038 炉心溶融セルフィッシュラヴァー
プリムラが去った後、部屋にはアトカーとラスファだけが残された。
「……君は戻るといい」
「ですがルビーローズ議員……顔色が悪いですわ」
「死にゆく私にかまうだけ無駄だよ。君には君の、守るべきものがあるはずだ」
目を細め、思い浮かべるのは家族――ではなく、フォルミィの顔だった。
(何であの子が……)
心の中でそう毒づきながらも、彼女自身も、その理由はとっくにわかっていた。
「それでは、お言葉に甘えさせていただきますわ」
「そうするといい。いや……待ってくれ、最後に一つだけ、聞かせてもらってもいいか」
「何ですの?」
「君は、自分のことを知っているんだろう?」
「……クローンのことですか。ええ、知っていますわよ。ずっと昔から、父にはそういう扱いを受けてきましたから」
「諦めているのか」
「いいえ」
「拒絶は可能なのか」
「無理でしょうね。父が居る限りは」
「ならば、どうするつもりだ?」
「わかりませんわ、わたくしにも。ですが――生きていたいと思う理由はありますわ。でしたら、できる限り長く、それを貫くだけです」
ラスファの言葉を聞いて、優しい笑みを浮かべるアトカー。
「やはり、人はそうするしかないのだな」
「正誤など関係なく、そうすることしかできない、不器用な生き物ですわ。きっと、父も、姉も、そうなのでしょうね」
「ああ……誰もが、自分のために……そう、誰もが」
アトカーが思い浮かべたのは、誰の顔だったのか。
ラスファは彼に背を向けると、部屋を出て、フォルミィの元に戻っていった。
◇◇◇
「おかえりだ、ラスファ」
「ただいまですわ、フォルミィ」
反射的にそう返事をして、ラスファはなぜか恥ずかしくなり、ほんのり頬を赤く染めた。
そのまま、壁に持たれるフォルミィの隣に座る。
「プリムラたちはどうだったんだ?」
「危うくルビーローズ議員が殺されるところでしたわ」
「間一髪だな!」
「ええ、全く。人というのは……度し難い生き物ですわね」
「話のスケールがでかいな……」
「人間、追い詰められるとそういうことを考えてしまうものなのですわ、きっと」
「ラスファは頭が良いからな、あたしには難しいな。胸を張って“本気で考えてる”って言えるのは、家族のことと、ルプスおじさんのことと、ラスファのことぐらいだ」
「わたくしもそこに入ってますのね」
「当然だろう、親友だからなっ」
「勝手に親友にランクアップしてますわ……」
呆れた表情を見せつつも、ラスファの口元は笑っている。
それを見て、フォルミィも「にひひ」と白い歯を見せて笑う。
要するに、それが彼女の生きる理由というやつなのだろう。
両親の仇を取る。
弟たちやルプス、ラスファを守る。
実にわかりやすい動機である。
だからこそ、近くにいると、“安心”などというものを感じてしまうのだ。
「ねえフォルミィ、わたくし、実はお姉様のクローンですのよ」
ラスファは、何気なくカミングアウトした。
今まで誰にも話そうとしなかったのに、驚くほど簡単に言葉は出た。
「クローンって、何か、遺伝子がどうこうとか、同じ人間が生まれるとかいう、あれか?」
「そのことですわ」
「びっくりだな」
そして、フォルミィの反応も驚くほど淡泊だった。
「……わたくしはそのリアクションにびっくりですわ」
「いきなり言われても理解できないぞ」
「まあ……それもそうですわね。お姉様は、人工臓器や、他人の臓器を移植できない体ですの。ですから、お父様はそんなお姉様を救うために、わたくしを生み出した」
「でも、ラスファはラスファだ」
「そう言ってくれるのはあなたぐらいのものですわ」
「誰がどう言おうと、体がどうだろうと、ラスファが歩んできた人生は、ラスファだけのものだと思うぞ」
「真っ先に出てくる言葉が、気持ち悪いとかではなく、そういう言葉なんですのね。フォルミィらしいですわ」
