033 不変心宮ノスタルジア
アリウムは閉じたカーテンの隙間から、窓の外を覗き込む。
夜になり、空は赤混じりの紫に染まっている。
毒々しい色に覆われた町に、例の化物たちの姿はない。
だが代わりに――巨大な一つ目の球体が、まるで監視するように空中に浮遊していた。
それも十や二十ではなく、何百体も。
巡回する眼が、ぎょろりとルビーローズ邸のほうを見る。
「っ……」
アリウムは息を呑み、さっと窓際から離れた。
「プリムラの読みどおりだったな。完全に夜になる前に、ここに戻ってこられてよかった」
「今日はこのまま、夜が明けるまでじっとしてるしかないね」
幸い、生活に必要なものは全てここに揃っていた。
外で浮遊する化物は、建物を破壊して中にまで入ってくる様子はなく、ひたすら決まったルートを巡回しているだけだ。
だが動くものを見つけると、目が鋭い牙の並ぶ口へと姿を変え、食らいついてくる。
すでにそうやって、例の異形の怪物が数体食われていた。
“共食い”と呼ぶべきなのかは不明だが、一つ目の化物のほうは、半自動的に動くものに反応して攻撃を加えるようである。
「一体ザッシュは、なにを考えてこんな世界を作ったんだろうな」
アリウムはそう言って、座椅子に腰掛けた。
彼女の前に座るプリムラは、クッションを抱いて「うーん」とため息混じりの声を出す。
「わたしが使ってるような魔法と違って、ドールに搭載された武装や能力って自分の意思で変えられるわけじゃないから」
「意図的にではなく、自然とこういう形になってしまったわけか」
「ザッシュの精神状態を反映してね」
「どういう頭をしていたら、こんな世界ができあがるんだ?」
「わたしに負けて、プライドをズタズタにされて、引きこもってるうちに世界の全てが憎くなったんじゃない? 好き嫌いは別として、わからないでもないかな」
追い詰められた人間は、その責任を別のなにかに押し付けたがる。
要因が自分に無い場合、そうなってしまうのは仕方のないことだ。
だが世界に対して憎しみを抱いたところで、結局は余計に自分の無力感に苛まれるだけだ。
さらに病むか、その感情を何者かに利用されるか、どちらにせよまともな結果にはならない。
「自分以外の他の人間が全て敵に見える。誰もいない夜になっても、常に誰かに見張られているような気がする――そうやって疑心暗鬼に陥っていった結果がこれ、なのかもね」
「そこに教団がつけ込んだわけか」
「教団なら新たなアニマをザッシュに与えることもできるかも……とは言うものの、そんなまともなものとも思えないんだよね、この感じ」
アリウムは「そうだな」と目を細め、外の光景を思いだす。
仮にザッシュの精神状態が異常だったとしても、それがそのままドールの能力として反映されるわけではない。
彼に力を与えるアニマが何者なのか、本来ならそれも関わってくるはずなのだ。
「この力、アニマというよりは、やはりフォークロアめいているように感じる」
「アニマに取り付く新種フォークロアが現れた、とか?」
「コロニーにフォークロアが紛れ込んでいるのなら、大事件だな」
「教団って、最終的にコロニーはどうなってもいいとか思ってそうだし」
イマジン教団がネットの世界に楽園を求めるというのなら、今の肉体は彼らにとって“偽り”だ。
人の命を奪うことに抵抗がないのもうなずける。
「そうなると、仮にここから脱出したとしても……まだまだ気は休まりそうにないな」
「誰が五年前の事件を引き起こしたのか、教団を操っているのは誰なのか、それもわかってないからね」
「教団とは呼んでいるものの、組織の概形すら掴めていない。曖昧で、巨大で――あたりを覆い尽くす霧にでも殴りかかっている気分だ」
「必ず指示を出してる人間はいるはずなんだけど……」
