034 百花狂笑ブルーミング
ルプスはザッシュの家から中央警察署に戻り、情報の流れを探った。
すると案の定、ある人物に通報の内容が伝わった途端、流れがぷつりと途切れる。
そして下への圧力がかけられ、通報そのものがなかったことにされようとしていた。
無論、通報者であるザッシュの母親は不審に思うだろう。
それを解消するため、どこかの交番から巡査あたりがあとで家を訪れるはずだ。
そして『捜査します』とだけ告げて、なにもしない。
そういったやり口は、すでにルプスが知るだけでも数回使われていた。
ルプスは取調室に入る。
そこには、眼鏡をかけた、背の高い細身の男がいた。
「よう、警視様」
茶化すようにルプスは言った。
警視と呼ばれた男――クリミオは彼をにらみつける。
「私をここに呼び出したのはお前だったか。相変わらず物騒なやり方をする男だ」
「ああでもしないと、ここに来なかったろ?」
二人は高等学校の同級生である。
キャリア組であるクリミオと、ノンキャリアであるルプスの間には地位の差があるものの、当時のよしみで今でもたまに飲みに行くことがあった。
だからこそ、ルプスは失望する。
教団に都合の悪い通報を止めているのが、彼だったことに。
「言っておくが、私は教団のことなどなにも知らないぞ。なにを根拠にあんな脅迫文を書いたのかは知らないが――」
しらを切ろうとするクリミオに、ルプスは無言で銃を突きつけた。
「たちの悪い冗談はやめろ。こんなことをしてないで持ち場に戻れ、ルプス。お前にだって役目があるはずだ!」
「冗談じゃねえよクリミオ、俺は本気だ。お前、本当は五年前の事件に関わってたんじゃねえのか?」
「あれは事件じゃない、ただの心中だろう」
「そう言い切ってる時点でおかしいんだよ、お前は!」
プリムラが語る“五年前の事件”はアヤメの一件だが、ルプスの言うそれは違う。
五年前――つまりルプスの先輩であり、フォルミィの両親であったテナークス夫妻が首を吊り命を落とした一件だ。
ルプスは一度だって、あれを自殺だと思ったことはない。
「落ち着けルプス。そもそも、その銃は平常時の署内では発砲できないように作られている。脅しにすらなっていないんだ」
「安心しろよクリミオ、どこでもセーフティを外せるように改造してあるからよぉ」
「お前、そんなことまで……!」
「ちゃんと部屋の監視カメラも切ってあるぜ。扉にはロックだってかかってる。ここは完全な密室だ」
「く……」
「さあ、吐いてもらうぜクリミオ。お前と教団のつながりをな」
ルプスの瞳には殺意が宿っている。
たとえ相手が友人だとしても、容赦はしない。
その強い意志を感じられないほど、クリミオも鈍感ではなかった。
「……まずは、銃を下ろしてくれないか。恐ろしくてしょうがない」
「怖がらせたいから突きつけてんだよ、いいからこのまま話せ」
「私は、なにも知らないんだ」
「嘘をつくな」
「本当だ! キャリア組は誰もが口を揃えて言っている、教団にだけは逆らうなって! 今回だってそうだ、上に報告したら、遠回しもみ消せと!」
「誰もが……? 上の連中は全員が教団に従ってるって言うのかよ! 死んだんだぞ、先輩たちは!? お前だって慕ってたじゃねえか!」
「慕おうがなんだろうが、誰だって最終的には自分が大事なんだ。お前だってそうだろう? 自分の中にある不平不満を好き放題にぶちまけて、無責任に振る舞っているだけじゃないか!」
「犯罪集団の犬が吠えるんじゃねえ!」
両手で銃を握りしめるルプス。
引き金にかけられた人差し指が小刻みに震える。
「もう……手遅れなんだよ、ルプス。私だって変えられるものなら変えたかった。ここに入った頃は、まだそういう気概があった。だが、現実を知ってしまえばそうなるさ! 誰だって!」
「だからってよォ……人が死んでんだぞ? ザッシュ・エディアンの行方がわかれば、消えたアトカー議員たちの安否だって確かめられるかもしれねえってのに!」
「その二つの事件には関連があるのか?」
「関連もなにも、あれを引き起こしたのがザッシュ・エディアンだ。どうやらアトカー議員の件は事が大きすぎてもみ消せなかったみてえだが……結局、そっちがもみ消されたんじゃどうにもならねえ」
