界に響き渡る。

 だがなおも、この歪んだ世界が壊れる様子はなかった。

 


 

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