教団をまとめる人間ではなくとも、明確にプリムラを狙っている誰かはいるはずなのだ。
でなければ、カズキにザッシュにと、連続で彼女が狙われるはずがない。
「……んー」
「……」
考えたって、今はできることもない。
脱出の目処も立っていない。
家の外には見ているだけで気が滅入りそうな化物が徘徊し、行方不明者だっている。
気が滅入る。
自然と、二人は無口になっていった。
プリムラはクッションに顔を埋める。
そのままうんうんと唸っていると、ふいにとあることに気づいた。
何気なく抱きしめていたこれだが、普段はアリウムが使っているものだ。
息を吸い込むと、彼女の匂いがする。
変態っぽいが、うかつにも懐かしさを覚えてしまう。
(……馬鹿みたい)
今の自分へ向けた言葉ではない。
過去の自分とアリウムへ向けた、心の底からの侮蔑だ。
わかりきっていたことだろうに。
いや――プリムラ自身はそうなのだと、ずっとずっと主張してきたわけだが。
驚くほど心が落ち着く。
アリウムへの憎しみの感情はまだ残っているはずなのに、別腹とでも言わんばかりだ。
ここがプリムラのあるべき場所なのだと、本能がそう告げていた。
クッションから顔をあげて、じっとアリウムを見つめる。
視線に50%ほどの恨めしさを乗せて、ジト目による攻撃。
しかしアリウムは気付かない。
手持ち無沙汰に、爪を見てばかりだ。
なおも視線で訴えかけるプリムラ。
するとついに、アリウムが気づいた。
「どうした?」
「なかなか視線に気づいてくれなかったからちょっと強めににらんでた」
「すまない、考えごとをしていたんだ」
「どんなこと?」
「私にこんなことを言う資格は無いかもしれんが……プリムラと二人きりで過ごせる今の状況を、ほんの少しだけ楽しんでいる自分がいるんだ。お祖父様とお祖母様の命が危ないというのにな」
「わたしも似たようなものだから、仕方ないんじゃない? きっとわたしたち、もうそういう関係が染み付いちゃってるんだよ」
「そうだな……理屈なんて、考えるだけ無駄なんだろう」
それを考えてしまったのが五年前だ。
二人で一緒にいたらどうにかなる――一見して考えなしにも見える言葉だが、しかしそれが真理だった。
他の誰にも、何にも埋められない心の領域がある。
言葉で説明できるものではないが、喪失を経て再び元の状態に戻りつつある今は、痛いほどその存在が感じられる。
「アリウムちゃん、隣にいってもいい?」
「聞くまでもないだろう」
「はいって言ってほしかった」
「ふ……わかった。隣に来てくれ、私がプリムラを拒むことは、もう二度とない」
「ありがと」
プリムラはクッションを抱いたまま立ち上がると、それをアリウムの隣に敷いて、その上に座った。
いつになく近い距離で二人の視線が交わり、無性に嬉しくなって、自然と笑みが溢れる。
「ふふふっ、懐かしいね、この感じ」
「ああ……そうだな。懐かしいと思えるほど、無駄な時間が過ぎてしまった」
「ほんとだよ。コロニーに戻れたらがんばって取り返さないとね」
言いながら、プリムラはアリウムに寄りかかる。
その重みも体温も、なにもかもが懐かしい。
表面上だけ見れば元通りだ。
しかし、どうしても戻れないものがある。
一度生じた傷は、99%の修復は可能でも、残りの1%が“傷跡”という形で残ってしまう。
心のしこりは、未だ目障りな存在感を放っている。
「今は色々考えちゃうかもしれないけど、きっとそれも時間の問題だよ。大丈夫、わたしたちならちゃんと上書きできるはずだから」
にっ、と歯を見せて笑うプリムラ。
辛い記憶は、楽しい記憶で上書きするしかない。
だが厄介なことに、人間というのはネガティブな思い出のほうが強く残りやすいものだ。