歯を食いしばり、黙り込むクリミオ。
彼とて、志が無いわけではない。
それよりも自己保身を優先しただけのこと。
賢い選択かもしれない。
事実、クリミオは順調に出世コースに乗っているのだから。
だが現在進行系でいくつもの人の命が失われている今、保身のためにそれを見過ごしてしまってもいいのか。
倫理観や正義心の問題もある。
だがおそらく最大の問題は、事が落ち着いたあとに、『自分のせいで多くの人々が死んだ』という事実に耐えられるかどうか、ということだ。
「街中で起きてる爆発事件だってそうだ。タイミングからして、後ろで糸を引いてんのはザッシュか、それに近い場所にいる人間だろうよ」
「人間爆弾か……聞いているだけで頭がどうかなってしまいそうだ」
「安全な場所でぬくぬくしてるお前より、一般市民のほうがよっぽど怯えてるだろうな。アトカー議員の屋敷が消失した件と明らかに連動してるのに、別の事件かのように振る舞う警察を見てたら余計にだろうよ」
「そういう指示だ、どうしようもない」
「警視様よぉ!」
ついに耐えきれず、ルプスは彼の胸ぐらを掴んだ。
そのままクリミオの背中を壁に押し付ける。
「お前の肩書きは飾りか? えぇ!? どうにかできる立場なら、保身なんかしてねえでどうにかしろよ! そのために軍警察に入ったんだろうがよ!」
銃口よりも鋭い殺気が、直にクリミオに降り注いだ。
「管轄外だ……私には、なにも……」
「できねえわけがないだろうが! お前が声をあげるだけで、どれだけの命が救われると思う? 俺ら現場の人間の心だってそうだ! 得体のしれねえ教団なんざにへこへこ従う上司にどいつもこいつもうんざりしてんだよっ! でもどうにもできねえって、苦しんで、それでもコロニーを守ろうと必死で働いてんだよ!」
「ルプス……」
「やってくれよ……頼むからこれ以上、俺らを失望させんな」
ルプスの両腕から力が抜ける。
彼は心底悲しそうにうつむき、唇を噛んだ。
それを見てクリミオにも思うところがあったのだろう。
一度深呼吸をして、口を開く。
「……言ったところで、変わるかはわからんぞ」
「クリミオ……! はっ、変わるに決まってんだろ。お前は優秀な警視様だからな」
「ふ、さっきと言っていることが真逆だぞ」
そう言って笑いながら、クリミオはネクタイを整え、取調室から出ようとする。
ルプスは彼からほんの少しだけ遅れて部屋を出た。
銃声が複数回鳴った。
「なっ……!」
何者かが放った銃弾は、クリミオの頭と腕、そして胴体に命中する。
違法改造された銃の威力は、ただ貫通するだけにとどまらない。
衝撃で吹き飛ばすのだ。
頭部が弾け飛ぶ様を見て、ルプスは高等学校時代に友人とふざけてやった、スイカ割りを思い出した。
生死を心配する必要すらない。
そういう意味では親切なのだろう。
(ああ、クリミオは死んじまったのか)
警察官という仕事柄か、はたまた目の前の光景が現実離れしすぎていて思考が追いついていないのか。
どちらにせよ、ルプスはその瞬間、異様に冷静だった。
人としての体温を失っている、と言ってもいい。
すぐさま銃を抜いて、滑るように部屋から出た。
敵を目視。
二人とも見たことのある顔だった。
構わない、それがもはや人と呼べる代物でないことは、ルプスも理解しているから。
トリガーを引く。
放たれた銃弾が、仲間の顔を粉砕した。
(まずは一人――)
二人目も仕留めようとしたが、動きは相手のほうが早い。
銃口の向きから銃弾の軌跡を予測し、側転で回避する。
相手もある程度は動きを呼んでいたのか、放たれた銃弾は肩をかすめた。
軽傷だ、支障はない。
片膝立ちで体制を整え、二度目の発砲――クリーンヒット。
今度は心臓付近に命中し、一発で同僚の命を奪う。
後味の悪さを感じている暇はなかった。
二人の後方からも、目のイッた巡査がさらに三名駆けてきている。
ルプスは背中を向けて、その場から走り去った。
突き当りにある壁を曲がった直後、複数の銃声が轟き、壁に着弾する。
ここから先は、比較的逃げやすいルートだ。
たとえ相手がマリオネットプロトコルにより異常に身体能力を引き上げられていたとしても、逃げ切る自信があった。
なにせここは彼の庭なのだから。