ラスファは自らの膝を抱え、その上に顎を乗せて、エキセントリックな模様の壁をじっと見つめた。
その表情は、こんな状況だというのに、やけにほっとした様子だ。
「同じ学校に通って、同じカリキュラムを受けて、同じ操者になって、似たようなアニマを与えられて……わたくしは、わたくしが姉の劣化コピーにしか思えませんでしたの」
「そんなわけない」
「きっとお父様は、わたくしに劣等感を抱かせるために、同じように育てたんですわ。いつか、わたくしが自ら進んで姉の一部になるように」
「父親は……娘を愛するものじゃないのか?」
「わたくしはお姉様の遺伝子から作られたクローンですもの。あの人に、父であるという自覚などありませんわ」
しかしラスファにとってカークスは父だ。
そう認識するしかない。
一方で、フィエナを“姉”と呼べるかは微妙な所だった。
彼女はラスファを妹として扱うが、二人は姉妹ではない。
コピーなのだから。
「こんなことを言うと不謹慎かもしれませんが……わたくし、フォルミィのことが羨ましくて仕方がありませんの。家族が、ちゃんと家族の形をしている……きっと、それは、当たり前のことなのに……」
「ごめんな、ラスファ。あたしには、ラスファの家族のこと、全部を理解するのは難しいかもしれない」
「当たり前ですわ、わたくしもわかりませんもの。父が父なのか、姉が姉なのか、わたくしは誰なのか……何もかも、はっきりしていませんわ」
「あたしに言えることは――あたしから見たラスファは、ラスファでしかないってことだ。世界でたった一人の、あたしの親友」
それはたぶん、ラスファにとって、唯一の“明確な関係”だった。
友達と呼べる存在。
二人の間に結ばれた、一本の線。
それが、辛うじてラスファを、希望の島に繋ぎ止めている。
きっとこの手を失えば、果てしなく広がる絶望の海を、あてなく彷徨うしかない。
そんな確信があった。
「これだけ事が動けば、きっともう、今まで通りとはいきませんわ。戻れば、きっとお父様は動き出す。ですがそこに辿り着くには、わたくしたちは生きて戻らなければならない」
「あたしも弟たちが心配でしょうがない。ラスファ、絶対に生きて戻ろうな。約束だ」
「ええ、約束ですわ」
二人は小指を繋いで、契りを交わす。
同時に、強い決意を胸に抱く。
もしいつか終わりが来たとしても――それは、今では無いのだから。
◇◇◇
優しく温かな手が、まどろみに浮かぶアリウムの頭を撫でていた。
とても――とても、心地よい感覚だ。
死体のように冷たくなった心に、唯一温度を与えられる存在だ。
唯一――そう、今となっては、ただ一人。
大好きな父が死んだ。
大好きな母が死んだ。
大好きな祖母が死んだ。
大好きな祖父も、きっと死ぬ。
家族全員、惨殺される。
プリムラたちは“呪われた子”だと呼ばれていたが、自分だってあまり変わらない――そうアリウムは考える。
何か悪いことをしたわけでもないのに。
誰かに恨まれているわけでもないのに。
理不尽に、ただただ理不尽に奪われていく大切な宝物たち。
両親が死んだ時、空っぽになった穴をプリムラで埋めた。
プリムラが死んだ時、空っぽになった自分を祖父母で埋めた。
真面目な自分になって、優秀な自分になって、何もかもをごまかそうとしていた。
なら――それら全てが喪失したとき、自分は何者になるのだろう。
アリウムは考える。
しかし、考えども考えども答えは出ない。
ただただ、胸にぽっかりと空いた、あまりに大きな穴の喪失感に怯えて、隅っこで縮こまることしかできない。
そこに染み込む、手のひらのぬくもり。
(プリムラ……)
五年前まではずっと一緒にいた、大切な人。
あれだけひどいことをしたのに、過去を『上書きしよう』と言ってくれた、優しい親友。
自分だって辛いだろうに、今もアリウムに寄り添ってくれている。