それを覆い隠せるほどの“楽しさ”はそうそう得られるものではないが、しかし不可能ではないとプリムラは考える。
言葉を交わすだけで、肩を寄せ合うだけでこれほどなら――たぶんそれは、簡単なことだ。
「上書き、か……そうだな、そうするべきなんだ、私たちは」
罪を償う、と言うのは簡単だ。
だが今のプリムラがそれを望んでいないのは、アリウムにだってわかる。
いや、ある意味でそれが彼女にとっての贖罪なのか。
自傷的な償いは許されない。
五年前の行いを悔いて、詫びることも求められていない。
ただ、以前と同じ関係に戻って、なんならもっと仲良くなれますように、と。
それこそが最大の贖罪である。
アリウムは息を吐き出し、立ち上がる。
もっとくっついているつもりだったプリムラは彼女を見上げ、首を傾げた。
「アリウムちゃーん?」
そのままデスクに近づくアリウムを視線で追い、名前を呼ぶ。
彼女は机の引き出しから、ペンダントを取り出しプリムラに差し出した。
プリムラの目が驚愕に見開かれる。
「これって……あのときのペンダント!」
プリムラは両手で掴み取った。
『やだぁっ、やだよっ、離してえぇぇぇぇっ!』
記憶が蘇る。
『それはだめ……お願い、返して。それ、お父さんとお母さんがくれたっ……やだっ、やだああぁぁぁっ!』
かつてプリムラとアリウムを断絶させた、あの出来事が。
『アリウムちゃんっ! アリウムちゃん、お願い助けてっ。あれは大事なものなの、アリウムちゃんも知ってるよね?』
『ねえ、どうして? どうして見てるだけなの?』
『アリウムちゃんっ、アリウムちゃぁんっ!』
『やだっ、やだああぁぁ! いやああぁぁぁああああああっ!』
それは、プリムラが両親からもらった、最後のプレゼント。
事件の直前に、父が急に渡してきた、家族の写真が入ったペンダントだ。
本来なら、五年前に奪われ、壊され、もう存在していないはずだった。
「どうしてアリウムちゃんが持ってるの?」
「五年前……私はボロボロに壊れたそれを持ち帰ったんだ。取り返しのつかないことをしてしまった自覚があったんだろう。だが、プリムラに返すこともできなかった。いつか返すつもりというわけでもなかった。ただ私は、許された気になりたくて……修理を頼んで、元の形に戻したんだ」
アリウムは後悔を吐き出すように語る。
「そっか……」
一方でプリムラは、微笑みながら手のひらにあるペンダントを眺めていた。
少なくとも五年前、後悔はあった。
自分の面倒を見てくれる祖父母を取るか。
それとも、両親を殺した仇の娘であり、かつ未来の展望すら見えないプリムラを取るか。
そんなわかりきった二択を、それでもアリウムが悩んでくれている確かな証拠である。
「やっと、渡せた」
それは、一つの区切りだ。
五年前から続いてきた悪夢の、ごく一部ではあるが――プリムラとアリウムの間に生じたわだかまりに関しては、あとは自然治癒に任せるだけで元通りになるだろう。
「……ところでプリムラ、そのペンダントに関して聞きたいことがあるんだが」
「これについて?」
「ああ。実は修理を頼んだとき、その中になにかが隠されているという話を聞かされてな。中は見ていないが、軽く魔力を注ぐと写真が外れる仕組みになっているらしい。そのことを、プリムラは知っていたのか?」
「ううん、ぜんぜん。魔力ってことは、操者じゃないと開けない……」
つまり、プリムラに開かれることを期待して作られたギミックである。
プリムラはさっそくペンダントに微量な魔力を生じる。
すると話通り、写真の部分が浮き上がり、外れるようになった。
慎重に指でつまみ、取り除くと――小さな鍵が入っていた。
「模様が刻まれた鍵……お父さんはどうしてこんなものを私に……」