だが心に余裕が生じると、また別の感情がルプスを襲う。
「ちくしょう、クリミオ……!」
死んだ高等学校時代の友人のこと。
そして殺した同僚のこと。
泣き声のフォルミィから連絡を受け、向かった先で彼女の両親の首吊り死体を見つけたときのことを思い出す。
赤の他人の死体はいくつも見てきた。
だがやはり、見知った顔の死というのは、違う。
いくら死体に慣れていても、その事実と死に様が、心を殺しにかかってくる。
『逃げれば逃げるほど、犠牲者は増えるだけだよ?』
弱い心から生じる幻聴か、少女の声がルプスにそう呼びかけた。
認めたくないが、それもまた事実だ。
だが、死ぬのはまっぴらごめんである。
「ザッシュか、他にもいるのか知らねえが――絶対に許さねえ!」
折れそうな心を、怒りで補強する。
響いた銃声、そして発見された死体――署内は徐々に混乱に包まれつつあった。
ひと気の無い取調室付近と違い、このあたりには各部署の部屋が集まっている。
その中を全力で突っ走るのだ、嫌でも注目は集まる。
できればこれ以上犠牲者は出したくなかったが、逃げるのならこのルートを通るしか無い。
そして追跡者たちは――
「おい、お前たちはなにを――ぐぁ!?」
「やめろ、銃を下ろせぇぇっ!」
通り抜けるのに邪魔な障害物に、容赦なく発砲している。
それがまた、ルプスを追い詰めるのだ。
だが出口まではあと少し。
この先の扉を抜けて、角を曲がれば――というところで、急に前方の防火シャッターが降りてくる。
本来ならゆっくり降下するはずのそれは、まるでギロチンのように落下した。
真下にいた二人が押しつぶされる。
一人は首が飛び、もう一人は上半身と下半身が分かたれた。
わけもわからず分断された彼女は、救いを求めるようにルプスに手を伸ばす。
「人間だけじゃねえのか? 署内のシステムも、全部、とっくに……!」
銃のリミッターだけではない。
あらゆるシステムが、すでに何者かに掌握されている。
そして追跡者たちはルプスから数メートルの距離のところで、ぴたりと足を止めた。
三つの銃口が彼に向けられる。
ルプスは試しに両手をあげてみたが、銃はおろか、表情すらぴくりとも動かさない。
「はぁ……マジでわけわかんねえ。なあ、お前らなにが目的なんだ?」
彼は説得や投降を諦め、手をおろし、喧嘩腰にそう問うた。
もちろん返答はなかったが、どうせ死ぬのなら胸の内をぶちまけてやろうと考え、言葉を続ける。
「イマジン教団は、データ世界にこそ楽園があると考えている。それはわかる。そして計画を進めるために、コロニーを支配しようとした。ああ、まだわかるよ。そんで実際に、議会や軍警察、操者や……まあ、他の諸々だって支配したわけだろ? だったら、あとは大人しくて裏で計画を進めときゃあいい。『死後はデータ化されて天国にいける』なんて考えが蔓延ってる時点で、とうに俺らは根っこの価値観から教団に汚染されてる。俺個人としては気持ち悪ぃ話だが、もうそればっかりはどうしようもねえ、お手上げだ」
今は“死後”だが、やがて人々は生きながらに安楽死を求めるようになるだろう。
そのとき、イマジン教団の求める“楽園”が完成するのだ。
そう、つまり――すでに教団は目的を達成しているはずだった。
「だがお前らは、こうして無駄に人間の命を奪う。シフォーディ家やルビーローズ家の人間、フォルミィちゃんをはじめとして、何人もの人間が無駄に苦しみながら命を落とした。理由は知らねえが、たとえ教団に反抗してたとしてもよお、それって全ての人間を楽園に導くっつう“教義”とはズレてんじゃねえのか? つうかお前ら、もう楽園なんざ本当はどうでもよくて、コロニーを滅茶苦茶にぶっ壊してえだけなんだろ? 誰がそれを望んでるのかは知らねえがな」
答えはやはりない。
もっとも、ルプスも最初から期待していないため、落ち込むということはなかったが。
「答えねえなら構いやしねえよ、とっとと殺せ。俺はただの快楽殺人集団に殺されました。他の将来有望な警官たちも、明日なにしようかって普通に考えてた一般市民たちも、みんなゴミみてえに無意味に殺されました。って、ただそれだけの話なんだからな」
挑発か、強がりか、ルプスにもわからなかった。