今、アリウムは昏睡と覚醒の狭間にいた。
あと数分で目を覚ます、しかし自分の意思では起きられない、そんな境界線上に。
たぶん、目を覚ませば、現実が彼女に押し寄せてくる。
祖母の死。
化物に噛み砕かれ、理不尽に死んだその姿。
断末魔、砕ける音、不快な臭い、飛び散る血しぶき――そして、助けられなかった自分の不甲斐なさ。
それら全てに、向き合わなければならない。
そんなことを考えているうちに、意識が浮上していった。
目覚めのときだ。
拒もうとしても、浮力には逆らえない。
まぶたが開く。
ぼやけた景色が、次第にクリアになっていく。
真っ先に見えたのは、自分の頭に手を置く、プリムラの姿だった。
彼女はアリウムと目が合うと、まるで母を思わせる、慈愛の笑みで迎えた。
「おはよう、アリウムちゃん」
声も、染み込むように優しい。
だから、反射的に心がプリムラに甘えて、アリウムの瞳から一滴の涙がこぼれた。
「プリムラ……私、は……」
耐えようと思ったが、その暇すら与えてくれない。
「私は……私はああぁっ……!」
一気に、記憶が蘇る。
化物に食われた祖母、その頭部の上半分だけが噛みちぎられ、赤い断面図が露わになった姿が、頭の中を埋め尽くす――
「おいで、アリウムちゃん」
「う……ううぅっ、うわあぁぁああああああっ!」
アリウムは両手を開いたプリムラの胸に顔を埋め、思いっきり泣いた。
今はそうするしかない。
家族が目の前で殺された、その悪夢のような光景を忘れるのは不可能だ。
それを、プリムラはよく知っているから。
だから今は、優しい誰かに抱きしめられて、心の拠り所に思いっきり寄りかかるしかない。
「お祖母様っ……おばあさまあぁっ! ああっ、あああぁぁああっ!」
「アリウムちゃんは悪くないよ。絶対に、悪くなんてない」
“自分が守れなかった”――そんな自責の念で自分自身を苦しめていることを察して、そう呼びかけるプリムラ。
言葉一つ一つが、アリウムに染み込んでいく。
プリムラは、彼女の嘆きや苦しみを心の底から哀れみ、共に苦しみ、慈しむ一方で――同時に、歓迎もしていた。
(わたしたちには、裁きが必要だった)
どれだけ和解しようとも、元に戻ろうとしても、立ちはだかる壁がある。
五年前、アリウムはプリムラを捨てた。
つい最近、アリウムはプリムラにひどい言葉を投げかけた。
それを上書きするには、相応の“断罪”が必要だ。
しかし、断罪はプリムラの手によって行われるものであってはならない。
それは、新たな軋轢を生み出す可能性があるからだ。
そういう意味で、今回の件は、プリムラにとって幸運だったのだ。
ちょっと前に、アトカーに対して似たようなことを話したが、それとはまた違う。
これはプリムラとアリウムの関係上の話。
アフラーショの死によって、第一の断罪が完了する。
これで、プリムラがアリウムに対して感じていた“わだかまり”は、一回り小さくなった。
近い内に、アトカーの死によって、第二の断罪が完了する。
これで、きっとわだかまりは完全に消える。
そして――祖父母を失ったアリウムは、プリムラに依存しようとするだろう。
(いや……しなかったとしても、そうさせる。そうするしかない。わたしたちが、元に戻るには)
それが果たして“元”と呼べるのかは定かではない。
だがプリムラが――否、プリムラとアリウムが望んだ形であることは間違いない。
だからプリムラは、ありったけの慈愛を込めて、アリウムを抱きしめ、慰めるのだ。
撫でる手に愛情を込めて。
かける言葉に親愛を込めて。
見つめる瞳に憐憫と――ほんのわずかな打算を込めて。
「大丈夫だよ、アリウムちゃん。わたしがついてるからね。どんなことがあっても、わたしが一緒だから」
「プリムラ……プリムラあぁ……!」
開いた傷口に、己の一部を注ぎ込むように。