「まさか鍵が入っていたとは、ラートゥスさんからプリムラに向けたメッセージということか」
「このペンダントをもらったの、事件の何日か前なんだよね。もしかしてお父さん、自分が近いうちに死ぬのをわかった上でこれを私に託したのかな。でも、これでなにが開けるんだろ」
扉か、箱か、はたまたまったく別のなにかなのか。
プリムラは様々な角度から鍵を観察した。
銅で作られた古い作りの鍵で、頭の部分にはみなれない模様が刻まれている。
「その模様、どこかで見たことがあるな」
「アリウムちゃんが?」
「確か、お父様が持っていた箱に刻まれていたような……」
「その箱を見たのはいつなの?」
「事件の数週間前だ。お父様がその箱を真剣な表情で眺めていたから、『大事なものなんですか?』と聞いた覚えがある。あのときは、『大事なものかどうかは、いずれわかるよ』とよくわからないはぐらかされ方をしたが――」
「もし私のお父さんが自分が死ぬのをわかっていたとしたら……同じく教団に所属してたティプロウさんも知ってるはずだよね」
「二人が示し合わせて、私に箱を、プリムラに鍵を渡した可能性はあるな。だが私はプリムラと違って、その箱を渡されたりはしていない」
「ティプロウさんの部屋ってどこだっけ」
「今は倉庫になっているし、荷物もお祖父様が全て処分してしまったんだ」
「うーん……あのおじいさんかぁ」
プリムラはアトカーに対していい印象を抱いていない。
しかし彼は彼なりにアリウムを守ろうとしていたのは事実だ。
もしアリウムの父が彼女に遺しておいた怪しげな箱があったとしたら、アトカーは間違いなくそれを遠ざけようとするだろう。
「アトカーさんの部屋ってどこだっけ」
「二つ隣だ」
「じゃあ、そこを軽く探してみない? もしかしたら、アリウムちゃんに見つけられないように隠してるかもしれないし」
「お祖父様の部屋には電子ロックがかかっている。ネットワークに繋がっていない今でも、固く閉じられているはずだぞ?」
「なら壊せばいい。いざとなれば、隣の部屋の壁から突入してもいいし」
「だがしかし……」
アリウムは反射的にプリムラを止めようとして、しかし寸前で踏みとどまった。
なぜ止める必要があるというのか。
せっかく、元に戻りつつあるというのに。
「……いや、そうだな。お祖父様の部屋を暴こう、そこで“箱”が見つかるならそれに越したことはない」
アリウムの答えに、プリムラは嬉しそうに頬をほころばせた。
◇◇◇
二人は部屋を出て、アトカーの書斎の前まで移動。
プリムラは静かに、速やかに電子ロックを突破した。
「壊さないでも開けるのか……」
「魔術は日々進化してるからね」
「そのうちネットワークにも干渉できそうだな」
「今のとこ、目的はそれだよ。教団と戦うなら、ネットワークを利用するのが一番有効だから」
話しながら、二人は室内へ。
アリウムですらはじめて踏み入れるその部屋は意外にも狭い。
一人でデスクに向き合うだけならそれで十分ということだろうか。
壁際には本棚がずらりと並び、びっしりと小難しいタイトルが書かれた背表紙が並ぶ。
デスクの上には書類が積み上がっており、議員として日々を忙しなく過ごすアトカーの様子が想像できるようであった。
「アリウムちゃんはデスクのほうをお願い。私は本棚を見てみる」
「わかった」
「引き出しは二重底も警戒してね。ひょっとすると、箱以外のものも出てくるかもしれないけど」
「箱以外か……」
アリウムは手始めに一番上の引き出しを開く。
底を叩くと、違和感があった。
すぐさま中身を全て取り除き、底板を外す。
するとその下から新たな底板と、数枚の書類が現れた。
「箱、じゃなさそうだね」
本棚を調べていたプリムラは作業を止め、アリウムの持つ書類を覗き込む。