こいつらに言葉が通じないことはとっくにわかっているというのに。
そもそも、その気になれば操った人間を爆弾にすることだってできるのだ。
こうして銃口を向けて脅す、という行為そのものがナンセンスである。
総じて、教団の考えていることがわからない、それに尽きる。
(んだよこいつら、やけに焦らしやがる)
操り人形たちは、なかなか引き金をひこうとしない。
すると、パチッ――と天井の灯りがほんの一瞬点滅した。
ルプスの視線がそちらに向けられる。
古いタイプのライトならともかく、軍警察本部に使われているような明かりが、切れかけでもないのに点滅するようなことがあるだろうか。
「これでもダメなんだ。前兆も無しに出てくるのって、存外に調整が難しいみたいだね」
少女の声がする。
ルプスの視線は、今度は立ちはだかる三人の警官の奥へと向いた。
犠牲者や操られる警官がさらに増え、署内が混乱する中、一人明らかに場違いな純白のワンピースを纏い、彼女はそこに立っている。
体が透けて見えるのは、ルプスの見間違いではない。
彼女はまるで投影された映像のような姿で、存在しているのだ。
とっさに銃を抜き、少女に向けるルプス。
「わたしはここにいないから、銃なんて使ったって無駄だよ」
「てめえは誰だ」
「あなたたちが求めていたもの。プリムラたちがわたしにたどり着いたみたいだから、そろそろ顔を出してもいいかと思って」
「誰だって聞いてんだよ、まずはそれに答えやがれ!」
あれはヤバい――ルプスの直感がそう告げている。
しかし彼女の言う通り、銃など使ったって無駄だろう。
あれには実体がない。
そのくせ何人もの警官を操り、こちらを一方的に攻撃することができる。
とてもじゃないが、不思議な力など一つも持っていないルプスに太刀打ちできる相手ではなさそうだ。
だからこそ、強がるしかない。
しかし少女は、そんなルプスの心を読んだ上であざ笑う。
「まず一つ、教団は楽園についてどう考えてるかだけど――少なくとも、楽園はすでに完成しているとわたしは考えてるの。わたしにとって必要なピースは全部集まったから。でも不完全。それはなぜかっていうと、楽園以外の世界が残っているからなのね」
「俺の質問に答える気はないってことか……」
「答えてあげてるよ? わたし、あなたのみじめな独り言をずーっと聞いてたから。そして二つ、無駄な死人が出てることについてだけど……楽園がすでに完成しているなら、この世界の生者はみんな無駄じゃない? だから生きようが死のうがわたしはどうでもいい」
「まるでお前の一存で教団が動いているかのような口ぶりだな」
「そうだね。『教祖は誰か』って聞かれたら、きっとわたしがそれに一番近い存在だと思うよ。宗教って面白いよね、とっくに目的は歪んでるのに、それでも盲目的に従ってくれる人がいるんだもん」
ここまで話して、ルプスは彼女に関して一つの確信を得た。
外見も含めて――この少女は、プリムラによく似ているのだ。
(プリムラが執拗に狙われる理由はこいつが裏にいたからか……)
血の繋がり、それに類する接点が二人にはある。
だがそれを知っているのは、おそらくこの少女だけだ。
「本当にそれだけか? 人殺しってのはよ、それだけで案外体力を使うもんだ。お前のそれは快楽だけでやるには規模がでかすぎる。俺には、その行為自体が“無駄”に思えるがな」
「ふふふ……そうだね。だって嘘だもん」
あっさり言い切る少女。
ルプスは表情一つ動かさず銃口を彼女に向け続ける。
すると少女は、さらに口角を釣り上げて、頬に皺を寄せながら、満面の笑みで言い放った。
「わたしはね、プリムラを苦しめて、苦しめて、苦しめて苦しめた上で殺したい。憎くてしょうがないから。汚らわしい命のくせに、なかなか死なないどころか、失ったものをまた得ようとするその挙動がおぞましくてしょうがないから、ゴキブリみたいに殺して潰したい」
「なんの恨みがあって……結局お前は、何者なんだよ!」
今度は、誤魔化したりはしない。
ルプスに対し、少女は名乗る。
「わたしの名前はサクラ・シフォーディ。プリムラのオリジナルだよ」
そして自己紹介が冥土の土産と言わんばかりに、人形たちの銃が火を吹いた。