データではなく、あえて物理媒体に記録してあるあたり、かなり重要な情報が記されているかもしれない。
「企業から献金を受けた議員のリストのようだ」
「デルフィニアインダストリーからってこと?」
「いや、聞いたこともない会社だ。しかも複数社ある。どうやらどれも、実態のないペーパーカンパニーらしい」
「わざわざこんなものが隠してあるってことは、教団絡みなのかもね。それにしてもこの数……献金を受けてない議員のほうが少ないんじゃない?」
「ああ、見た限り議員のうちの八割は、この胡散臭い会社群から金を受け取っている。しかしこうも多いと、告発しようにも……」
「いくら重鎮でも、握りつぶされちゃうよねえ」
このデータ自体は、四年前――つまり事件の数カ月後に得られたもののようだ。
本当ならすぐにでも暴露してしまいたかったのだろう。
だが想像以上に、議会は教団に汚染されていた。
いや、むしろこのコロニーそのものが、すでに教団に支配されていると言ってもいい。
「……ぶち壊すしかないよ、こんなの」
「プリムラ、それは……」
「コロニーのためとか綺麗事を言いながら、結局はどいつもこいつも自己保身ばっかり。そのくせ悪知恵ばっかりは働くから、悪事は表に出てこない。だったら、土手っ腹に穴が空くぐらい強めにつついてやるしかないでしょ」
議員たちは、あくまで教団から金を受け取っているだけで、誰もがその教義に従っているわけではないはずだ。
自分さえよければ他はどうでもいい。
人としては間違っていない考えだが、しかしそれに巻き込まれて、殺されかけたプリムラとしては冷静でいられない。
だったら、教団以上に恐怖を与えてやればいい。
それで、自己保身に走る議員は勝手に情報を吐いてくれるはずだ。
ついでに死ねばそれでもいいし、どうせうかつな話をすれば、教団に殺される。
プリムラにとってはどっちでもいいし、どうでもいい。
だがそれも、コロニーに戻ってからだ。
再び本棚を調べるプリムラ。
まずは本を出して裏になにか隠されていないか確かめたが、今のところ怪しい部分はない。
魔術で探知しても、本棚にギミックは存在しないようだった。
次に調べるのは、本そのもの。
部屋は狭いが蔵書量はそこそこあり、一冊ずつ開いて確かめるのは手間だ。
プリムラは表紙の材質と本の重さからだいたいの総重量を概算し、全ての本を魔術で浮かべ、概算値とズレのあるものを探す。
ページを切り抜いてあるにしろ、鍵が貼り付けてあるにしろ、これでだいたいの目星はつくはずだ。
そして怪しい本を五冊ほどピックアップ。
ここからは手作業で確かめる。
「器用なものだな」
一通り机を調べ終えたアリウムは、魔術を使いこなすプリムラに見惚れる。
その視線が少し恥ずかしかったのか、プリムラの頬は微かに桃色に染まった。
「これは付箋の分、こっちはページ自体が切り抜かれてるだけ。この本は……中身に異常はない」
「小説か? 確か二年ほど前に流行っていたな」
ヒットした物語や文章データは、愛蔵版として物理書籍が出ることも珍しくない。
もっとも完全なマニア向けのアイテムで、値段もかなり張るのだが。
また、好きなデータを物理書籍化するサービスも存在するが、こちらはもっと高価だ。
アトカーの棚に収められている本は需要の少ない専門書が多いため、そういったサービスを利用していたものと思われる。
物理書籍になんらかのこだわりがあったのだろう。
「しかし珍しいな、お祖父様がそんな流行りものに手を出すとは」
「他の本のラインナップからしても、これだけ浮いてるんだよね」
プリムラは探るように、厚めの表紙を撫でた。
すると微かではあるが、凹凸が感じられる。
彼女は遠慮なしに、それを風の刃で切り裂く。
すると断面から、埋め込まれた鍵が現れた。
「そんなところに鍵が……」
「机に開かない引き出しとかなかった?」
「いや、そんなものは見当たらなかった」
「じゃあ別のどこかに鍵穴が隠されている、と」
とはいえ、この部屋には机と本棚ぐらいしか無い。
あとは、壁にかけられた絵画が一枚あるだけだが――プリムラはそれに近づき、取り外す。
そして裏の壁に指で触れた。
再び、微妙な凹凸がある。
壁紙を切り裂いてみると、その向こうから現れたのは、高さ20センチ、幅30センチほどの扉である。
そこに鍵を差し込む。
カチャリという音とともに、解錠される扉。
開いてみれば、中には様々な写真や、下手な字で書かれた手紙、おもちゃの指輪、押し花、そして――目当ての“箱”が入っていた。
「そんな場所に隠してあったのか」
プリムラの隣に移動してきたアリウムが驚く。
かなり厳重な仕掛けだが――そこに隠されていたものは、意外にも教団に関わる物品ではなかった。
「まだ若いアトカー議員と、女の子の写真……この人、アリウムちゃんに少し似てるかも」
「お母様だ。この手紙も、押し花も、おもちゃの指輪も、おそらくはお母様がお祖父様に……」
「……そっか」
本来は、壁紙を破らずとも開けるギミックが存在したのかもしれない。
なんにせよ、これがアトカーにとって一番大事なもの、ということだろう。
最愛の一人娘との思い出。
そして――アリウムに渡されるはずだった、鍵付きの箱。
「やり方は強引だけど、アリウムちゃんのことを考えてやってたってのは間違いないってこと……か」
「……」
物憂げに呟くプリムラに、うつむくアリウム。
結果として、プリムラは死ぬほど辛い思いをした。
だからアトカーを許すことはできないが、しかし――そこにあったのは、悪意ではなかったのだ。
しばしの沈黙の後、プリムラが動く。
ポケットから両親の形見である鍵を取り出すと、箱に差し込み、解錠した。
中には、また別の写真が入っていた。
「こっちにも写真が入ってる」
「若いが、お父様とラートゥスさんみたいだな」
それは、おそらく十代と思われるラートゥスとティプロゥが、笑顔で赤子を抱いている写真であった。
時期からして、プリムラとアリウムが生まれる前に撮影されたものだ。
プリムラはなにげなく写真の裏側を見た。
そして、そこに書かれた文字を読み上げる。
「二人の最愛の娘、サクラ・シフォーディとともに……」
その言葉の意味がわからず、二人は固まった。
「どういうことだ? 二人の娘? お父様と、ラートゥスさんの?」
だがプリムラには思い当たる節がある。
「お母さんはわたしの実の母親じゃない。そして、アリウムちゃんは私の姉妹……だったら、わたしの本当の両親は……」
「まさか、二人が父親だって言うのか!? いや、だがこの写真は――」
「うん、私じゃない。別に“姉”がいたんだ」
そして、サクラという名前を聞いたのはこれがはじめてではない。
カズキにより爆弾に変えられ命を落とした記者。
彼が言っていた名前だ。
つまり、カズキはサクラ・シフォーディのことを知っていたのである。
「教団の人間だったカズキが知っていて、ティプロゥさんとお父さんは形見としてこの写真を私たちに遺した……」
「サクラ・シフォーディが、教団に立ち向かうための鍵になるということか」
そして同時に、プリムラの胸中で一つの霧が晴れる。
自分の父は教団の関係者だった。
五年前の事件も、父が引き起こしたものかもしれない。
しかも、それを事前に知っていた可能性だってあるのだ。
ひょっとすると、事件の黒幕は父やティプロゥだったのではないか――そんな疑念があったのだ。
だがその可能性は消えた。
父はプリムラが未来に進むための、手がかりを残してくれたのだから。